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震える剣  作者: 結紗
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法王との面会4




 冷たいシーツが頬に擦れる感触が心地よくて、うとうとと、まどろんでいたらしい。櫻はうっすらと、目を開けた。視界に入ってくるものは、濃紺の闇の中でさえ朧気な輪郭を保っている調度品の数々。既に見慣れたそれは、櫻の意識をかすりはしない。

 ………なんだろう。そう思うのに、身体は休息を望んでいる。思考もまごついて、ねっとりとした闇に絡み取られているかのようだ。けれど、何かが意識に引っかかる。だから目が覚めたのだ。ちらり、と視線を動かそうとして、すぐに目を閉じて息を吐いた。

 簡単なことだ。風が頬に当たっている。キィ、と音がするのは窓の金具だ。

 こんな時間に来るなんて、と一度無言のままに悪態を吐いてから、櫻はゆっくりと起き上がる。

 寝台の上から眺める窓。そこに、行儀悪く足をかけて座っている一人の男の姿があった。なびく衣装を見ずともわかる。


「………ヴィス?」


 衣擦れの音に気づいていたのだろうに、窓辺の男は見上げていた月から櫻の声でようやく視線をこちらに向けた。月の冴えた夜なのだろう。逆光に照らされた彼の輪郭がぼうっと光って眩しく見える。その光を受けてか、ほっそりとした彼の眼に光が灯っているかのようだ。

 ――― 本当に狐みたいね。夜になるとその効果も倍増。

 そう思ったことはシーツとともに置いておき、櫻は首を傾げて問うた。


「何を見てるの」


「月だ」


 にべもない。

 はあ、と諦めた櫻は裸足のまま窓へと近づいた。ヴィスドールに見つめられたままだが、特に口を出してくる様子もない。動く様子がないのを見計らい、空いているスペースから外を見て、櫻は目を瞠る。………本当に明るい夜だ。ここまで明るいのも珍しい。くっきりと、眼下の景色が見えるのだ。暁とも異なった明度だ。まさに銀色の光によって浮き上がった光景といえるのだろう。見下ろしてから、つられる様に天上を仰ぎ見る。月だ。煌々と辺りを照らす小さな星の一つである月は、けれど目を霞ませるほどに眩しかった。

 櫻はあまりの眩しさに顔を顰めた。そこへ、ぬっと大きな掌が視界を遮る。


「やめておけ。今夜の月は明るすぎる。目を傷めるぞ」


「本当に眩しいわね。何なの、一体」


 月の眩しい日とかあるのかもしれない。こんな高度にある島なのだから影響を受けてもよさそうなものではないか。

 そう告げたが、ヴィスドールはなんとも興味のない様子で「さあな」と一蹴してしまった。またしても、にべもない。


「もしかして、起きるの待ってたの」


「………いや。そう時間は経っていないはずだ」


 そう、と櫻は頷いた。それにしても月の位置が高い。そろそろ中天を越す頃ではないだろうか。

 まだ陽も沈まない刻限から強制的にシェバトやパメニたちの手によってベッドに寝かされてしまったが、思うより寝てしまったようだ。一回起きてしまうと、睡眠時間も十分摂ったのだから眠れそうにない。だが、まあそれでいいはずだ。頭はやけにすっきりとしていた。


「話、あるんだったわね」


「そうだ。だが今日は災難だったな。いや、災難だったのは法王の方か」


「嫌な感じ。そういえば、生きてるの?」


「ああ。お前の手では、いくらあの剣で斬りつけても軽症が関の山だ。傷が残るかどうかは知らないが、命に何ら別状はない。やるならもっと徹底的にやれ」


「………褒められている気がするんだけど」


 クッ、とヴィスドールは秀麗な顔を皮肉な笑みで飾る。

 櫻はそれを横目で見、美形は得だと脳裏で思う。

 どうせ碌なことは考えていないだろうが。


「そう聞こえるか」


「そうよ」


「では………そうなのだろうな」


「じゃあ法王が死んだらヴィスの思いに近いってことになるのかな」


「さて、な。それよりお前、明日から大変だぞ。あんなことを仕出かしたら査問会にでもかけられるんじゃないか」


「私が?何でよ」


「あれだけのことをしておいて、阿呆なことを言うなよ。神託者殿」


「だから、神託なんだって」


「ほう。どのような」


「夢で見た。直接会ったのは初めてだけど、あの顔何回か夢で見たの。けったくそ悪いったらないわ」


「………どのような夢だ?」


「言いたくない」


 すっぱり櫻は断言した。

 呆れの色を滲ませて、ヴィスドールは眉を寄せる。


「………それで通用するとでも」


「聞かれたら言ってやるわ。でも、気持ち悪いから言いたくない」


「ほう」


「興味津々よね。わかるわ。でも言わない」


「それは残念だ。まあ、頑張って説き伏せるのだな………さて、行くか」


 さほど興味もなさそうに立ち上がったヴィスドールは、櫻の腰に手を回した。

 

「な、なによ」


 その手があまり心臓によろしくない。いくら美しくても、今の櫻にはあまり効かない。ジルアートという存在ができ、それを認めてしまった以上、どうしたって他の男の手は心地よくなど感じぬものだ。

