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震える剣  作者: 結紗
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法王との面会7




 朝、起きると事態は紛糾していた。


 硬い表情の女官長は、パメニたちと同時に入室しはしたものの、櫻の支度をもの言いたげに待つばかりで、特に何かを通告してくるようなことはない。だが、この部屋にいる女官たち、そして部屋の外で待機している兵士たち、ひいては神殿中の昨日の騒ぎを知っている者たち全員がそわそわと落ち着かないはずだった。昨日の事件に関する、“落とし前”についてである。案の定、今日は着替えの支度の最中、朝食、お茶の時間に至るまで、櫻は平時の何倍もの視線にさらされ続けている。付け加えれば、昨日までと人数は変わっていないはずだ。

 お茶を飲んで、さあ今日のスケジュールはどうしようかと考える余裕ができたころ。

 ようやく女官長――シェバトは一歩前へ進み出た。


「………昨日の、アウラ様の行いに関してなのですが」


 ざわりとして、次に周囲の空気が固まる。

 けれど櫻は、うん、と鷹揚に頷いただけだ。

 アウラ様!と女官の一人が目を丸くして口を開いた。

 本人は至って気にしない態度を貫くつもりらしい。


「以後、如何様な神託が下されようとも、あのような過剰なご自身のお振舞いは慎まれるように、とのことです」


「ふーん。それで?」


 “崇高”なる存在のアウラに上から目線の申し伝えだ。しかも人を介して。

 ふん、と櫻は鼻を鳴らす。物申したいのはこっちである。

 続きを促すと、さらに空気が止まって見えて、なんだか一人だけ櫻はおかしくなった。周囲の人間はまるで自身の判決をまっているかのように蒼白な表情だ。法王に斬りつけて何の処分もないはずがないとでも考えているのだろう。だがアウラに処分なんて下せるのだろうか、この神殿の者々は。と、素朴にそこまで考えてやっぱり違うと翻す。断罪など、されるはずがない。………いや、できるはずがない、といったところか。

 なぜなら、もしバレたら民衆が黙ってないんじゃないの、という一言に集約される。ならばみな、それが六戒に抵触したならばと考えるはずだ。預言書は門外不出のはずだから、最後の一つが“アウラの慟哭”であることを知る者は神殿においても数少ない。仮に知っても、結局は“アウラを悲しませる”ことが罪に繋がるのだから、それこそ処分など下せば確実に民衆は荒れるはずだ。

 実際は、櫻の思う通りになった。


「………………それだけでございます。わたくしは、このことをアウラ様にお伝えに参ったまででございます」


 ここぞとばかりに眉間の皺を増やしたまま、しかめっ面でシェバトは答えた。

 途端、辺りから“ほ~……”と安堵のため息が漏れる。

 櫻からすれば、若干心外であることは否めない。そもそも悪いことなどしていない(櫻視点)のはずである。みんな、あの映像一回見てみなさいよ、と反眼で周囲を見た。

 それにしても。納得がいきません、という表情一点張りのシェバトに振り向いて、櫻は思わず笑ってしまう。生真面目だが、心根の優しい彼女は、おそらく櫻のことを心配してくれていたのだろうことは容易にわかる。だから、あの眉間の皺は、単に納得がいく理由が下されなかったということに対してなのだろう。

 ………だが、と櫻は脳裏で思う。それも、“知らなかった”なら、と。

今のシェバトが女官長であり、神殿が尊ぶ法王をアウラが剣で切りつけたことに処罰がなく、それを伝えにきた彼女が眉間に皺を寄せている、ただそれだけの事実しか知らなかったなら。おそらく櫻は彼女の眉間の皺の意味を誤解したに違いない。“なぜ処断がないのか”と不満に思っているようにしか見えないはずだ。現在も、ここにいる女官の幾人かは少なからずそう誤解していて他の者に吹聴するだろうし、そしてそれはおそらく止めることができない。シェバト自身も、止めはしないだろうから。だからここで、櫻が彼女の心に気づけたことは、意味があるはず。

 そう思うと、不思議だった。

櫻はヴィスドールの心に触れて、少しだけ、人の心というものを知った気がしていた。

 ………今、この時は。


「納得がいかないのかしら、シェバト」


 笑いを含んでそう言うと、シェバトはふう、と深いため息を吐いて頷いた。微かにだが、気を緩めてくれたようだ。安心させるように、もう一度櫻は笑った。


「………もう少し、なんらかの行動は避けられないかと思っておりましたので」


「じゃあ、もしかして偉い人たちに掛け合ってくれてたりした?でも思っていたような処断はなかった、みたいなかんじでしょう。まさかこんなにお咎めなしになるなんて!って?」


