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震える剣  作者: 結紗
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時の回廊2

 



 ………薄暗い研究室に、心拍の電子音が小さく響いている。ここ数日続いていたそれは、ようやく安定期に入り、交代で待機する研究員たちの表情も幾分和らいだように見える。

 十人の研究員には十分すぎるこの部屋は、数年に渡る超長期的な実験の間、ここはずっと闇に閉ざされたままであるが。それも時期に終わるだろう。

 研究室の中央には、棺のような機器が鎮座していた。今まで2次元へと飛ばされていた“それ”が、ようやく彼らの手元に舞い戻ってきたのだ。

 棺型の機器が戻ってきてから、ディディエはできる限り傍に付き添っていた。白衣を着たまま、眠るときは縋るようにして仮眠を取る。食事に離れることも嫌がって、彼はサプリしか口にしない。

 彼が眠りに落ちていたある時、機器側面の開閉部の縁に並んでいる赤ランプが、順々に緑色に変化するのが見えた。辺りは微かにざわつき、他の作業をしていた研究員たちが集まってくる。


「ディディエ」


 低い男声に、紺色の瞳がうっすら開く。夢から目覚めた彼は、ああ、と答えて機器から体を起こした。

 髭面の、強面の白衣の男がランプを指で叩いた。色が変わっているのを確認して、ディディエが目を見開いた、その時。

 ―――ごぼり、と水に空気が混じり合う音がした。

 ディディエは傍らの細身の男に視線をやると、男はすぐに頷いて、手に持っていたコントロールボードを操作し始めた。すると、機器の表面が、武骨な表面をガラスのそれに変わっていった。

 ああ、と誰かが息を吐いた。

 全員だったかもしれない。

 中には、少女の域を脱した女が一人。白い衣服を着て緑色の液体の中に眠っていた。口元から小さな気泡が、少しずつ出ているのが見える。………意識が戻ってくる前兆だ。

 彼女は、水の中であることを知らないのか、うっすらと目を開いた。視線を少しだけ彷徨わせ、声もないままこちらを見つめる男の名を呼んだ。


『ディ、ディエ』


 思わずディディエは機材に手をかけた。腕がかすかに強張っている。それでも何度も、頷いて見せた。声にならない。


「そう、僕だよ。聞こえる?アウラ」

『………?………』

「覚えているかい?君の名前を」


 少し考えるように眉を寄せて、それでも彼女は頷いた。


『ええ。ええ………』


 アウラはそう告げて、目を閉じた。涙は流れただろうか。

 暗い闇から、見た夢は。


『……夢を、見たの』

「………そう」


 ディディエはガラス越しで、寂しげに微笑した。その夢が予想できたからだ。


「………もう少し、おやすみ。君はまだ、目覚めたばかりだから」


 静かに見守る他の研究員たちも、彼女の顔を見て安堵している。刺激を与え過ぎないよう、ディディエに任せているのだ。

 ディディエは安心させるようにもう一度笑みを見せて、細身の男に告げた。息を吐くように、静かに。


「リュクス、電磁波を頼むよ」

「了解」


 機器に一つ、青ランプがともった。微弱な電磁波を流して脳に影響を与えるためである。

 記憶が、意識が、こちらに戻ってくるために必要な手作業だった。

 アウラは、微かに眉を寄せた後、小さく何かを呟いて再び目を閉じた。

 ディディエはそれを逃さず聞き取り、思わず着ていた白衣の上から、心臓の辺りを掴んだ。

 彼女はディディエの片割れの名を、呼んだからだ。

 ………弟、カストルの名を。



***





 研究所では、プロジェクトチームを組んでいる場合は作業用の大部屋を、その他にも各自の個人研究のための個室が与えられている。通常業務も大抵はこの部屋で行われるため、研究員同士が顔を合わせる機会はそうそう多いものではない………のに。

 奇妙な三人組はその後、頻繁に見かけられるようになる。

理由は簡単だ。カストルが私の個人研究に口出しをしに来て、それを煽りにミュゼ伯爵が訪れるから!静かに研究を続けていきたい私にとっては、本当に迷惑極まりない二人。でも最近、この顔触れにも慣れてきた自分がいるのよね。

 ―――結論。慣れって本当に恐ろしい。


「そんなこと言って。実は君が言うほど嫌がっていないことは知っているつもりだよ」


 勝手に持参した優雅なカップに、これまた勝手に飲み物を注ぐディー。また砂糖入れ過ぎだから!と、私は慌てて砂糖の容器を遠ざける。傍らのカストルはといえば、無関心そうな顔でブラックのコーヒー。こいつはこれか水しか飲まないのよね。この部屋に二人の持ち物が当然のように鎮座するという事実には、もう諦め半分だ。根負けしたとも言うのかしら……。ああ、だから慣れって(以下略)。

 ちなみに最近になって、とうとうミュゼ伯爵の呼称はディーへと格上げ(個人的に“格下げ”)になってしまった!カストルを名前で呼ぶか、と究極の選択だったからだ。そんなの、選択の余地なんてないと思わない?ないわよね。ないのよ全然。

 選択の結果、顔を顰めたカストルの真意は知らない。何をやっても不機嫌になる奴だから、また何か気に障ったのだろう。ホント、理解に苦しむわ。


「僕は毎度、きちんと君の大好きなお菓子を届けてあげてるじゃない」


 ほら、どうぞ。男性にしては細い指に摘まれたお菓子が口に寄せられて、反射的にそれを食べた。視界でカストルの眉間に皺が寄る。どこまでブラコンなんだろうか。

 それにしても痛いところをつかれた。咀嚼で答えを誤魔化すしかない。

 ………否定はしないわ。研究員として飾り気のない生活に身を投げたのは私自身。大好きなお洒落も全部捨ててやってきた。だけど、大公息女として生きてきた人生で慣れ切っていた流行のお菓子たちとの断絶がいかに辛かったか!

