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震える剣  作者: 結紗
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時の回廊5



 肉のある体にのみ寄生するという、伝染病としても厄介で疎ましい病から守られた、一つの花束。

 消毒されたそれを、生気の薄れた彼の兄から手渡されたその時、空の青のように澄んだ色のきれいな薔薇が、私の記憶を突き刺した。



『ミュゼ、青い薔薇って、見たことある?』

『あるな。』

『なんだ、あるの。羨ましいわ。私はホログラフでしか見たことないのに』

『父が懇意にしていた宝石商がいた星が、その青い薔薇を生んだ星だったからな。何度か見かけたことはあるが……さて、どんな色だったか。興味がなかったからな……。何しろ、辺鄙な星で、他に目立ったものもないような星だぞ』

『夢のないやつ!』

『……欲しいのか?愛娘の願いなら、大公が簡単に叶えてくれそうなものだが』

『見てみたいとは思うけど、昨今でも片道何日もかかるような航行だって聞いたわ。個人的な興味でそこまで人を動かしたいとは思わないもの』

『そうか……なるほどな』


 最終実験が、私たちの手の届くところへ見えてきた頃の記憶。

 あの時私は、既に命を生み出す重圧に、怯え始めていた。


『……どうした。手が止まっているぞ』

『……何でもない』


 そう、私はあの時、縋るものが欲しくて。たまたま思い出した“青の薔薇”の話をしたのだ。

 手にした花束を前に、涙があとからあとから零れ落ちて、ぼんやりとした青い色しか映らなくなる。

 青の薔薇。花言葉は、“奇跡”と、“神の祝福”。

 不可能を可能にした私たちの研究。そして、まるで神のような行いをしようとしていることを、誰かに肯定してほしかった。


 カストルはきっと、私の不安を見抜いていたんだろう。だから、無理を押してまでその星へ向かったのだ。……私のために。



「……死なせない」


 分厚いガラスの向こうに隔てられたあの人を、皆がもはや亡き人のように口にする。

 伝染病が広がらないよう、腐敗処理と名目を打って冷凍し、病の広がる星へ戻すと聞いた。

 ――……許さない。そんなこと、絶対に。


「……カストル」


 あなたが、その瞳を開けてくれるまで。私は絶対、あなたを諦めない。


「アウラ?!」


 命の責任を負うことが怖い?……なら、私が。

 ――私が“神”になればいい。




***






 研究室はコードを変えて封鎖した。これを解けるのはきっとカストルだけだ。

 だけど……その彼は今、ここで眠っている。


「……ごめんなさい、カストル。もう少しだけ、我慢してね」


 汗に濡れた彼の頬を撫でる。熱が高すぎる。最終的に、この熱は、脳を侵食して死を招くはずだ。

 研究室の中央には、二次元へ物質を転送するための大きな台座が置かれている。研究所の装置を病院へ持ち出し、彼をここへ連れてくることは、意外にも容易だった。

 ……これなら、きっとできる。私なら、やれるはずだ。


 沈黙を保っていた最終起動画面。実験用の画面を表示させると、私はそのまま座標コードを打ち込んだ。転送装置は準備段階を示し、暗い研究室のなかで淡く光を放っていく。


「アウラ、君ここにいるよね?!カストル連れてきて、一体何をしているの!開けてよ!」


 どん、どん、と研究室の分厚い壁が叩かれてる。私は構わず、システムを動かしていく。


「君も感染しちゃうよ、アウラ!」


 それは構わない。けれど、カストルを動かすことが先だ。

 グランギニョルの世界の、奥深く。この世界は島が大陸のように成り立っている。それらの下層の、奥深く――そこが、私の選んだ彼のための場所だ。

 実験を躊躇していただけで、システムにも技術にも問題はない。私はカストルを、そこへ転送することを決めていた。

 転送の決定キーを押す。すると、起動した台座は、光の粒子をまき散らしながらカストルを――転送物を、包んでいく。


「……待ってて。私が絶対、あなたを助けるから」


 カストルの身体が、光に溢れていく。私は台座の傍らで、それを見上げていた。


「……私も、すぐにそっちの世界へ行くわ。治療法ができるまで、あなたの領域の時間を停止させておくけれど、大丈夫、あんたは寝ているだけでいいのよ。すぐだから、カストル、」


 目を開けて。

 そう願っても、カストルは最後まで目を開けてはくれなかった。


「……待っていて」



 ――そうして彼の身体は、グランギニョルへと消えたのだ。





***





 研究室の外では、リュクスによって呼び出された一部の研究員たちが集まっていた。

 ディディエによって呼び出されたリュクスは、閉鎖された研究室の解除コードの解析に手間取っていた。研究所内でも独特の扉は、研究の危険性を考慮してカストルが設計したものだ。簡単には解除できるはずもない。

 そんな時だった。突如、扉の前に通信画面が現れた。


「アウラ?!」

「……何をしている。ここを開けろ」

『できないわ』


 アウラはうっすらと、微笑んで言った。

 やつれた面差しのディディエは、半狂乱になって叫んだ。


「カストルをどうしたのさ?!アウラ、返して!」

『……できないわ。だって、ディディエ。あなたもカストルを諦めたんでしょう』

「……っ。仕方ない。あの子が自分で選んだ道なんだよ。病気のことを知っていて、無理に行ってしまったのはカストルなんだ。……だからこそ、皆の前で眠らせてやりたい。ねえ、ここを開けてよアウラ。カストルを返してよ!」

