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震える剣  作者: 結紗
60/79

真実10

残酷な場面がやや入ります。

ご注意ください。

 



                   神は何処や。


                 我らの神に伏しねが

 

                  罪を清めたまえ


                 我らを憐れみたまえ


              この穢れた世を憐れみ救いたまえ


                    きよめたまえ


               あいし慈しんだものを汚泥へと沈めし悪魔を



     

 

               ――祓い、浄めたまえ







***





                 

 

 ふらついた足取りで、長い道のりを歩く。

 学院から屋敷への道は遠く、一歩前へ進むたびに、足枷に引っ張られるような重みを感じる。

 それでも身体を引きずり、幾度も幾度も罪の道を我が足で歩み。

 やがて体は、つるぎは、神の御許へと近づいた。

 罪を贖えば彼らは神のもとへ近づけるのだ。

 だから。


「きよ、めなければ」



 汚れている。

 穢れている。

 それではいけない。

 これではいけない。

 清めなければ。

 浄めなければ。


 きよめるのだ。

 我が剣で。


 巨大な黒い門がジルアートの目前に現れる。

 ああ、悪魔の門だ。

 ついさっきまで見慣れた我が家の屋敷にあった門は、今ようやく彼に真実の姿を見せている。

 悪魔の、門だ。

 そう思い、蒼白な表情が一層悲壮になる。


 「……浄めなければ」


 手にした長い剣を、今一度握りしめる。

 ジルアートの頬に、昏い影が落ちた。

 黒い門を開けて中へ入り、しっかりと厳重に施錠する。これで邪魔は入ってこない。

 誰も、逃げられないのだ。




 午後一番の白い陽光が屋敷の内部を照らす。

 ぎしりと軋む暗い色に変色した床を、一歩、また一歩とゆうるりと進んだ。

 血が一滴……つぅ、と頬から喉へ垂れてゆく。

 さっき殺した家人たちの誰かのものだろう。そう朧げに思いながらも拭う気にはなれなかった。

 家人は代々、同じ家々から輩出された者たちだったはずだ。今思えば彼らの態度はキルセルク家の咎をしっていたのだろう。

 それなら同罪。罪を明らかにし、贖うことが必要だ。だから彼の手で屠ってやった。

 だが足りない。

 まだ殺さなければならない人間たちが、たくさん、たくさん、たくさんいる。


 ――……ああ。酷く身体が重い。

 明かりを灯さないシャンデリアが広間ごとに続いている。その白さが、真昼の異常を表しているようで、ジルアートはとても怖かった。

 怖い。

 そうとも。恐ろしくてたまらない。

 ここには悪魔がいるのだ。

 人間のような笑みの皮をかぶった悪魔たちが。


 きぃ、と扉が開く音がした。

 出てきたのは一人の女性だ。

 ……ああ、とジルアートは微笑んだ。



「伯母上」



 ジルアートは足早に近づいていく。

 血塗られた剣を持って。


 気付いたのか、叔母はこちらを向く。

 その隙に駆け寄って、ドレスをまとった叔母の心臓に迷いなく剣を突き立てた。


「あら、ジルアート?なぜここ、に……ア゛ッ!」


 ずぷり、と背に貫通させて、勢いをつけて引き抜いた。その身体はあっけなく崩れ落ちた。

 引き抜いた剣によって、曲線を描いた血が白い壁や黒い床に「びしゃあ」とかかる。

 青年の白い頬にも大きく一滴、赤い色が付いた。



 「さようなら。伯母上」




 まだ足りない。

 全て。

