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震える剣  作者: 結紗
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アジェリーチェ6

 ……じんわりと。身体の側面が熱を帯びている。その熱は櫻の欲しい温度に近くて心地よく、頬を擦り付けるようにして寄せた。

 遠くでやかましい誰かの声が聞こえた気がするが、気のせいだろうか。

 なんだか、頭を働かせなければならない気がする。する、のに。どうしてだろう。たゆたうこの温度が愛おしくて仕方なくて、どうしても手放せない。

 今はもう、この真白い意識の中で、まどろんでいたかった。




「………起きましたか」


 至近距離に、久方ぶりに見る夜空色の瞳が櫻を待ち受けていた。どこかで見たな、とぼんやりしながら彼を見つめた。櫻とジルアートが互いに身を寄せ合うように横たわっていれば、自然、顔の位置は近づき小さな有限の空間ができあがる。そのとおり、櫻の耳に彼の声はよく響いた。


「………ん、おはよう」


 伸びあがるように首を反らせ、薄く柔らかな青年の唇に同じそれを合わす。ごく自然にできるようになってきたこの行いが、甘く激情に満ちた時間とは異なった充足感をくれるのだ。

 会ったらどうしよう、何を話そうと悶々としていた時間が無駄であったかのように、不思議と今の心は凪いでいた。情を分かち合った後だからか、不安をそれほど感じない。

 ジルアートは少しだけ気まずそうに、久しぶりに年相応の表情であの、と囁く。


「………すみません。サクラ。貴女に無理を強いてしまいました」


「無理?」


 少しだけ目を伏せて、青年は続ける。


「………少し、不安になっていたのかもしれません。……いや、それもどうかな。貴女に会いたくて会いたくて、それが儘ならない毎日に我慢できなくなってしまったんです」


 そんなに正直に話さなくてもいいのに。

 どうしてかって、それはこちらの頬の紅潮が止められないからに他ならない。段々と時間をかけ、とうとう顔を真っ赤に染め上げた櫻は、それでも目の前の、少し気恥ずかしそうに目じりを朱色に染め上げた青年から視線を離すことはしなかった。

 ………こうやって、気持ちを伝えていくしかないんだ。

 そのことを、ようやく今になって櫻は理解できたような気がした。恋愛の一つや二つ、何度だって経験してきたけれど、心を裸にして、想いを伝えたことなんて、一度だってない。

 ………それでも、こんな穏やかに彼は告げてくれるのだ。

 櫻は緊張にかじかんだ手で、温かな熱を持つ青年の手を握り締める。そして、胸元で大切にそれを抱きしめて、言った。


「………私も。私も、寂しかったよ。会いたかったし、抱きしめて欲しかった」


「…………本当に?」


 櫻は視線を逸らさず言った。その視線を受け止めたまま、ジルアートは微かに眉を寄せて尋ね返す。

 けれどそれは、想定できた問いだった。だから櫻は驚くことはなかった。

 震えるように、息を長く、吐いたけれど。


「………ねえ、キス、して」


 甘えるように、目を伏せて告げると、ジルアートはすぐに身を起し、優しく唇を櫻のそれに合せてくれた。一度、二度、と甘く唇を潰すように口づけて、深くなる前に櫻は指先でそれを止めた。目を開いたジルアートと、間近で視線が重なる。


「………キス、だけでいいの」


 櫻はそう言って、今度は自ら顔を傾けて青年のそれに押しつけた。

 一度。



(信じられなくて、ごめんなさい)



二度。


(本当に、大好きだから)



三度。



(優しいところ、本当に、私を大切に思ってくれてるところ)




「…………私の、こと。好き?」




 聞きたかったのは、本当にそのことだけだ。

 正確には、誰よりも、とか、お姉さんよりも、とか、そういう修飾語はつけたいけれど。

 何よりジルアートに確認したいのは、そのことだけだ。

 ………なんて、きれいごと。

 それでも、櫻の唇は、頑なにそれを告げることはなかった。


 ジルアートは、擦れた声で何か、言いかけて………口を閉ざす。

 櫻の両頬を両手で覆いながら、「そんなことを考えていたんですか」と苦笑しながら、その顔に口づけの雨を降らす。その表情は柔らかい。

 「そんなこと」とはここまでの櫻が挙動不審であったことを示すのだろう。

 櫻は嘘ではないから小さく頷いた。

 どうしても、心が震えて言えなかった一言がある。

 何度も待てばいいのだと、逃げてしまった一言が。



(お姉さんと私と、どっちが好き?)



 聞けない。………聞けない。

 どうしても、聞けないの。

 櫻は、自らを誤魔化すように、ジルアートの首に腕を絡ませた。






***





 ジルアートの疑惑は、櫻が心の奥の底に沈ませてしまったことによって、大方晴れたようだった。以前よりも長く滞在していく日が増えたが、櫻も喜んでそれを出迎えるからである。

 櫻は、悩むことを恐れるように、そのことに触れるのを自ら禁じていた。一人のときも、考えることをやめたのだった。結局、あの問いをジルアートに向けることができないならば、幾ら考えても無駄であり、このことを誰かに相談できるわけでもない。不安になるだけ不安になって、挙動不審になればジルアートが訝しむ。かといって、尋ねることができない以上、これはもはや堂々巡りになるほかない。忘れようとするほどに、その意思は強かった。

 青年に抱き締められたり口づけられている間はそのことすら、忘れられる。櫻はこの頃から、意識してそうするようになった。そうすれば、とても例えようのない幸せな時間が手に入ったから。徐々に、徐々にそれに慣れていった。

 

 それに今、櫻が考えなければならないことは、山ほどある。

 アウラの死が六戒には記載されていないこと。

 五つ目の光柱。

 (うっかりしていたが)披露宴。


 披露宴にはウィスプランドのみならず、グランギニョル中の権力者たちが集うことになる。パメニや後から到着したシェバトたちによると、当日のアウラは、儀式の後、挨拶を受ける側に回ればいいとのことだが、ただ挨拶を受けるにしても、相手の情報は必要である。主に今後のために。ずらっと並んだ名前の一覧を手渡されては説明を受け続け、日中、自然溢れるこの場所で行ったことと言えば、ひたすらこの挨拶に来る者を覚える作業だった。早朝の散歩と、ジルアートとの逢瀬。この三つをひたすらにこなしていただけで、呆気なく櫻の二週間は終わってしまった。




 明日は昼過ぎにヴィスドールとジルアートの二人が到着する。

 ヴィスドールに会うのはセ・ラティエぶりだ。少しだけ心が弾む。

 あの美貌の女性には、朝の散歩を欠かさず行ったのにも関わらず、一度も会うことができなかったのは残念だけれど。

 そう思いながら、櫻は眠りについた。




 


 翌日の出来事を、知る由もなく。



大変お待たせいたしました。(そして短くてすみません…)

言い訳は活動報告でさせていただきます。


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