『私は、カストルを諦めたりしない。絶対に助けてみせる』


 アウラの眼光の強さに、リュクスは眉を寄せた。


「アウラ。……何を考えている?」

『ええ、それを伝えたくて。リュクス、あなたに聞いてほしいの』


 研究室に閉じこもったところで、カストルの病は治療できない。

 リュクスは嫌な予感が満ちてくるのを感じた。


「答えろ、アウラ。カストルに何をした」


 その言葉に、ディディエは弾かれたように顔を向けた。


『あの人を、カストルを……グランギニョルに送ったわ』

「なんてこと、を……っ!」


 その場にいた研究員たちは、息を呑んだ。

 ディディエは呆然として、画面のアウラを見つめている。


『リュクス、聞いて。これから私もあちらへ向かうわ』

「アウラ?!」

「……何、を」


 アウラは淡々とそれを告げる。慌ててディディエたちは研究室の扉を叩いた。


「やめて!やめてよアウラ。危険すぎる!」

『カストルは大丈夫。グランギニョルで生体反応も確認した。……実験は成功よ』

「そんなことを聞いているわけではない!ここを開けろ!」

『リュクス、まだ開けるわけにはいかないの。私があちらへ行ったら、扉は開く。だからお願いを聞いてほしい。……ああ、なんだ。皆、そこにいるのね』


 アウラは気づいたかのように、リュクスたちの向こう側で慌てている研究員たちに声をかけた。


『勝手に最終実験を飛ばしてしまって、ごめんなさい。……リュクス、聞いている?』

「……どうしてもこの扉を開ける気はないというのか」

『ええ。ないわ』

「……望みを言ってみろ」

「そんな、リュクス!ねぇ、皆も、あの子を止めてよ!」


 悲鳴のようなそれは、夜中の研究所に掻き消えた。

 リュクスは首を振った。アウラの心を変えることはできないと悟ったからだった。


「ちゃんと話せ。でなければ許さん」

『ありがとう。聞いて、カストルは心配いらない。グランギニョルの奥深く、そこだけ時間を停止させてあるの。絶対に、私が戻るまで解除しないで。お願い』

「……ああ」

『私はこれから、偽世界を複製する。その一つに入り込むわ』

「複製?」

『カストルと進めていた、グランギニョルの他の偽世界のことよ。繁栄した惑星の進化データを参考に、幾つかモデルケースになるようなサンプルを選んであるの。グランギニョルをベースに作成するだけだから、さほど時間はかからない』

「なるほどな。もっと先のことだと思っていたが……お前たちは既に手を伸ばしていたのか」


 グランギニョルは原型プロトタイプだ。当然、研究が進めば他の偽世界の構築も無限に進むはずだった。リュクスは思考を切り替えた。


「……病の治療薬を、それらの世界で研究させようというわけだな」


 偽世界は、異なった進化の過程を推測するためだけに求められているわけではない。三次元への抽出が可能である今、食糧問題を始めとする物質的な量産の期待も大きい。

 それは、偽世界がこちら側の操作によって、時間も気候も全てカスタマイズ可能であるからだ。アウラが言わんとすることは、リュクスも研究員たちもすぐに把握した。

 一人の研究員が呟いた。


「なるほど……進化を早めて、治療薬を生み出す。それから、カストルをこちらへ引き戻すというわけだな」


 だが、とリュクスは思案する。

 こちら……三次元世界へ物質を戻すのは、まだ危険が大きいはずだ。

 それにアウラまでそちらへ行く必要はない。


『私は保険なのよ』


 考えを見透かしたように、アウラは冷めた声で言った。


『この研究は利益が膨大だから、ないとは思うけど、阻止されないために一応ね。大公をはじめとする権力や財力を、この研究所から奪わせないための保険よ。私があちらへ行けば、少なくとも父は研究の存続を支持するはず。だからリュクス、皆。複製された世界の監視と管理、そして最終的にはカストルと私の抽出を頼みたいの』

「なぜ、カストルの元へ行かない?アウラ、おまえもそこで待てばいいじゃないか」

『……カストルの傍にいたいけど、それじゃあの人は納得しないわ。だから私は、この目で私たちが作った世界を見てくる』

「きみ一人で?!」

『私が……私が悪いの、ディー。ミュゼが、あの人がこんなことになったのは、私がいけないの』

「違う。違うよ、アウラ。カストルは自分で望んで……」

「あの人に、青い薔薇が見たいって言ったのは、私なの。私があんなことさえ、言わなければ……」


 自分が許せない。そんな声が聞こえてくるようで、ディディエはかすれた声で否定することしかできなかった。


「――……了解だ、アウラ。君の生体データはこちらにあるからな。何度か長い生を繰り返すことになるだろうが、覚悟しているのだろう。治療薬が見つかり次第、君たちをこちらへ呼び戻すことを約束しよう」

「リュクス?!君まで何を言ってるのさ!」

「……無駄だ。今のあいつに、私たちの言葉は届かない」

『ありがとう。そしてディー、本当にごめんなさい。あなたのカストルは、絶対に、助けるから』

「アウラ!」

『じゃあ、皆。研究室の扉が開いたら……あとは、よろしく、ね』





 ――……こうして私は、長い長い時を送ることになったのだ。








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