 全て殺さなければ。

 きっと神はお赦しにならないだろう。

 屋敷中を駆け回り、動くものは全て剣で突き刺した。

 巨大な屋敷の中は、阿鼻叫喚に溢れ。返り血がそこここに跳ね飛んだ。



 「見つけた」



 ジルアートは嗤って、後ろから思い切り父親を刺殺した。

 倒れた体の心臓に、もう一度体重をかけて剣を突き刺してやる。

 溢れて飛び散った血が、一面に広がった。



「さようなら。父上」



 許されない行いに身を沈めてしまった父だけれど、これで神の赦しを得るだろう。

 すぐに息子もそちらへゆくからどうか、待っていてほしい。そう祈って一瞬目を伏せる。


 週末に予定されていた大規模なパーティのために、親族がこの屋敷に集まっていたのは僥倖だ。元々あまり人数もない。

 屋敷の中は、幾らも経たぬうちに血の海と化した。





 やがてジルアートは、最後の一室に足を踏み入れた。

 ふうわりと、甘い匂いが鼻をくすぐる。知っている。誰より知っている。


 彼女の、匂いだ。


 扉を開けた途端、眩しい陽光に目を細める。薄暗い場所ばかり彷徨っていて気づかなかったが、両手も服も足も剣も、真っ赤な血に汚れていた。血に塗れた手で剣が滑る。

 ……体が重い。

 それでもジルアートは、続いている奥の部屋へ進んだ。

 花柄のカーテン。レースに縁どられた豪奢なベッド。

 この寝台の感触を知っている。つい先週末も、ジルアートはこの場所で朝まで過ごしたのだから。

 脳裏に浮かぶのは、温かく、甘やかだった時ばかり。

 いつも通り彼女は外の喧騒に気づきもせず、純白のシーツに埋もれて天使の笑みを浮かべて眠っていた。

 その寝顔に、ジルアートは呆然とそこに佇んだ。

 そしてゆっくりと、動かぬ足で近づいていく。


「……アーチェ」


 姉と呼んではいけないと、彼女は言った。

 その意味が今ならわかる。

 頬に触れようと伸ばした血塗れの手が、触れる直前で震えて止まった。


 食い入るように、ジルアートは一身に彼女を顔を見つめる。

 微笑むような、いつもの寝顔。 

 大切なアジェリーチェ。

 いつもとなんら変わりない、愛した彼女そのものだった。


「……っ」


 からん、と乾いた音を立てて、手から剣が落ちた。

 ジルアートの頬を、涙が伝う。

 幾度も幾度も後から込み上げてきて、ジルアートは心の慟哭に耐えきれずに膝を折った。


「……っう……ぐ、……」


 真っ赤な両手で顔を覆う。


 殺せない。

 殺せるわけがなかった。

 愛している。

 このひとを、愛しているから。

 ……そう、愛しているのだ。



 その時、扉を蹴破るような音がした。声がしてすぐ、遠くへ駆け去る音がいくつも聞こえた。

 大きな一つの足音が入ってくる。

 神官服の男は息を切らせたまま部屋を見渡し、すぐジルアートへ駆け寄った。

 涙を流すその姿に動じもせず、彼の肩を持って視線を合わせる。

 細く冷たい目をしていて、まるで狐のような瞳だった。

 深紅の瞳。

 その男は「落ち着け」と何度か言い、それから宥めるように、肩を叩く。

 ジルアートは涙を零しながら、アジェリーチェの寝顔へ顔を向けた。相変わらず変わらぬ寝顔のままだ。

 彼女は寝起きが悪いのだ。大きな音でも滅多に起きることはない。

 ジルアートは、泣きながら小さく笑んだ。

 寝起きの悪い姉を起こすのは、他ならぬジルアートの役目であったのだ。

 けれどそれも、今日で終いだ。

 殺せなくても殺さなければならない。

 この手で、彼女の息の根を………


「……大丈夫だ。彼女は殺さなくていい」


 思いがけぬ言葉に、はっとジルアートは神官服の男を仰ぎ見た。

 男は淡々とアジェリーチェに向けていた視線を余越し、静かに告げる。


