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震える剣  作者: 結紗
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時の回廊4




 言葉ごと呑み込むような強い力のキス。息が止まった。ざわつく周囲の気配と視線。肌が痺れるようなそれを感じていると、重なるカッセルの金の髪が頬に触れた。

 ………ああ、キスしてる。

 きっとそれは一瞬のことだったんだろう。離れる間際、軽く唇をまれ。間近にある強い目が私を射たのは、きっと私とカッセルしか知らないんだろう。

 でもその視線を受けた瞬間、知ってしまった。

 私が思うより前からきっと、この男に囚われていたんだってことを。


 音楽が変わるのを見計い、腕を引かれるままに会場の端へ寄ると、そこには見慣れた銀の妖精………違った、伯爵様が迫力ある笑顔で出迎えてくれた。うう、夜会姿なんて初めて見たけど、相変わらずキラキラピカピカ、物語の吟遊詩人にしか見えない!

 あまりのきらめきっぷりに目を細めると、カストルが訝しげな眼でこっちを見た。アンタは慣れているのね。ほっといてよ、もう。

 ディーはお帰り、と弟に声をかけてから、こちらに振り向いた。

 ひどく意地悪そうな目と、大げさに落とされた肩。

 ………な、何っ?


「あーあ。押されちゃうと弱いタイプだったんだねぇ。僕、ちょっと残念」

「ほっといてよ!」


 反撃する気力は底を尽きかけていた。無理だ。

 傍らのソファに項垂れるように腰かけると、するりと隣に座ったディーが私の髪を撫でる。私のことを猫か何かと勘違いしているんじゃないかと思うけど、これもいつものことだ。だけど、すぐにその手が払われる音がして私は顔を上げる。

そこにはしかめっ面の問題児が一人。眉間の皺がくっきりと。


「こいつに触るな」

「どうしてさ。別にまだ君のものじゃないだろう?」


 猫のような目がキラキラ光っている。

 それを見てげんなりする。どう考えてもディーはカストルで遊ぶ気満々なんだもの。


「久方ぶりに夜会に出席した公女に、公衆の面前であんっなことしちゃうカストルに言われたくないなぁ、僕」

「はあ?」

「だから君ってば鈍感なんだよ。もっと周り見ようね、周り」


そういうと、立ち上がってカストルの両肩を持った。そのままくるりと会場の方を向かせる。奇妙な行動に眉を寄せたままだろうカストルは、ふと何かに気づいたように動きを止めて、周囲を見回す。当たり前よね。視線が突き刺さっているのを何にも感じないっていうのはもう、最早才能に近いと思うわ………。うんざりした顔は隠せないと思うけど、思わず掌で顔を覆った。居た堪れないとはこういうことをいうのね……。

 いくら私の顔が外で知れ渡っていないとしても、今日は大公主催の夜会。私だって何度も挨拶してわかってる。私のことを知っている人間が多くて、もうこの上ないスキャンダルだってことも。


「ああ……今なら羞恥心で死ねるわ、わたし」

「仕方ないよねぇ。だってカストルだもん。君の価値なんて興味がなくて、ただ他の男に触れられたくないばっかりに、君を引っ掴んでダンスに紛れ込ませたんだから」


その後は意外なことに情熱的だったねぇ、と子供の成長を見守るような慈愛の視線は、絶対心の底からの気持ちじゃないと思う。

 だって。


「肩、震えてるわよ」

「だって………ぷっ、くく………あっはっはっは!」


 涙を浮かべて笑うディーを横目に、まだ続いている夜会の喧騒が少しずつこちらに近づいてくるのがわかる。たくさんの人の向こうから、海が割れるように。

 不可解かつ、見られて不快という顔のカストルは、ディーの言ったことが上手く呑み込めていないようだった。

 恥ずかしいし、頬はきっと赤いままだし、このツンツン男の手に触れていたかったけど、私は諦めて立ち上がった。

 紺色の瞳が―――カストルが、私を見上げる。

 どうしよう、すごくこの人が好きだ。

 嬉しさのあまり緩みそうな口を、意識して引き締めてるけど効果あるのかしら。


「ミュゼ。あなた私の名前をちゃんと知ってるわよね」

「何を馬鹿なことを………。僕はまだ痴呆じゃないぞ」

「そうよね。だったら知っているはずだと思うけど、教えてあげる」


 ディディエは知っていたっていうのに、この優秀だけど馬鹿な男は何にも気づいてはいないのね。厄介な女に目をつけたっていっても、もう遅いんだから。

 温和そうな見慣れた顔がこちらに向かってくる。世界中の誰もが知っている顔だ。近づいていた人の波は、とうとう目の前で割れた。

 

「やあ。私のかわいい娘に手を出してくれたのは君かな?ミュゼ家の次男くん」


 ああ、お父さま怒り過ぎよ。薄いガラスのワイングラスが割れそうだわ。

 驚きに口を開けたカストルを横目に、わたしはお父さまに近づいて手を取った。

 ま、こんなにカストルが驚いてくれるなら、私の生まれにも意味があったかしら。


「私はアウラ・グランギニョル。大公の娘よ」



***



 ……ああ、そうだった。カストルは私のことを何も知らなくて、それなのに、きっとすべてを知っていた。私の生まれ持つ肩書きやしがらみを一つも気に留めずに、怖い程に私の本質を、見ぬいて愛してくれていたんだ。

