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震える剣  作者: 結紗
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真実8


「………務めは、食事と同じ回数だけ行われていました。叔母や祖父、キルセルクを名乗る者は皆。だから、それが当然なのだと思っていました。務めというものが何を指すのかも知らないうちから。一族中で交わり、子を為すことこそがキルセルク家の責務だと。サクラも知っているでしょう、私が穢れた一族だと呼ばれていたこと」


「………そんな」


 櫻の瞳はジルアートを捉えているものの、ゆらゆらと不安定に彷徨っているようだった。

 ジルアートは苦み走った笑みで応じる。無理もない。こんな話を聞かされれば、吐き気を催してもおかしくはないのだから。ジルアートの手は櫻の髪をゆっくりと梳き、頭を撫でてゆく。


「……その務めがなぜ必要なのかは、私もよくは知らないんです。血を濃く残すことという、その意味が。でも、これは神殿や王宮が公認していることでした。どこに隠しているわけでもない。……とはいっても、裏での公認といったところでしょうね。表立って口にされたことはまずありませんし」


 みんな、こんなこと口にもできないでしょうが。

 ジルアートは嘲笑した。もちろん、自身をだ。

 暗い目に気づいた櫻は、とっさに腕を引いて口づける。

 重ねた後に合わさった瞳。櫻が見たのは相手の驚きを露わにした姿だった。

 ジルアートが驚いたのは、行動だけではない。見つめた瞳があまりに澄み、まっすぐにこちらを見据えていたからだ。


「そんな顔をしないで」


「……サクラ?」


 訝しげに眉を寄せる姿が映る。

 特に意味があったわけじゃない。体が勝手に反応しただけだった。

 けれど櫻は、一度視線を逸らせて言葉を練り、瞬きほどの間ですぐに向き直った。


「何があっても、嫌いになったり蔑んだりしない。私はあなたの、なに?」


 胸を突かれたように、ジルアートは櫻を見つめた。

 櫻は動じることもなくその視線を受け止める。

 まるで、凪いだ水面のように、静かな視線だった。


「……私の、アウラです」


 吐息と共に、返答が告げられる。

 そうよ、と鷹揚に頷いて、また傍らに寄り添いながらも、櫻の口元は安堵に緩んでいた。

 敵わないな、と先ほどより甘さを残した苦笑をし、ジルアートは肩を竦める。

 続きを促され、ジルアートはどう告げたものかと宙に視線を彷徨わせ、しばらくして口を開いた。



「………つがう相手は誰でも良かった。けれど………」







***






 家畜は毎日、卵や乳などを産出する。

 思えばそれと、さほど違いを感じていなかったように思う。「務め」に疑問は必要ない。ただただ、毎日黙々とそれをこなし続けることこそが必要だった。

 例えるなら、救いを求める信者が日々祈りを捧げる行為と大差ない認識だ。

 隠遁と禁忌。快楽と享楽。

 この世の地獄絵図のような光景が、自分にとっては当たり前の家族絵図だったのだ。

 狂った歯車こそが、日常であり、それこそが唯一。

 そう、たった一つ、ジルアートに許され、与えられたものだったから。


 昼の日差しが降り注ぐ眩しい室内。その奥に設えられた寝台は、真っ白なシーツが光を集めて輝いているように見えた。

 正確には、今この時もジルアートを包み込み、甘えた声で啼いている金色の天使が彼にはそう見えた、というだけのことではあるが。

 彼女の奥を突き上げて見せれば、あん、とかわいらしく応えた彼女の顔が、愛しかった。

 おかしく笑って見せれば、ふにゃりと相互を崩した彼女が反撃に出る。

 行為の深ささえ目をつむれば、まるで猫がじゃれ合っているような様子だった。


 精通を迎え、務めを初めてからのこと。

 ジルアートは快楽に従順だった。教えられた“務め”にすぐにのめりこんだのだ。

 アジェリーチェに教えられた快楽に溺れるのに時間はかからなかった。行いの意味などさほど考えることもなく。