「彼女は神殿の管理下に入ってもらうのが良いだろう。殺す必要はない」


 神の赦しを得て欲しい。

 キルセルク家の「務め」がなぜ行われたのか。なぜ暗黙の了解となっていたのかはわからない。

 だから、贖罪をしなければならないのに。

 けれどどうしても、この手で息の根を止めることなどできはしない。

 ジルアートは、ごめんとアジェリーチェに謝った。



「……神に愛される人であってほしいのに。殺せないんだ」



 ジルアートはぽろぽろと泣いた。

 男は傍らで、何も言わなかった。



「愛しているんだ」



 心の底から、ただ溢れるのは愛おしさだけ。

 この気持ちがどの愛かなんてわからない。



「アジェリーチェ……愛してる」



 ジルアートは彼女を起こす時のように、寝台に乗り出してそっとアジェリーチェの唇に触れた。

 優しく。ゆっくりと唇を合わせてやる。

 羽のような、一瞬のキスだ。

 アジェリーチェは、その口づけによってゆっくりと目を開いた。


「ジーニャ?」


 ジルアートは破顔した。


「ああ。アーチェ。」


「どうしたの?泣いているわ」


「何でもない。何でもないんだ」


 ただ、少し遠くへ行くよ。

 心のうちで、そう呟く。

 殺すことはできなくても、もう会うことはないだろう。

 犯した罪の重さが少しでも和らぐよう。

 ジルアートが彼女にできることはそれだけだ。


 ジルアートは「愛してる」と掠れた声で告げた。

 アジェリーチェは嬉しそうに笑って、ジルアートを抱きしめる。


「少し遠くへ行くから。いい子にしていて」


「わかったわ」


 こくりとアジェリーチェは頷いた。

 何も疑いのない目だった。







「じゃあジーニャ。行ってきますのキスをさせてね」


「……いいよ」


 最後の口づけは、悲しみの味がした。














***






「……あれから、姉には会っていないんです。彼女の身柄は神殿に渡して、それきり」


 櫻は頷いた。それなら法王のジジイの言いなりだったのは姉のことがあるからだろう。

 そう考えてはっと息を呑む。……「務め」と称した行為によって、若いジルアートがどれだけ傷つき、罪を感じたかは一族を惨殺したことからも明らかだ。

 法王に身体を要求されて、どれだけ苦痛だっただろう。耐えがたい屈辱であっただろう。

 生気のない瞳を思い出し、櫻はぎゅっと目を閉じた。


「……辛かったですか」


「ううん。あなたの方が、よっぽど――」


 顔を上げて視線を合わせた時、櫻の目からぽろりと涙が零れ落ちた。

 ぽろり、ぽろり。


「……あれ、」


 おかしいなと笑って誤魔化す前に、気づけばジルアートの腕の中にいた。


「すみません。サクラ」


 私の為に泣いてくれるあなたが、嬉しい。

 そのささやきは、櫻の胸にぽつりと落ちた。


「……ねえ、さっきの神官服の男って」


 大方ルクシタンのお坊ちゃんに違いない。


「そうです。あの時初めて会いました。学院から通報を受けて、神殿から神官が派遣されていたんです。指揮を執っていたのが当時のヴィスドールでした」


 納得して櫻は頷いた。

 ジルアートは櫻を抱きかかえながら、わずかに逡巡したが、やがて口を閉じた。

 ヴィスドールの思惑まで櫻に話すことはない。自分が阻止すれば良いだけのことだ。

 なにより、見知らぬ世界で懇意にしている人間に裏切られる辛さを味わってほしくなかった。

 身近な裏切りの辛さは、身をもって知っている。

 意識を切り替え、話を進める。


「私は一族を惨殺した罪を問われる筈だった。キルセルク家の「務め」は暗黙の了解であって、別に表立った犯罪ではなかったし、表面上は私が行った事実しか公表されなかったので」