 あの眩いホールの光。カストルの手の感触。全て、全てを覚えている。

 ……幸せは、本当にあっという間に消えてしまったけれど。



***



 あの人は、珍しくそっと、笑ってこう言った。


『問題ない。もうすぐ戻るさ』







 ――カストルの手を取ってからしばらくして、私たちは研究の最終実験に入った。

 りんごから始まった、三次元の物質を二次元に組み込む仕組みは、大規模な生態系のプログラム段階まで進化した。


 名づけた世界の名は、グランギニョル。

 不可能だと言われた物質の復元によって構成される――それはもはや“世界”といっていいのだろう。荒唐無稽な、ありえるはずのない、世界。皮肉の元に名づけたその世界を、私は誇らしくも、恐れをもっていた。

 ……人が、動物が、この二次元の世界に生まれるのだ。

 皆の期待と、高揚が伝わってくる。それがどこか、恐ろしくて、けれど、止められない自分を、動かすこともできないでいた、あの時。

 それは、起きた。



「……今、なんて、」



 人のざわめきがひどくて、私の声は掻き消えた。

 通信の繋がっているスピーカーからは、ひどく焦ったような声がする。聞きなれた声だった。誰の?――ああ、なんだ。ディディエの声だ。

 聞こえるよ、ディー。だけど、何を言っているのかわからない。

 今、なんて言ったの?


「アウラ!……が……、じゃないと……!すぐに……!とにかく……!」


 聞こえない。

 聞こえないの。

 ねえ、ディディエ。


 今日は、最終実験の日。

 もうすぐカストルもここへ来るはず。あの人にしては珍しく、最終実験が差し迫っているというのに家の用事があるといって、この星を留守にしていた。星と星を行き来することが可能になってから久しいけれど、個人がそれをするのは現代においてとても珍しいことだ。ミュゼ伯爵家は大々的な商家としても有名だから、彼らにとってはおかしなことではないというけれど。

 帰星が直前になってしまうというのは、本音をいえば私にとっては都合が良かった。最終実験を目前にして、背負う責任の重さに恐怖しているなんて、どうしてもカストルには知られたくなかったからだ。

 傍らにカストルがいないのは、なんだか不思議なかんじがした。何かが欠けたような、そんな不思議な。

 けれど、それも今日で終わる。今日の実験には、必ずカストルは来るはずなのだから。


 研究室は、朝から騒がしかったけれど、今の喧騒はちょっと違った。

 なんだろう。どうしてか、それらは膜の向こうのことのように、うまく、聞き取ることができない。




「――伯爵、了解だ。アウラを急ぎ病院へ送る」


 傍らに白衣の腕が伸びて、通話ボタンを押す。男の指。けれど、カストルのものじゃない。


「……リュク、ス?」


 顔を上げると、いつものように表情のない男の顔があった。

 いつもと何も変わらない。何も。


「何……を……?」

「急ぐぞ。来い」


 容赦ない強い力が、私の腕を引き、体ごと動かそうとする。堪えきれずに立ち上がると、そのまま研究室の入り口まで引っ張られる。


「リュクス、やめてよ、やめて……」

「実験は、中止だ」


リュクスはいつも通りの白い顔で、研究室の皆に向かって告げる。


「だが、システムは起動してしまったぞ!どうする」

「最終起動画面まではプログラムが自動で停止する方が危険だ」

「わかっている。最終起動画面で停止しておけ。……私は、彼女を連れて行く」

「いや!」


 反射的に、私は腕をはずそうともがいた。

 ひたひたと、恐怖が、胸の内に溢れようとする。

 リュクスは私を見下ろし、痛いほどの力で腕を握りしめ、そして、初めて怒鳴った。


「いい加減にしろ!カストルの最期をお前が見届けないでどうするんだ!」


 ――最期。

 涙が零れ落ちる。視界が涙に覆われて、息もできない。


 心の中を埋め尽くそうとする闇によって、金色の光が消えてしまう。

 ――……うそよ。うそに、決まってる。

 信じない。信じられるはずがないじゃない。

 だって、カストルは言ったもの。『もうすぐ戻る』って、言ったもの。




***



――伝染病だよ。向こうの星で感染したんだ。

治療薬がないんだよ。あの星で、今、国を潰す規模で広まっている伝染病だ。

 あいつ、それをわかっていて行ったんだ。どうしても行くって、聞かなかった。

 あの星にしかないものを、君の為に、取りに行ったんだよ。



 荒く、弾む呼吸。流れ落ちる異常な量の汗。

 金の髪が頬に張り付いている。……ああ、苦しそうだ。


「……ミュゼ……?」


 隔離された部屋のガラス。そこから見えるあの人は、別人のようだった。


「……どうして……ねえ、何でそんなところにいるのよ……」


 今日は実験だって、言ったじゃない。ねえ、私、不安なの。二次元の世界に命を生んでいいのか、不安なのよ。帰ってきたら、どうしても聞いてほしいと思っていた。

 握りしめた花束の棘が、掌に食い込んで血が流れる。


「……起きてよ、カストル」


 ……あんたが言うように、名前で呼んであげるわ。恥ずかしくてずっと、心の中でばかり呟いてきたけれど、ちゃんと呼んであげる。だから、機嫌を直してよ。

 ……ちゃんと、好きだって、言いたいの。ねぇ、だから、目を開けてよ。


『君の誕生日に、間に合うようにって』


 誕生日なんか、どうでもいいわ。

 ねえ、起きて。


「起きてよ……」


 涙が、青い花に落ちる。


『青の薔薇。これを、君にあげたかったんだよ』



 おかしいじゃない。

 最終実験が近いのに。

 あんたが、私の誕生日なんかで無理をして。

 カストル・ミュゼが薔薇のために、プレゼントのためなんかに、無理をして?

 ……そんなの。



『本当に、カストルは君を愛してたんだ』





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