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震える剣  作者: 結紗
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一夜



 ――昨日のことのように鮮明に思い出すのは、後悔ばかりを繰り返したあの日のこと。



 独りで黙々と考え事をすることの多いカストルだが、最近はどうも様子が変だ。ディディエはそれに気づき、さてどうしようかなと首を傾げた。

 困ったように眉を寄せ、思考の海に沈んで行こうとする弟を、兄は嬉々として引っ張り上げて強引に話を聞いた。

 弟は渋りながらも事情を話す。思い返せば、打開策が思いつかずにいたんだろう。

 曰く、アウラの様子に悩んでいる、と。

 弟は恋愛ごとには興味がなさそうでいて、実はちゃっかり裏で事を進めるタイプであることを、片割れである兄だけは知っていた。大公が出ている夜会で、愛娘である公女に対し、前代未聞の行いをやってのけただけのことはある。ま、本人は彼の想い人が大公息女であることを知らなかったわけなのだが。

 着々と恋人としてのステップを踏んでいることは想像に難くない。

 冷静沈着、傲岸不遜などとよく言われているけれど、それは外側での話。内側のカストルはそんなに頭でっかちの人間ではない。

 彼の見つけた女の子は、とても意外で、だからこそしっくりきた。

 研究院の少し主流とは外れた研究に熱心な女の子。一目で外見に手を入れることに興味がないことはわかるけれど、大きな瞳の美しさが印象的な子だった。

 何より、弟相手に気後れせずに堂々と意見する。たぶん、弟の性格は多少厄介だから、関わり合いになりたくないのだというのもよくわかった。けれど、議論になれば一転してまっすぐに見据えてくる。こんな子、確かになかなかいない。

 彼の外見にも興味がないらしかった。我々の外見と中身のギャップにも反応を示さない。弟が随分と斜めに懐いているのを見かけた時は、少しだけ羨ましくて、それ以上に彼が大切な人を見つけたという事実に喜んだものだった。

 だからアウラが最終実験の前で躊躇し、悩む姿は弟にとってつらいものであっただろう。

 彼女も研究者としては優秀だが、人との関わりは苦手な様子。きっとカストルに直接相談しに来たわけではない。だからこそ弟は悩んでいるのだとわかる。

 ――当然の助言をしたつもりだった。

 彼女に言葉で、理詰めで説いても無駄だと。

 何か、言葉の代わりに……ささやかな贈り物で勇気づけられはしないかと。

 結果として、弟はたぶん、それに最もふさわしいものを思いついた。

 ただそれが、少しばかり遠い星にあるもので、その星の状態が悪かっただけだ。

 止めても、宥めても、弟は首を縦には振ろうとしなかった。

 こんなに頑固なカストルは珍しかった。だから、止めるのを諦めた。

 彼らの研究は、下手をすれば世界を劇的に変えてしまう、パワーバランスを大きく崩す可能性がある。実験が成功した暁には、今後の抗争も具体的に見えてくるはずだ。

 弟はそれを正確に理解していた。だが、アウラは大公の娘。それを恐れて迷っているのかもしれなかった。だが、恐らくもう、彼女たちの意見で方針は変えられない。猶予すら与えてやれなくなる。それを見越して、覚悟をしなければならない時期なのだ。

 だからこそ、僕の弟は……カストルは、あの青い薔薇を取りに行った。

 他でもない、彼女の為に。





***





 幾つもの遮蔽ゲートを通り抜けると、簡素な一室が広がる。必要な機器が壁一面に嵌め込まれ、あたかも研究室のような様子を呈している。

 規則正しくなり続ける微かな音は、彼の心音。

 室内には、彼女が眠っていたものと同型のゲージが一つ。

 保生液が満たされた狭いそこで、死んだように眠り続ける者がいる。

 足元もおぼつかず、そこへゆっくりと辿り着くと、力が抜けたように棺に縋り付いた。


「……カストル……」


 青白い顔をして、自分とは違う金の髪がゆらゆらと揺れている。

 瞼を開ける気配はない。――当然だ。グランギニョルで、彼は気の遠くなるような年月を眠りの内に過ごしていた。こちらへ引き上げてからこちら、覚醒させるために段階的な刺激を与えてはいるが、それでも目覚めるのは当分先だろう。

 だけど、と思い起こすたびにディディエの胸は潰れそうに痛んだ。

 弟の覚醒まで、数年はかかる見込みだ。アウラを抽出する見通しがついてから、それはすぐ予測されたことで、特に大幅な変更は見られない。つまり、これは順調である事態であるはずだった。


「……ばかじゃないの。早く起きなよ、カストル。……ねぇ」


 聞こえるはずがない。わかっていて、それでもディディエはガラスの向こうに見える弟に声をかけ続ける。

 こんなとき、彼なら何て言うだろう。双子ながら、カストルとディディエは相違点が多い。だからこそ、互いを尊重してきたと思っている。

 それなのに、いや、それだからなのか。ディディエにはカストルなら何と言うか、想像もできなかった。……だが、どうするか、ということはわかる。

 わかるから、認めたくなかった。

 ディディエはくしゃりと顔を歪ませた。込み上げてくるものを抑えきれず、せり上がってくる涙を堪えきれない。

 涙を零したくなくて、ディディエは紺色の瞳を大きく開いて瞬きをした。


「ばか。早く戻ってこないと……アウラが、あの子が離れて行ってしまうよ……」


 それでもいい、仕方ない。そう苦笑一つで感情を閉じ込める様子が目に浮かぶ。

 ぐ、と何かを耐えるように目を瞑る。


「それじゃダメなんだ! どうしていつもそうなのさ! 滅多に欲しいものなんかないくせに! 欲しいものが見つかったなら、ちゃんと手に入れていなくちゃダメじゃないか……っ」