 意外そうに彼女は目を瞬かせて、「仰るとおりです」と無言の内に肯定した。

 当然だ。根回しは既に昨夕、眠りに就く前に済ませてある。

 ねえパメニ、と言わんばかりに視線を向けると、おかしそうに笑って頷く姿があった。

 昨日、ジルアートに着替えさせられたあと………身を清めるためにパメニが突入してきた折に、彼女に手紙を託したのだ。ヴィスドールから法王へと渡るように。

 櫻は難しいことなど何もしていない。ただ、事が公になることは避けたい、それはこちらも変わらないという旨の内容を書き添えておいただけだ。脅迫にもならない、取引にも満たない、法王との小さな秘め事を作っただけ。二回斬りつけただけでは櫻の心は全く満足できていないが、それでも事が公になって彼の青年の名前が明るみに出たり、行いが暴露されるような事態は避けたかった。法王が聖殿での件をねじ伏せるだけの権力を持っていないはずもなく、またそれが、不得手であるはずもなかったので利用したまでのこと。

 むしろ感謝してほしいぐらいである。

 ふん。


「ヴィスドールに頼んで根回ししてもらったから、それが効いたんじゃないかな」


 と、いけしゃあしゃあとうそぶいた。嘘ではないが、真実でもない。

 そうでしたか、とシェバトの表情筋が通常モードに切り替わる際、櫻は小声で付け足した。


「………心配してくれて、ありがとう。シェバト」


 するとシェバトは心もち穏やかな眼差しで、何も言わずに目礼で応えた。

 仕度は済んだが、未だジルアートは現れない。今朝はなんだか肌寒く感じ、櫻は肩掛けを羽織って二杯めの茶に口をつける。周囲の女官もシェバトやパメニも普段通りだ。

 仕度のためにいた女官たちが下がり始め、シェバトはパメニを置いておくと櫻に告げ、最後に退出していった。

 パメニは久方ぶりに櫻に一人でついたことが嬉しかったのか、妙に機嫌がいい。普段から常夏のような彼女のテンションも一割増であるようだ。きらきらして大きな彼女の目が眩しい。

 ………だが、繰り返すがなんとなく、肌寒い。


「アウラさまっ。今日は何をされますか?」


「んー………あ、法王に会ったでしょ?仕事はじめまであと何ステップあるのかな」


 それによるかもと告げると、えっと、とパメニは指折り数えて、途中でやめた。


「面会を済ませられたので、あとは披露宴をお待ちいただくだけですよ。ドレスも問題なしです。披露宴、そっちは特にアウラさまにしていただくこともないですし、のんびりなさっていただいて結こ、う……あー」


 言いかけて、気まずそうにパメニは視線を逸らした。

 なに、と問いかけると、おずおずと口を開く。


「昨日、賊の侵入があったじゃないですか。この島って必要最低限の人間しかいないはずなので、昨日から調査が始まっていて。なるべく外出は避けるようにって兄さまが」


「ヴィスが?」


 頷くパメニに了承して、櫻はヴィスドールを思い描く。

 胸が痛むが、それは仕方ない。時間が解決してくれることを願うしかない。

 ……そういえば、とはたと気づく。

 ジルアートの家が―――いや、ジルアートが姉弟の恋愛関係にあったという話。あれの真偽はどうなのだろう………と考えて、思い切り頭を振って中断する。

 無闇に誰かの心を踏みにじるような真似だけはしたくない。しないと昨日、後悔してから誓ったはずだ。それはジルアートならなおさら、守らなければ。

 今、彼の想いを櫻は知っているはずだ。

 それでいい。

 いつかその古傷を、彼が自ら見せたいと思った時に触れられればいい。その時が来なくとも、それが彼の気持ちを疑う理由にはならないはずだ。それは法王の件と同様だ。

 そこまで考え、嫌な夢もついでに思い出す。

 夢の中で法王がジルアートに告げていたこと。誰かを守るためにジルアートは身体を投げ出していたように聞こえたが………名前は、なんといったか。




 そう、確か…………アジェリーチェ。




 


その名を、どこかで聞いたことがあるような気がした。





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