 そんなことなど、彼らは露知らず。きっと見慣れない高級菓子に私がつられているとでも思っているんでしょう。食欲に勝てない子みたいなので言いたいことは多々ある。でももう面倒くさいから、否定しない。毎度違うお菓子たちは、さすがミュゼ伯爵というべきか。ハズレなし。今日も見事においしいの。手土産を見せられるたび、部屋に通してしまうこの私の気持ち、わかるかしら……悔しいけど勝てないわ。

 ディーはそれにぃ、と語尾を伸ばしてティースプーンをカストルに向ける。


「カストルの意見、ちゃーんと君の研究を進ませてくれてる。でしょ?」

「………このお菓子おいしーよねー」

「こらこら」


 否定はしてない。これだけでも譲歩したと思ってほしい。

 なんとなく頬が熱いような気がして、ひどく恥ずかしい。

 今さら、カストルを褒めるなんて!絶対できない。と、私は無理やりお茶でお菓子を流し込んだ。

 例えそれが事実でも、認めるのはちょっと難しかった。

まだ、今の私には。


「………おい」


 そこでカストルはようやく、温度を感じさせない視線をこちらに向けた。


「空間域設定は先月詰めただろう。この論文の通りにいくか、実証研究を始めないとな」


 研究に関することだったらしい。彼の手元の紙は、完成したばかりの空間域に関する論文だった。先週まで激論を交わしてようやく出来上がったモノ。これが実証されれば、研究チームが即座にできるはずだ。それだけの価値がある。

 偽世界の構築は、簡単にいえば私たちと同じような世界を創るということ。もちろん、仮説だけど、工程は長い。その第一歩として、物理的な事象物としての空間構築が挙げられる。偽世界の構築の最前提である。もっぱら私たちが研究しているのは、この理論だ。

 ディスプレイに表示させる立体的な物体とは、構造自体が違う。ディスプレイの仮空間で、物理的な復元を可能にする。2次元に3次元を突っ込んで、2次元の中に物体を復元させようっていうんだから、普通は気違いとでも言うんだろう。

 2次元の領域に、3次元の領域を展開して3次元を確立する。これがりんご一個でもできたなら、私たちの勝ちだった。そこから無限に3次元の―――通常の世界を展開してゆける。3次元をそのまま存在させるという理論ではなくて、実は軍事用のアクシャム・バリアの理論を応用して、3次元の対象物をバリアで覆うことで存在を確立する、という方法を取った。ちなみにアクシャム・バリアの理論を応用する方法は、カストルの言による。軍事用で、しかも超一級機密であるこのバリアの原理を応用できたのは、何のことはない。彼自身が開発者だったからだ。この個人研究が終わってからというもの、カストルは私の研究にかかりきりになっていると言っても過言ではない。

 カストルの意見はいつも的確で、無駄がない。ここ一年で私の温めていた仮説を片っ端から検証して、叩いて来たのは紛れもなく、カストル・ミュゼだ。私は必死にそれに応えて仮説を直す。それを繰り返してきた。

 こいつは全然優しくない。本当に腹立たしい。………でも、不純物がない。

まぎれもなく澄んだ思考と、それを実行するだけの知識と行動力を持っている。これがなかったら、私だけでここまで来れたか、今ではちょっと、自信がないくらい。絶対に口には出さないけど。

 でもこの理論を温めてきた私の人生、舐めないでほしいわ。空間領域の実証は、誰より私が求めてきたもの。頭の中でどれほど思い描いて来たかわからない。

 今日ここに彼が来た時、私は文句を言わなかった。

 どうしても見せたいものがあったからだ。


「………これ、見て」


 研究台の明かりを消すと、小さな研究室は真っ暗になる。壁に設置されている、大きなメインディスプレイを立ち上げる。

 そこにあるのは一面の空。

 そして宙に浮いている、一つのリンゴ。

 それを見たカストルは、音を立てて立ち上がった。


「まさか、できたのか………!」


 食い入るように見つめているその横顔に、私は思わず笑みが漏れた。


「え、でもこれって、2次元の空と2次元のリンゴじゃないの?」


 3次元との違いがわからないよ、とディーが眉を寄せた。至極真っ当な意見に私は頷く。


「仮説の実証結果がこれよ。2次元に存在する3次元のリンゴ。だけど私たちは、まだこのリンゴが3次元のものであると実証できていない。そんなところね」


 リンゴは原子レベルからプログラムを組んである。紛れもなく私たちが普段目にするリンゴと同じはず。問題は………。


「今度はこのリンゴが3次元のものであると証明しなきゃいけないってこと?」


「そういうことになるわ。私たちは2次元の中に3次元を復元したけれど、今回は理論の確立が一番重要なの。事象より、2次元の中に3次元の空間を構築できることを理論として提示できなかったら、意味がないのよ」


 手段は単純に考えれば二つある。

 彼はこのリンゴが3次元のものであることは疑いの余地がないと知っている。私たちの理論だからだ。

 カストルは私と同じ速度で思考する。

 だから私はカストルの答えを待った。


「3次元が存在する2次元から、こちらの3次元へ対象物を引っ張り出すより、こちらの3次元の物を2次元に突っ込んで証明する方が早いか……」


 私は会心の笑みで答えた。


「私もそう思うわ」



 カストルはようやくこちらに視線を向けてきた。

 そして揺るぎない強い眼差しを和らげて、小さく笑った。


「よくやったな」




 この瞬間、私は沸騰したように赤くなった。

 そして同時に気づく。こんな口の悪い冷血漢だけど、私のとっては最上のパートナーなのだということに。



 ………悔しいけど、認めてあげるわ。






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