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震える剣  作者: 結紗
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アジェリーチェ2




 ………ぎぎぃ、ぎぎぃ、と木が軋む音が繰り返される。その音をずっと聞いていたけれど、不意にその音を知っていることに気がついた。ふと、目が開く。

 ――― これは、例の時計塔の中だ。



「気がついた?………はー。お・そ・す・ぎ。アロー、アウラ」



 足は、立っている。今自分が立っていることに気がついて、この目を覗き込んでいる目と視線が合った。空のような青く澄んだ瞳。

 はっと櫻は意識を取り戻した。くりくりと覗きこまれる目があまりにも近いことに気づいて一歩、後ずさる。


「な、なに」


 無言のまま、じぃっと見上げる視線。本来なら男の方がずっと背が高いのに、屈みこんでいるせいで見上げられてしまうのだ。

 男の顔を見るのは初めてではない。無表情、無感情だが精巧な造りの顔。人形のようだといつしか思ったが、同じ無表情であるのになんだか視線に敵意を感じる。

 ………なんだろう。この違和感は。

 それを探し出す前に、しばらく櫻を眺めていた青年は、はあと嘆息して皮肉った。


「なんなのこのドンカンさ。ってゆーかありえない。どんだけ寝てんの人の前で」


「………はっ?」


「僕がどれだけここで待ったと思ってるわけ?!ばかアウラ!」


「なんなのあんた!」


 櫻は反射的に言い返した。

 違う。この男は今まで幾度か会ってきた「管理者」じゃない。櫻はそう直感した。

 強く睨みかえすと、人形のようだった相貌のまま急に生き生きしている青年は、物ともせずに返してくる。


「呼んでから僕はずーっとこんな退屈なところに一人で押し込められていたんだよ?信じられない、なんなのいったい。僕を誰だと思ってるのさ」


「その傲岸不遜な物言い、何とかしなさいっていつも言ってるでしょ?!」



 跳ね返すように言って、はっと両手で口を塞ぐ。

 ………今、自分はなんと言った?



 息も止めて全身を震わせた櫻。………それを冷静な目で見つめていた青年は、まあいいやと首を振って続ける。櫻の混乱など見もしなかったように。


「勝手に混乱してるトコ、悪いんだけどさ。時間がないんだよね。僕がログインしていられる時間だって、無尽蔵じゃないし。――― っていうわけで、アウラ。伝言だ」


 こちらを向き直った青い瞳が櫻を射る。

 その視線が冷たくて、視線にぶつかった途端、混乱の内にある櫻はそれを全部彼方へ放り投げた。混乱するのは後だ。


「もうすぐ、5つ目の光柱が落ちるよ」


「…………え?」


 その後に続く青年の声は、ひどく緩慢に聞こえた。


「グランギニョル消却命令の条件は6つだ。わかるよね。君だってわかってるはずだ。それがグランギニョルの民が言う“六戒”だってことはね。5つはそれを満たしてしまったわけだけど、でも5つめが破られたのは最近なんだよ。だからまだ光柱が落ちてない」


「ちょっと………ちょっと、待って」


 ヴィスドールの話では、既に5つの罪は犯された。それは間違いないのだろう。だが罪が“六戒”に相当するものであるかどうかは光柱が落ちなければわからないはずだ。

 ではなぜ、ヴィスドールは「5つめ」を知っていた?………明らかな罪だからだ。

 明らかな罪とは何だろう。

 櫻は“六戒”の知識を引っ張り出した。



 フィシシッピの矢。

 エメドの戦。

 ラゴンの断末魔。

 血潮の涙。

 そして―――― 。

 櫻は顔色を変えた。




「――― アジェリーチェ。アジェリーチェの、涙」




「ちょっとアウラ、聞いてる?違うよ。今度落ちるのは“ラゴンの断末魔”の光柱。妙な男が倒しちゃっただろ。アウラも見たじゃないか。………ねえ、本当に聞いてる?」




 神に弓引いてはならない。

 戦をしてはならない。

 聖獣を殺してはならない。

 伴侶を殺してはならない。

 あと一つ。




“肉親と情を交わしてはならない”



