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震える剣  作者: 結紗
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時の回廊


 ……暗闇の向こうに、小さな明かりが見えた。

 この、生暖かい闇の中で、そこだけが光っている。


 向こう側には、人が笑い合っているのが見える。まるで暗がりから覗き見ているようで嫌だったけれど、そう遠くない距離に感じる景色は、手に届かないと知っていた。だから、窺うように、そっと。眩しい白い光に包まれた、それを見ていた。

 二人の男と、一人の女。

 まだ若い彼らは、無邪気に談笑している。白い光に透けるような、銀の長い髪の男は穏やかに笑って、傍らの冷徹な視線を女に送る男を宥めている。その男は、三人の中で一番目立つ、金の髪をしていた。二人の男の瞳は、どちらも同じ。

(夜空の、紺………)

 その瞳は、眩しい光に当たって明るい青にも見える。眉間に皺を寄せる金の髪の男は、騒ぐ女に口を開いて何か告げる。その表情に大きな変化がないのと対照的に、男が口を開くたび、向かいに座る女が騒いで立ち上がるのだ。

(そう、だって、何度もひどいことばかり言うんだもの)

 二人を収めるように、銀の髪の男は苦笑して口を開く。その声は聞こえない。こちらには、どんな音も 届かない。無音の景色だった。

 あれは、いつもの光景だった。

 ―――…そう、私たちの。




***




 貴族学校を出てすぐ、私は両親や親戚の反対を押し切って研究所へ入った。大公の娘という事実はまだ明るみには出ていない。夜会が嫌いだったおかげで、私の顔は社交界にも一般社会にも知られていないのは有難かった。

 母の古い苗字を使う私は、どこまでも地味に、目立たず生きている。着の身着のまま、好きな研究に没頭できる幸せをここまで噛みしめている人間はいないだろう。それでも私は幸せだった。

 この腹立たしい目の上のタンコブさえなければね!


「そこをどいてくれないか。視界が遮られるだけでなく、通れないのは不愉快だ」


 きたよ、きた。こめかみがピクッと引きつるのは、もう反射としか言いようがない。

 すぐに勢いよく振り向いて迎撃する。

 今日も今日とて、絶対に負けたくない!いや負けるつもりはないと言ってもいい。


「………アンタのその細っこい体なら、2メートルある廊下なんだから余裕で通れるでしょうよ!」


 振り向いた先には、見慣れた(不本意よ)ぼさぼさのきんいろ頭がひょろりと白衣を着て立っていた。じっと見下ろされるその視線は凍てついた氷のよう。研究所の変わり者どもにさえも、ヘビや虎に睨まれる方がマシだと言わせるこの目。何もかも蔑んだような超失礼な視線!

 研究所きっての秀才、カストル・ミュゼ。無駄に有名なこの男は私の天敵である。

 奴は表情筋を微塵も使わず攻撃に出る。意味ないところで器用な奴だ。


「そういう問題じゃない。不快であるということが問題なんだ。さっさとどいてくれないか」

「だから私に構わずさっさと行けばいいじゃないよ…っ!」


 ちなみに廊下を歩いていたのは私一人。どこもかしこも余裕だらけである。

 攻撃はする。だけど熱くなりすぎてはいけない。

 我らは日々、研究に心血を注ぐもの。常に冷静であらねばらならない。


「視界を大きな物体が遮るもの不快なんだ。他の道を行ってくれないか」


 ……あらねば、ならないんだけどぉ……っ!


「やかましいわ!アンタこそどっか行きなさいよ!」


 こんな喋り方になったのは、絶対こいつのせいだと思う。お父さま、お母さま、わたくしをお許しになってね?

 すると奴は心外だというように、むっと眉間に皺が寄る。

 こちとら最初っから寄ってるわ!


「何で僕が行かなきゃいけないんだ」

「アンタね、何様?!」

「そもそも、その“アンタ”というのはやめてくれないか。失礼だろう」

「名前なんか一々呼んでられないわよ!」


 誰が呼ぶか!