 ディディエは嗚咽を漏らした。

 とめどなく涙が流れていく。

 そうだとも。この弟なら確かに言うだろう。彼女の幸せこそが一番だと。

 だけれど、ディディエは嫌なのだ。

 カストルが平気な顔をして、感情を閉じ込めてしまう。それは悲しくないのと同義ではないのだ。周囲の誰もがそんな弟を知らずにいる。

 ディディエはそれが辛かった。


「やっと見つけた子なんだろ! あんなバカなことをするぐらい、大切な子なんだろう……っ。今、君がアウラを抱きしめれば、彼女は戻ってくるかもしれないのに……」


 ――無理だ。ディディエの脳裏で、冷静な部分がそう告げる。

 アウラの心をカストルに取り戻すには、ひどく時間が必要である気がした。

 彼女はカストルを大事に持っているけれど、かつてのような情熱を感じない。

 遠い幼なじみを思いやるような、穏やかな情のように。それがディディエには恐ろしかった。

 時が変えてしまった。

 アウラの心は、アウラだけではない。櫻という人格も混じりあって、新しいアウラになった。それがひどく恐ろしかった。

 リュクスに言われたことは、気づきもしないでいたディディエの心を暴いてしまった。

 彼の言葉を聞いた時、雷に打たれたような衝撃が走った。

 そして、すぐにわかったのだ。

「彼の言葉は真実だ」と。


「でも、僕は嫌なんだ……嫌なんだよ……カストル」


 あの子が君以外の人を思うのは。誰かの手に渡ってしまうことが恐ろしくて堪らない。


「……僕には、無理だ。アウラは僕を信頼してる。だから、あの子を裏切れない……僕だって、好きなのに。ずっとずっと、好きだったのに……」


 ディディエはカストルの返事を聞いたかのように首を振った。

 

「……君が傍にいない代わりに、守るつもりだった。長い間、彼女を見守って来たよ。……でも僕は傷つけてしまうんだ。そんな自分を止められない。だって僕は、カストルの傍で笑っているアウラが好きだったんだよ。だから、僕は……」


 ディディエはカストルの入った棺に触れて、縋るように涙を流す。

 昨日、アウラが批難したことは、ディディエの胸に刺さって抜けずにいる。

 計画を急いだのは、一刻も早く彼女とカストルを引き上げたかったからだ。そのために犠牲にした命は、画面上で見て確認した気になっていた。犠牲は大きかった。それは認めないわけにはいかない。……けれどこうして、無事に目的は達したというのに。

 ジルアートという青年のことを思い出すと、二つの痛みがディディエを苛む。

 一つは今のアウラの心を奪っている男であるだろうこと。

 もう一つは……彼の人生をプログラムによって構成してしまったことだ。


「……カストル、きっと起きたらものすごく怒るよね。グランギニョルの生物をコントロールするプログラムのシステム、あれさ、僕、使っちゃったんだ。……しかも、人に」


 あれはカストルが片手間に作業していた技術で、まだ未完成のままだったもの。

 弟が思いついたそれは、牧畜の運用を目的としたもので、家畜の痛覚を遮断できないかといった、小さな小さな発想だった。

 ディディエはその存在を知っていた。カストルの意図を無視して完成させ、人に使用することを提案したのは、ディディエだった。

 ……間違いであったとは、今も思わない。

 だが、悪であることに間違いないだろう。


 カストルが研究の道へ進むことを決めた時、ディディエに同様の情熱は感じられなかった。伯爵として領地の運用を要領よく進めていくのが得意であった彼は、さほど悩むこともせずに爵位の継承を受諾した。

 ディディエはカストルと同じように学んだけれど、弟のようにはなれなかった。

 結果はこの通り。同じ研究者であるアウラに、心底蔑まれるような技術も躊躇いなく行使できる。

 ……きっと、カストルであれば、彼のように研究者としての志があれば、こんなことにはならなかったのだろう。

 リュクスやトリスタン、他の研究員たちは、どうしてこの案に賛同してくれたのだろう。考えてみても、研究に情熱を持たないディディエにはわからないことだった。


「……僕は結局、彼女のことを思っているようで思っていない。カストルとは違うんだ……」


 カストルの横で、くるくると表情を変えるアウラを好ましいと思っていた。

 カストルが眠り、アウラを支えるうちに、この思いは静かに育ってしまった。

 けれど想いを自分に向けられないことより、弟に向けられない事実に憤りを隠せない。そしてそんな、変わってしまったアウラを、ディディエは許せないのだ。どうしても。


「ねぇ、僕の弟……」


 ディディエはガラスに手を触れた。 


「僕に一体何ができる? リュクスたちが言うように、あの子は命がけでカストルを救おうとしてくれたんだ。……そしてちゃんと救ってくれた。今ここに君の命があるのは、あの子のおかげなんだ。……わかってる。わかっているのに」


 指先が、棺を削るように動く。

 ディディエでさえも諦めた病を、アウラは諦めなかった。

 周囲を巻き込み、無謀な状態でその身をグランギニョルへ投じたのは、全てカストルのためだ。


「……アウラが変わってしまったことは、不可抗力だよ。カストルだってわかるはずさ。そうだよ、彼女は何にも悪くない。わかっているんだ。彼女は出来る限りのことをしてくれたって……その結果、彼女が変わってしまうことも、わかって、いたんだ……でも、それでも、僕は……」




 二人きりの研究室。

 ディディエは今までの胸の内を吐き出すように、カストルに縋り続けた。

 ――……これは、誰も知ることのない、一夜の出来事。




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