 かつてリードが叫んだ、ヴィスドールとジルアートの罪。

 ヴィスドールの罪は明らかだ。妻であるアウラを殺害したこと。これは“六戒”の“血潮の涙”だと櫻は結論づけていた。アウラだからではなく、伴侶を殺した罪だ。

ジルアートの罪。それは………


「アジェリーチェの涙………ジルアートが犯した罪は、“肉親と情を交わした”こと………」



 アウラ、と訝しむ青年の声も今は遠い。


 罪はこれだ。そんなことはとうに知っていた。

 どうして忘れていたのだろう。もうとっくに、知っていることだったのではないか。

 この青年に告げられるまでもなく、櫻は“六戒”全ての罪名も内容も知っていた。どうして、どうして辿りつけなかったのか。



 彼の、罪。

 肉親と情を交わしたこと。

 ………ならばこの「涙」とは誰のものだ。




「アジェ、リーチェ」




 ――― アジェリーチェ。

 それは、彼の姉の名だ。





 法王に身体を売ってまで、守りたかった相手。

 ………違う。今も、だ。櫻と会ってからも法王との情事は続いていて、櫻はそれを“神託”として夢に見た。





「ああ………」


 目を閉じると、溢れる涙が頬を伝った。

 彼は未だ、彼女を愛しているのだろうか。法王からアジェリーチェという名の姉を、身を呈して守っているのだろうか。愛して、いるから?

 わからない。彼の想いが異性への愛なのか。家族としての愛なのか。

 けれど櫻は、彼の中の家族としての愛を信じられないでいる。

 一度得た愛が、風化して塵と化すことはあっても、それが家族愛となることはあり得るのだろうか。櫻には、それが信じられない。


「アウラ?!」


 慌てて近づいてきた青年は、櫻の涙を間近に見ては更にぎょっとして、気まずそうに視線を逸らした。櫻は口を開くこともできず、瞬きの度に涙を零してしまう。

 ………涙を流すと思考が鈍る。そんな霞がかったような思考の中で、昨日もヴィスドールの前で泣いたことを思い出す。最近、泣いてばっかりだ。

 情けないと思ったら、再び涙が増量した。青年は落ち着きなく慌てふためく。


「ちょ!ちょ!………何で泣くかなあ?僕はわざわざ………いや、その、し、心配して教えてあげにきただけなんだよ?光柱が落ちるから、気をつけなよって。今君がいる島には落ちないけどさ、一応伝えておこうと思って………ああ、だから、泣かないでよ」


 今は何も持っていないんだ、と前置きして、やたらと慎重に青年は服の袖で櫻の涙を拭っていく。肌に掠るようにそうっと。それなのに、何度も「痛くない?」と心配そうに尋ねるので、櫻はようやく青年と視線を合わせた。