「はいはーい、そこまでにして。ね。カストルが相も変わらず今日もごめんね~」


 きんいろ頭ことカストルの背後から、にょっと手が出てくる。そこで私はようやく、他の人間が間近まで近づいてきたことに気が付いた。

 ………他の人間っていっても、奴の身内だけどもね。


「ミュゼ伯爵」

「やだなぁ、ディーって呼んでって言ってるじゃないか!僕と君の仲だろう」


 どんな仲だ。

 ふわふわした笑顔は、まるで天使のよう。回廊のガラス窓から射し込む光に透ける銀色の髪。いつも緩く胸元に一つにまとめられていて、その姿は柔和な女性のようでさえある。

 顔はにっくきカストルと同じだけどね。こうやってカストルと揉めているときに遭遇する確率は低くない。この研究所はそんなに部外者受け入れに寛容なのだろうか。否だ否!

 無言のうちにこちらの何かを覚ったのか、奴と同じ色の瞳がご機嫌よさそうに細められる。


「本当にいつ会っても可愛いなぁ。ね、君もそう思うだろ、カストル」

「ディー、お前視力ほとんどないんじゃないか」

「なんですって!」

「ははは」


 ミュゼ伯爵はカストルの双子の兄だ。権力の中枢に古くからあるミュゼ伯爵家の長子が、最近爵位を継いだという話は子供でも知っている。そしてその美貌も。しかし、弟が継がなかったことは本当に僥倖だったといえるだろう。表情筋の動きに乏しいカストルが継いだらなんて思うとぞっとする。長く続いた伯爵家が没落なんてしたら、お父さまが困るじゃないの。

 思考が顔に出ていたのか、カストルがじろりとこちらを向いた。


「な、何よ」

「お前絶対失礼なこと考えただろう」

「お前とかいうな!」

「あはは、論点ずれてるよー」

「で、お前は何しに来た」


 ミュゼ伯爵はきょとんとして、次いで破顔した。


「やだなぁ。お茶の時間だからやって来たんじゃないか」

「無駄に転送装置を使うな馬鹿。税金の無駄だ」

「無駄じゃないよ?僕らが僕らであるためだもの。領地のお嬢さん方はわかってくれてるさ!」


 両腕を広げてアピールする。いつもながら大げさな人だ。

 それに動じず自分の道を貫くカストル・ミュゼ。どちらもはた迷惑な双子である。


「僕は今大変忙しい」

「寝る間も惜しんでいつも論文読んでるじゃないか!この時間は僕との時間!」

「………私、もう行くから」


 いつまでも双子の漫才に付き合っている暇はない。日常の業務に加え、自分の研究も形にしていかなければならないのだ。そして私の場合、いつ身分がバレて戻されるかもわからない。正に明日をも知れぬ身である。ほんとにね。

 そう聞こえないぐらい小さく呟いて元の道へ戻ろうとすると、待ったと肩に手がかかった。

 咄嗟に反応できずその手を見る。

 骨ばった、白い男の手。

 そして次の瞬間には、両手に溢れるほど抱えていたデータカルテが消えていた。


「僕はこれを持ってやる約束がある。だから行けない」

「はあ?」


 こちらは無視ですか。そうですか。


「そうなの?」


 ミュゼ伯爵はきょとん、と目を瞬かせた。そして今は奴の腕に抱えられているデータカルテに目をやる。


「随分いっぱいあるね。女の子には大変だったんじゃない?」

「いえ、別に…。いつものことですし」

「ああ、いつものことだ。毎回フラフラしながら歩いて通行の妨げなんだ」

「だからさっきから何ですって?」

「あはは、まあまあ。これも仕事の資料なの?」


 興味深そうにデータカルテを見つめる伯爵。データカルテは機材に入れなければただのカルテだから、それだけ見ても内容も何もわからない。


「いえ。私自身の研究に関するものです」


 そもそも、研究所の通常業務はほぼ通信で事足りる。荷物運びなんて原始的なことにはならない。普通、多くはデータベースに収まっていて、機密情報として通信でしかやり取りできないのだ。それももちろん、研究所の中でだけ。持ち出すことは絶対にできない。

 できるのは、こうやってデータカルテとして資料庫の奥深くに眠っている、誰も見向きもしない情報だけだ。


「ふうん。何の研究?」


 想定通りの質問に、私は沈黙と笑顔で答えた。話したくない、というサイン。


「何の研究?」


 ………この人、笑顔だけどカストルそっくり。人の嫌なところずけずけ入り込んでくる。

 カストルは、ちらりと視線を寄こした。この男は知っている。私の目指すものは、研究所では有名だからだ。

 有名な、笑い話だからだ。

 でも私は、絶対に諦めたりしない。

 理論は完璧。何も恥じることはない。

 けれど次の瞬間、頭にかっと血が上った。


「……ディー。よせ、」

 

 カストル・ミュゼに庇われた………!

