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震える剣  作者: 結紗
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真実3




 深夜、ウィスプランド中心部にジルアートが戻ると、屋敷にはヴィスドールからの報告書が届いていた。屋敷の中はすでにほとんど人の気配が残っていない。主人のために誂えられた居室の机に置かれていたそれを、ジルアートはかすかに眉を寄せて取り上げた。

 報告書といっても、互いの利益のための連絡に過ぎないが、この方法は両者の立場を最大限に活用するものとして、しばらくの間使用されてきたものだ。いつもと同じ、白い簡素な封筒。だがこの封筒には術という呪いがかけられているらしいことをジルアートは知っている。開封したものが彼本人でない場合、この手紙は持ち主の手を巻き込んで燃え尽きるだろう。その仕組みまでは興味がないが。

 嘆息し、暗闇の中を明かりもつけずに執務椅子に腰を掛ける。ここのところ薄暗い櫻の部屋で過ごす時間が長いせいか、このぐらいの明度の方が落ち着くのだ。

 ―――………ぐったりと、大きな椅子に身を預ける。この椅子はもう随分古い。祖父の代では既に今と同様の年季を感じさせていたはずだが、いつの当主から使われていたのかは定かでない。けれど飴色をした、いい艶をしている。水に身を投げ出すようにそれに寄りかかりながら、気のない様子で再度封筒をじい、と見つめる。表情なくそれを見つめても、この薄闇と窓から差し込む白い月の光のなかでは輪郭を捉えられる程度でしかない。机の上のランプに小さな灯りを灯し、渋々手紙の封を切ってさっと目を通す。既に慣れた仕草だ。………櫻の傍に在った時は神殿の居室に赴く前の毎朝の日課だったのだから。

 何てことはない。一度アウラの身体を披露宴の会場のあるこちらへと移送することになったということ。いつまでもルクシタンの別邸にあっては、神殿の上層部のみならず、他の権力者たちは落ち着かないのだろう。くだらないな、とジルアートは氷の眼差しで切り捨てる。


 ―――そう、くだらない。こんな毎日は。


 ただし、後半の記述にはジルアートも目を止めた。ルクシタン別邸付近で起きた第五の光柱の出現が、神殿や王宮では不穏な騒ぎとなっているらしいという事柄である。

 ………ヴィスドールが殺した”怪鳥”ラゴン。それはかつて召喚されたばかりの櫻を襲った怪鳥だ。この件が六戒に関するという報告なら当の昔に入っていたが、どうやっても光柱の出現時期や場所の特定は不可能だった。だから櫻の間近に光柱が落ちたと聞いたときは、酷く驚いてしまったのを覚えている。まさかこのウィスプランドに―――アウラである彼女の目の前に落ちることになろうとは、ジルアートのみならずヴィスドールも考え付かなかったことであったのだ。

 ジルアートは、傍らの薄いレンズで作られた眼鏡を掛けた。微かに首を傾げて考え込む様は、正に貴族の青年のそれだ。アウラの傍で膝を付いているときのものとは顔つきも違う。政治や社会の駆け引きが日常だったジルアートにとって、それを淡々とこなしていくのはもはや苦ですらもない。年齢や経験などより、相手の弱点と何もかもを笑顔で封じ込むだけの力。それがあれば問題はないということを嫌でも痛感させられてきた。

 ジルアートの脳裏は、既に櫻に関する自体への対処で進んでいた。問題は身柄の移送よりも、アウラの降臨が懐疑の的にされているらしい、ということだ。六戒の詳細は公表されていないが、光柱が落ちたことは、このグランギニョルにいる誰もが知っているはずだ。実際に目にしなかった者はいないといっていい。光柱はその名の通り、雲の向こうの天上より一直線に島に突き刺さる。グランギニョル中の民がそれを目にしたはずだ。

 ………だからこそか。と、ジルアートは目を細めた。光柱がアウラの間近で落ちたという情報は、やむを得ず上層部には伝えていた。披露宴の延期にせよ何にせよ、今後の対応に関わってくるので致し方ない決断ではあったが、アウラがいる場所に光柱が落ちたことや、そのアウラが姿を現さないでいることが、多くの憶測を呼んでいるらしい。だがヴィスドールならば予想できた事態だろう。この書簡にも、現状だけが綴られていて、騒ぎに便乗する様子もない。