 確かに、ジルアートの行いは一足飛びだ。

 殺さなくても何か方法があったかもしれない。

 ……そう考えて、やめた。彼の悲しみや憤りを、その場を知らない櫻が冷静に評価していいことじゃない。


「けど、拘留されて裁判を待っていた時期に前代のアウラ様から剣の主としてお告げを受けてしまいまして」


 頷く。そうなってはおそらく、事件は揉み消されたのだろう。

 アウラの傍に侍る予定の剣の主が咎人では体裁が悪すぎる。

 ジルアートによれば、それから神殿に籠ってアウラを待つ日々を送っていたそうだ。

 これで全てお話ししました、とジルアートが一息つく。

 櫻は眉を寄せる。まだ納得いかないことがあるからだ。


「……ジルアートは私を恨んでいないの?」


 お茶の支度をしようと立ち上がったばかりのジルアートは振り向いた奇妙な顔をした。


「はあ?……何をどうするとそういう話になるんです」


 やや乱暴に櫻の横に座りなおす。

 櫻はといえば、そわそわと極まりが悪そうに視線を彷徨わせ、それを床に向けたまま口を開いた。


「……本当は、裁判できちんと裁かれて、罪を償いたかったんじゃないの?」


 ジルアートは押し黙った。櫻を見つめたまま。

 一族を切り殺したのは、ジルアートがそれこそが彼らの贖罪になると考えたからだろう。

 殺すという行為が、純粋な悪であることは疑いようもない事実だ。

 ジルアートはそれを知っていて、剣を振るった。

 それはつまり。


「……殺して、その後自分も裁かれるつもりだったんでしょ?それだけ大量に殺してしまったら、きっと途方もなく重い罰を受けるから。……きっと」


 櫻は恐ろしくなって、口を閉じた。

 恐らくジルアートは、死ぬ気だったのだ。

 一族を殺し、彼らの死を背負い、ジルアートは裁かれて命を絶つつもりだった。

 それをなんとなく察し、櫻は唇を噛みしめる。

 のうのうと生き延びることを選ぶようにはとても見えない。

 大切な姉さえ守れれば、ジルアートは喜んで命を捨てたに違いない。

 だから、そのきっかけを失わせた次代の「アウラ」である櫻を、恨んでいてもおかしくないのだ。


「そんなことを考えていたんですか」


 ジルアートは思いがけない強い力で櫻の顔を上げさせた。

 揺らいで涙に潤んだ瞳にジルアートが映っている。


「お願いですから、斜めに突っ走って考えないで。一度もあなたを恨んだことなどありません」


 強い瞳で、きっぱりと言い放つ。


「確かに罪を裁かれる必要があると思っていました。でもそれは、私にとってはあなたというアウラに仕えることだったのだ、と考えたのです。だからこそ、あなたが来るのを待ちわびていたんですよ、私は」


「で、でも」


 それに、だって、と今にも涙が零れ落ちそうな櫻を目のあたりにして、ジルアートは内心嘆息した。

 また妙な予想を真実のように考えて、そのまま進化させて考えているに違いと思ったからだ。ついでに言うと、それを聞き出すのはやや恐ろしく、若干億劫でもあった。


「何です?」


「お、お姉さんのこと……」


「姉が何か?」


 何を言いたいのかわからない、と本気で訝しげな表情をしたジルアート。


「好き、なんじゃないの……?」


 ああ。とジルアートは冷静に納得した。

 激高した時の話でさっきの昔話は終わっていたのだから、そう捉えても仕方ない。

 それを怯えていたのか、と苦笑して、胸があたたかい感覚に頬を緩ませる。


「それは、家族としてです。確かにキルセルクの誰より懐いていたし、仲が良かったけれど……」


 ジルアートはふわりと笑って、櫻の額に自分のそれをくっつけた。

 間近に迫った瞳に、どうか魂からの言葉が伝わるようにと、願いを込めて。







「……女性として愛しいのは、この世界中探してもあなただけだ」







 ずっと欲しかったその言葉に、櫻は泣いた。






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