 ただその行いが快楽に満ち満ちたものであるというそれだけで、坂道を転げ落ちるように、彼はまさしく動物としての本能を包み隠すことなく実行して見せた。

 心地よいもの。柔らかく、甘いもの。美しいもの。

 それらを一身に集めたアジェリーチェは、そこにあるというだけで彼を誘惑してくれるおかげだったのかもしれないが。

 本能のままに貪り合う行為は、日に一度で終わることは滅多になく、頻繁に務めに励んでいた。朝、起きたての天使に誘われ、昼は食事の途中でなだれ込み。夜はしっとりと闇の中で行われた。

 日に幾度となく彼に触れようとするアジェリーチェ。

 ジルアートはそれを当然のことと受け入れて、日々務めを果たすべく奮闘していたつもりだった。……いや、快楽を伴っている以上、そこにあったのは目先の欲望だっただけかもしれない。

 突き刺せば流れ込んでくる快楽に、正義だと思っていた心に、迷いはどこにもありはしない。


 絵に描いたような、禁断の楽園だった。




 その日も務めを幾度か行って、アジェリーチェが午睡に入った頃だった。彼女は女性の身であるがために、ジルアートよりも「務め」に体力を消費する。

 身を清めた彼が寝台に戻ると、すやすやと眠りについたアジェリーチェの寝顔が見えた。

 ジルアートは小さく笑んで、傍らに横になる。

 そっと抱き寄せ、彼の胸にアジェリーチェの頬を触れさせる。この温度が好きなのだと、いつも彼女が彼に乞うからだ。小鳥のようなささやかなキスを頬にして、心地よい倦怠感と共にジルアートは目を瞑った。

 昼食後のこの時間は、「務め」を果たしている者が多い時刻。

 家人ですら室内を出ることは滅多にない。幼いころは懇意にしていた家人たちも、ジルアートが「務め」に加わったことを機に距離を取られてしまっていたからだ。

 家人たちにはそのような「務め」はないのだから、未知であろうあの行為に怯えるのは致し方ないことなのかもしれない、とジルアートは思っていた。自分も初めて目の当たりにした時は驚き戸惑ったし、恐れだって抱いたものだ。

 それでも、この気持ちよさを知らずに生きているだなんて、哀れな気もするけれど。

 ジルアートは「務め」が本来、個人的に行われる愛の行為であることなど知りようもない。だから当然のように、彼らが行為の経験があるなどとは考えもつかないのだった。

 そこへ、きぃ、と静かに扉を開ける音がして、ジルアートはそちらへ振り返る。するといつものように、品のある美女がこちらを向いて佇んでいた。

 高価な宝石をつけ、手入れを欠かさぬ眩いほどの肌。妙齢とはいえ、余裕のある艶やかな美女であることには変わりない。にこりと笑んで見せる計算高い表情。 こちらへ来いと誘っているのだ。

 やれやれ、と内心嘆息しつつも、天使のようなアジェリーチェとは異なった趣を教えてくれる彼女との「務め」は嫌いではない。

 ジルアートは傍らに気を配りつつ、そっと寝台を抜け出した。そして若い彼の身体を欲しがる、彼女のもとへ。


「こんにちは、伯母上。参りましょうか」






***






 腐った果実とは、正にこれらの行いそのものであり、腐ったものは朽ちることしかできないのだ、とジルアートは櫻に告げた。


「………あんなにも一族中が励んでいたというのに、今思えば誰も子ができなかった。それを思えば、行く末は決まっていたのではないかと。そう思うことにしています」


 ジルアートはそこで、一息ついた。

 深く深呼吸して、櫻の肩に凭れ掛かる。反射的に櫻も彼に身体を寄せる。

 その仕草に、くすり、と苦笑じみた笑みを漏らす。


「もう、やめませんか」


「え、何を?」


 きょとん、と瞬く櫻の肩を抱いて、ジルアートは再び深く息を吐いた。


「ぐっちゃぐちゃでしょ。これ以上話して、あなたに嫌われることが怖いんです」


 そんなこと、と櫻は内心歪んだ心を感じ取った。

 法王の時のような映像を見たわけではないが、それでも彼自身への嫌悪感ではなくて彼の姉に対する嫉妬心が心を埋め尽くそうとしている。そんな心境を知らないからこそそんなことが言えるのだ。