 涙は止まったが、潤んだ瞳とかちあって、青年はう、と顔を背ける。


「………ねえ。あなたは、誰なの」


 ここまで前回の登場と違うのだ。どうあっても同一人物ではない。とはいえ外見は全く変わらないのだから、もしかして管理者は多重人格なのだろうか。

 背けていた顔を戻して、青年は意外そうに櫻を見つめた。


「………へえ。わかるの」


 やはりそうか。


「だって全然、性格違うし」


「管理者の共通人格に僕も沿ってるハズだけど?冷静、無表情、無感情、あとさりげなく優しく。………何で笑うのさ」


「それ、本気で言ってる?」


 櫻は麗貌を見ながら笑った。

 むすっと不機嫌になりつつも、何も言わない。泣いているよりマシとでも思ったのだろうか。この青年は、女の泣き顔に弱いらしい。


「知らなかったわ。多重人格なのね」


 初めて見た、と珍しそうに言ったが、別に非難しているわけではない。

 だが青年は、違うよと不機嫌そのままに言った。

 ………無表情、無感情はどこに忘れてきたのだろう。


「中身は違うっていうのは正解。でも多重人格じゃないよ」


 説明は面倒だからイヤだとそっぽを向く仕草に、櫻は不意に懐かしい気持ちがした。

 こんなワガママそうな知り合い、元の世界にいただろうか。グランギニョルでは、会う人会う人やたらと櫻の前では畏まっているから違うだろう。

 懐かしい、という気持ちが久方ぶりに感じたものであると気づき、櫻は笑む。


「………不思議。初めて会った気がしない」


 青年は当然のように頷いた。


「そりゃ当然。初めてなんかじゃないからね」


「………え?」




 どういうこと、と櫻が口を開こうとしたその時。二人が立っている場所が大きく揺れて、再び木の軋む音が始まった。いつのまにか止んでいたそれは、再び動き始めたようだ。


「なに、この音」


「時計の歯車の音さ。――― もう時間がないみたいだ」


 伝えることは伝えたし、まあいっかとあっけらかんと告げた青年は、じゃあまたねと言って踵を返す。

 またねと言ったって、どこへ行く気だ。こんな狭い部屋の中、扉もないというのに。

 まさかまた暗転して落ちるんじゃないよね、とひやりとし、そういえばと青年を呼ぶ。


「ねえ!」


 ん、と振り返った青年は、何度見てもまさに神のように整っていた。金色の髪に空色の青。白いつややかな肌。でも、今まで見てきた彼とは違う彼。

 言葉は自然に口を突いて出た。


「あなたの名前は?」


 意外だったのか、青年はきちんとこちらを振り向いた。走れば間に合う距離だが、この歯車の音に急かされて、櫻は逸る気持ちで続ける。


「私、知らないの。あなたの名前!私は櫻―――」


 青年は不快そうに遮った。


「違う。君はアウラだよ。何度だって言う。忘れないで、君はアウラだ」


 


 僕の名は――― そう言って、躊躇うように口を閉じる。思案気に視線を彷徨わせ、両腕を交差させて考え込む。そして顔を上げると、優雅に微笑した。




「いいよ。僕の名前を教えてあげる。僕はディディエ。ディディエ・ミュゼ」


「――― ミュゼ?」




 夢の中で見た研究所がフラッシュバックする。

 櫻が、真に「アウラ」だった記憶は未だ鮮明に残っていた。


『……ミュゼ』


 甘い口づけも。


 彼の顔は暗闇にまぎれて見えなかった。

 では………?



「あなたがミュゼ、なの?」


 ディディエ・ミュゼは大きく頷いた。


「そうだよ。僕もミュゼだ」


「僕も?」


「そう。でも、ディディエなんて野暮ったく呼ばないでよ。いつもみたいにディーでいい」




 こちらの問いに答えないつもりか。

 眉を寄せて抗議すると、顔を見たディディエはおかしそうに肩を揺らして笑う。




「………ディー」


「ごめんごめん。あんまり素直に顔に出すものだからさ。イジワルが過ぎた?」


「悪趣味よ」


「そりゃ失礼。僕の好みだもの仕方ない。………でも君、“ミュゼ”に心当たり、あるんだ?」


「夢で見たわ。………なんか暗くて怪しい研究所みたいなところ」


 ディディエはまじまじと櫻の顔を見た。


「へえ。そうなんだ」


「でも、ミュゼって名前は聞いたけど、顔はみていないからわからないの」


 ああ、なるほど、と得たように頷いて、「そろそろ時間かな」と腕時計を見る。


「ディー」


「ああ、ごめん。じゃあ最後に一つだけ教えてあげるよ」




 秘密ね、と人差し指を口に触れさせ、ディディエは悪戯っぽく告げた。


 

――― 君がミュゼと呼ぶ男はただ一人。僕の愛しき双子の弟さ。





 驚く暇も世界はくれず、時計塔は光に満ちた。





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