 そんな動揺を知りもせず、ヴィスドールは片手に持っていた木製の杖を床に一度突いて見せる。


「話はジルアートを通していると思っていたが」


「あ、ああ、そういうこと。ここじゃだめなの」


「深夜の女の寝室に長居する趣味はない。ましてや今夜は月も明るい。外へ出るぞ」


 そう言って、櫻にローブを羽織るように指示をする。慌ててそれを纏うと、再び腰を抱いてヴィスドールは告げた。

 櫻は思う。





「少々高所へ行く。落ちぬよう気をつけろ」





 ―――――事後報告は、大変に危険であると。










 ***






 ぶわり、と足元から濃い空気が吹いたかと思うと、長いスカートが翻って落ちた瞬間、櫻の視界は一変した。


「………は?」


 間抜けだ。実に間抜けな声を出してしまった。自覚するが、何度あってもきっと同じような反応をするだろう。

 風が吹いて、それに目を瞑って、開けば違う場所。何の魔法だ。


「魔法!」


 そういえば、大きな鳥も何やらわけのわからない方法で退治していたではないか。それを思い出して櫻は叫んだ。


「何だそれは」


「今!今魔法使ったじゃない。私にも使える?」


 わけのわからない魔法 (のようなもの)など関わりたくないと目を瞑っていたが、こんなものがあるなら使ってみたい。肩を掴んで問いかけると、不快そうに眉を顰めたヴィスドールが呻いた。


「わけのわからぬことを。……いいから放せ。移動の術ならお前には無理だ」


「どうして」


 島を移動するのにあの巨大生物に乗らなくて済む。好きなところへ行けるのに。

 不満が顔に出たのか、ヴィスドールは幾分冷静な声で諭す。


「神官は神に仕え、アウラに仕え、この世界を守護することが使命だ。術は神官しか使えないようにできている」


「なにそれ!」


 むっと櫻は睨みつける。ちょっとワガママを言ってみただけではないか。

 淡々と神官はその理由を述べる。


「術は力を流し込まれて研鑽を積むことで発現するものだ。お前は力を流し込むぎょくに触れることは叶わぬだろう。守るべきお前が術を身につけては矛盾する」


 全く面白味のない理由だ。櫻は嘆息した。


「神官の存在意義の話なんかどうでもいいわよ。……ああ、今のができれば自由に遊べるのに」


「行きたいところがあるのか?」


 きょとん、と目を瞬かせたヴィスドールに櫻は頷く。

 

「色んなところに行ってみたいわ、もちろん。この世界に住むんだから」


 高いところがそう好きではないから、デュークに乗りたくないのだとは言わない。


「………デュークで行けばいいだろう」


「面倒くさいじゃない」


「アウラがふらふらしては事だからな。諦めろ」


「はいはい。で、ここ………」


 櫻はようやく辺りを見回した。

 ………なんだ、ここは。




「ここ、どこ」









***







「聖殿最上階にあるバルコニーだ。ここなら誰も来ない」


 ヴィスドールはすたすたと先を歩く。呆然としていた櫻は、棒になってしまったような足を無理矢理動かして後に続いた。

 何だろう、ここは。櫻は確かに、昼間の聖殿と同じような印象を受けている。だが在るものは全く違う。

 左に明。右に暗。まったく同じだ。左側は短い背丈の手すりが遠くまで続いている。だがその向こうは外なので、月が大きく見える。

 ……訂正しよう。月と空しか、見えない。ここは神殿から見下ろせるはずの景色が見えないほど高所なのだ。櫻はそこへ近づこうとして、やめた。足が竦んだのだ。右側はといえば、ごつごつとした暗い……なんだろう、と壁に近づいて触れる。ぎょっとした。

 岩だ。ごつごつとした肌触りは、粗い岩を思わせる。明かりがないため確認はできないが。だが、と櫻はヴィスドールの進む先を見遣る。

 聖殿の通路とは違う。確かにバルコニーのようだ。回廊のようでもある。それも巨大な。右側の壁はごつごつとした感触が岩であると思うのだが、それは遠く、何十メートルもあるだろうこの回廊の壁そのものだ。………だが、この感触はどう考えても繋ぎ合わせたものではない。

 

「ヴィス。この壁?岩?って一枚の岩なの?」


 でかすぎやしませんか、と聞けば、振り返ってあっさりと頷かれる。

 

「言ったろう。ここは聖殿の上なんだ。岩でできているのは当然だ」


 神殿が石造りなのは知っている。聖殿もそうなのだろうということは、何となくわかる。

 

「石造り、なのよ、ね?」


 理解できない、と言わんばかりにヴィスドールは眉を顰める。

 月明かりでは極悪にギラリと見えるのでやめて、と櫻は思うのだが。


「そもそも聖殿は神殿の一角だ。その神殿も元はといえばこの島にあった巨大な岩石をくり貫いたものなのだから、この壁も岩だろうな、もちろん。いつ神殿を建てたのかは知らないが、一つの岩石をくり貫いている割に壁の装飾が何度もされてできているから普段はこのような粗っぽさが見えぬだけだ。本来はこのように岩を掘っていたわけだから、このような壁だったはずだ」


 そんな巨大な岩を。そんな巨大な岩があるのか。

 唖然とした櫻を、ヴィスドールはとうとう立ち止まって窘める。



「それがどうした。在るものは在る。それ以外の何でもないだろうが。さっさと来い」



 見れば、既にバルコニーの中央、手すりの傍に卓が見える。


 不可思議な青色の世界の中、櫻は神官を追って歩き出した。





活動報告の欄に、ジル退室~ヴィス入室までの女官たちとのやりとりを、短いですが載せました。(本編に含まなかったボツ案ですが…)

シェバトやパメニがちょびっと出てくるので、良かったらどうぞ。

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