 

「いやよ。話してね。これからも、この先ずっと、見えないものにやきもち焼いて生きていくのはいやだもの」


「……やきもち?」

 

 ジルアートは初めて聞いた言葉だとでもいうように、目を瞬かせた。


「そうよ」


 当然だ、と櫻は頷く。

 赤い髪が彼女の頬にかかる。とても綺麗な、透き通るような髪だ。

 陽に梳かすと薔薇のように甘い色になる。

 誰に、と問われるのが癪で、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。


「さあ、それで?」


「……全寮制の学校に入ることになったんです。それが、転機でした」






***






 ウィスプランドには、由緒ある全寮制のマリーシア学院があった。そこは貴族の子弟たちが集う、いわば社交場の前訓練のような側面を併せ持つ施設といっていい。

 グランギニョルには大きな島であれば学院が設立されているところも多い。しかし、ウィスプランドには政治の中枢を担う貴族の邸が多くあることからも、マリーシアといえば未来の政治家たちの登竜門として知られていた。

 ジルアートがここに入ることになったのは当然の流れだった。かつて父も祖父もマリーシア学院を出ているし、キルセルクが闇の義務を担っていることを省いても古くからの名家として名高いからだ。

 入学時に、今後のキルセルク家が担うべき貴族としての応対はジルアートに委譲されることとなった。これも慣習であると告げられた。卒業したのちは速やかに「務め」に戻ること。それは絶対条件として挙げられていたが、当時の彼への圧責はそう重いものではなかった。

 貴族としての振る舞いは未知の世界であったが、元々器用だった彼にとっては造作もないことであったからだ。

 むしろ残してきたアジェリーチェが心配でならず、入学したての頃は早く家に帰ることばかり考えていたぐらいである。

……そう。何も知らなかったのだから。


「私の住んでいた邸は、とても広大な土地だったと話したでしょう。人目に触れない土地。本来は、そちらが本邸にあたるのです。「務め」の場であるからね。ウィスプランド……ここにも邸はありますが、便宜上のものなのですよ。家人はいましたけれど、父も祖父もほぼ「務め」の為に本邸に籠りきりでした。早く私にも務めに戻ってほしかったでしょうね。何せ――」



 子が生まれないのだ。

 あの頃、キルセルクの者は皆焦っていた。



 ウィスプランドの邸へ入ったのは、学校へ入学する直前のことだった。

 ジルアートの入学前は、父や祖父が政治に関わらなければならない時や、出席しなければならない宴やら催しがあった時に使用していた邸だ。



「それでも結構、自由にさせてもらいましたよ。……とはいっても、やはり悪い意味で目立ってしまっていましたけどね。あの時の私は何も知らなかったけれど、周囲の生徒たちは皆、キルセルク家の孕む義務の意味を知っていたんです」


「じゃあ、学院で……」


「……ええ。初めて知りました。それも嫌な状況でしたね。入学してすぐのことだったと思います。子供たちとはいえ、悪ふざけに罵られて、そこで初めて真実を知った。……「務めは」、」



 そこで、ジルアートが語尾が震えたことに気づいて口を噤んだ。

 櫻はただ、ひたすらに言葉を待った。

 神を敬うように、祈りを捧げるように繰り返してきた行為が、禁忌のものだと知ったなら。

 身近な家族たちが、呪われた淫らな行為に身を落としていたのだと、知ったなら。

 ……どんな、気持ちになるのか。櫻には想像もつかない。



 自分を形作ってきたすべての物が、この世界に反していたのだと、知ったなら。


 

 ジルアートは泣き笑いの表情で、櫻に告げた。







「務め」は、穢れた呪うべき行為なのだと。

 彼はとうとう、知ってしまったのだ。




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