 確かにアウラという存在はアウラたる資格などもってはいない。代々、アウラの最後の任として神託で定められた剣の主を選出し、その者がアウラを迎える。これで恙無く過ぎてきたのだろう。だからこそ、アウラとしての櫻は披露宴で剣の主たるジルアートが迎えて初めて、アウラとして立つことができるのだ。光柱がアウラの傍に落ちないなどという法則はないが、神託者たるアウラを害する可能性のあった光柱が落ちてしまっては、アウラである櫻に懐疑が集中するのは避けられない。しかも、その当の本人が意識不明の昏睡状態で披露宴はできないときた。報告だけの情報に、上層部が揺れるのもわからなくはない。………だが、どうすれば。


 人気の無い、静かな部屋でジルアートは物思いに沈む。この屋敷に残された人は既に少ない。昼間とて、数えるほどの使用人しか置いてはいない。キルセルク家の当主といえど、剣の主としてセ・ラティエに留まり続けている。この屋敷に残るキルセルク家の人間は、事実上屋敷に存在しないことになる。


 姉の姿はもう、この屋敷にはない。


 ジルアートはふと、思考の海から意識を浮かべ、月光の差し込む窓辺に身を寄せた。暗闇でわからないが、目の前には広大で見事な庭園が広がっているはずだ。頃合になれば赤い赤い薔薇が、かつて思ったように………姉の唇のように鮮やかに色づき、咲き乱れる。………そう、


(今までの俺は、ただ、そう思い描いていたはずなのに―――………)


 彼女だ。………一度もここに訪れたことのない彼女の面影が消えてくれない。ジルアートは眉を寄せて、目を閉じる。………そして、苦しみから逃れるように窓に凭れた。

 容易に想像できるのだ。おずおずと初めての庭に足を踏み入れる姿。手を引いてやれば、少し照れたように笑んで、きっと握り返してくれるだろう小さな手。きっと陽の光の元で大輪の花々に囲まれれば、嬉しそうに顔がほころぶに違いない。………そう、考えて。



 ―――乱れてゆく。



 思考が。



 ………心が。


 諦めたくないと考えるすぐ後ろで、闇が口を開けて待っている。ジルアートのすぐ後ろに。

 血に濡れた赤い腕。父、母………血縁の怨嗟。それらの後ろに、金色の髪を持つ姉も。

 自分と同じあの瞳で、こちらを見据えている。



”ジルアートの瞳、きれいね。夜空の色よ”



 何気なくそう口にされた言葉の一つ一つが、ジルアートをどれだけ癒し、慰めてくれたのかを彼女は―――櫻は知らない。当たり前のように口にされるそれらは、彼には耳慣れぬ言葉ばかり。

 ………それが、たまらなく心地よくて。

 ジルアートの心を乱す言葉は無意識で、櫻は気にした様子もなく朗らかに笑っていた。年長者として虚勢を張ってみたり、精一杯の強がりを口にしてみたり。

 ジルアートの硬い視線がふと、和らぐ。

 彼女は気づいていないだろう。強がって、口にして、そうしてその後すぐ、ちらりとこちらを窺うような視線をよこすことを。その瞳がひどく揺らいでいて、抱きしめてしまいたくなる衝動に駆られることを。





 月の光が、突き刺す冷気のように彼に降り注ぐ。

 ああ、と彼は思った。




 こうして離れてみると、会いたくて会いたくて仕方がない。

 焦がれても焦がれても、届けることのできない指先だけれど。





 ………愛しているのだ。





 彼女のことを。






「………っ、………」






 言葉にできず、ジルアートはただ歯をくいしばった。





 愛してる。愛してる、愛してる。

 こんなに………愛しているのに。





 きっと自分にできることは、再び彼女を泣かせることだけ。

 ヴィスドールの告げたことは間違いではない。きっとジルアートはいつか………いつか。

 櫻の心を刃のように鋭い凶器で傷つけてしまうのだ。












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