 電光石火。私の口は開いていた。


「仮想空間における偽世界の構築です。私たち以外の進化過程を想定するための」


「………へぇ?」


 ミュゼ伯爵は、目を瞬かせた。そして面白そうな顔で弟を見遣る。弟はこれ以上ないくらい不機嫌な顔をしている。美形も崩れればただの人だ。

 そもそも、何だ、そのアイコンタクト。馬鹿にしているのだろうか。私は自然と頬が紅潮していくのを自覚した。


 この研究が人様に認められていないことぐらい、百も承知だ。

 “ゲームじゃない”

 “研究は遊びじゃない”

 もううんざりするほど、聞いてきた。だから傷ついたりしない。侮られているのは分かる。理解しにくいのも知っている。それでも私は信じているから、それを形にしようと努力している。ただそれだけだ。

 喩え研究所の総会で、個人研究には不適切な研究として叩かれようとも。改めようともしない私の態度にか、通常業務の評価にか、今じゃ私の個人研究は皆が知っている暗黙の了解、みたいなものだ。

 だから傷ついたり、しない。……しない、のに。


 頬が紅潮し、視界がうっすら、ゆらいで見える。

 この件でカストルとやりあったことはない。からかわれたこともない。

 ……だから?

 固く、手を握った。自分にショックを受けたのだ。

 どうして、こんなに悲しい。どうして、こんなに羞恥心を覚えるのだ。恥じることなど何一つとして、ないというのに!

 私はこの無愛想な研究馬鹿に、研究のことで馬鹿にされないと勝手に信じていたということ?

 それに気づいて、とても恥ずかしくなった。何を勝手に、期待していたの。……こんな奴に。

 思わず顔を伏せた時、パン、と乾いた音がして再び顔を上げる。

 その光景に目を瞠った。カストルが、データカルテに触れていたミュゼ伯爵の手を払ったのだ。


「いくらお前でも、研究を馬鹿にするような態度は許さない。ここは研究所だ。あらゆる研究が行われるべき場所。彼女を馬鹿にするのは、研究を笑ったのと同じことだ」


 いつもに増して、凄みを増した氷の視線が兄を突き刺す。


「………ミュゼ」

「お前もお前だ。自分の研究にあんな反応をされてどうして黙っている?プライドはないのか」

 

 矢継ぎ早に言われて、それでも反射的に口が答えた。


「あるわよ!」

「なら守れ。お前の研究だろう」


 潤んでいただろう私の目を、しっかり見つめて。

 カストルは今までで一番不機嫌な顔だった。私のために怒った顔だ。

 ありえない、という気持ちと歓喜がない混ざってよくわからない。

 ただ全身が、熱かった。


「ちょ、ちょっと待ってよ!僕は別に馬鹿にしたわけじゃ……ああ、ごめんね。本当に失礼を」


 ミュゼ伯爵はカストルを押しのけて歩み寄ると、私の手を握って申し訳なさそうに言った。今の私はただの研究員。伯爵様が心底謝罪するような相手じゃない。

 その謝罪に、少しだけ心の棘が取れた。カストルのおかげが大きかったのは、心に蓋をして。


「………いえ」

「ほ、本当に違うんだって! 君が、子供の時のカストルと同じことを言うものだから、びっくりしただけなんだよ」

「あ、こら、」

「え?」


 ぎょっと慌てるカストルを押し出して、ミュゼ伯爵はイイ笑顔で言った。


「未来はいくつもの可能性があったかもしれない。それを僕が創るんだ!って。違ったっけ?」


 キラキラしい笑顔で振りむいた先を見ると、真っ赤な顔をしたカストルがいた。


「………え?」

「ここじゃ今は他の研究しているのかもしれないけど、君の研究はまさしく我が弟の悲願なんだ!」

「やめろ!」

「データカルテだって、重いの持ってて心配だっていえばいいのにね~」

「………え?」

「余計なこと言うな!」




 こうして、私たちは少しずつ近づいていった。




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