空と、虹の狭間4
目の前の扉は開かない。
しん、と音のない場所になる。
電車の扉の向こうに見える景色は、廃墟だった。
……遠くで、扉が開く音がした。
気が遠くなるような静寂の中に、不可思議な耳慣れた機会音。
櫻は、音のした車両の方へと足を伸ばすことにした。
男は既にここにはなく、まるで導かれているような気さえしていたのだ。
電車は、車両を縦断するように歩き進めば細い通路のようでもある。両脇に続く大きな窓たちからは、この場所の景色を鮮明に眺めることができた。左側には石造りのプラットホーム。だが、そのほとんどが朽ちて壊れかけており、それに枝垂れかかるようにして、植物の蔓が巻きついている。小さな花が蔓に混じって見え、それがホームの壁の端から端まで長く続いているようだから、石と植物のプラットホームだといえないことはない。
歩き進めながら右側に視線をやる。開いた扉はまだ見えない。先ほどの音からここまで、櫻の単調で軽い足音しか耳に届かない。けれど、さほど恐怖は感じなかった。左のホームは崩れかけていても植物の彩りは美しくあったし、何より右側の不可思議な光景が彼女の意識を麻痺させていた。
右側の光景は、圧巻だった。すぐ近くに見える島…高さはこの電車より少し高いが、島が、浮いていた。ホームに巻きついている蔓よりも遥かに長く、大きな蔓がところどころ島の端から零れて垂れている。その蔓が、電車の窓と同じような高さまで届いているものもある。
その島の向こうに、遠くにもう一つ、小さな島が見える。本当に小さな島だ。だがそれも浮いていた。地上は深い緑で覆われているだけのようで、その狭い場所よりも地中に埋まっているはずの場所がむき出しになって見える。黄土色のそれは、まるで植物の根のようにその島を深く、大きく、支えている。……その向こうに、一番大きく、広く見えるものがある。櫻は、一度足を止めて右側の窓から眺め見た。
空だ。いや、雲だ。
遠くの、その島の向こう。そう遠くない場所に、雲が見える。その雲は巨大で、小さな島の遥か下方まで続いている。
ゆっくりと、それを下まで見下ろせば、その雲は見えないぐらい深く続いている。こんな場所では、島から滑り落ちたら一瞬で人生は終わりである。櫻は、ゆっくりと、震える足で後ずさった。…下まで眺めたら見えてしまった。
……この電車、やはりというか、線路も何もない。この電車が、不思議な宙に浮く術を失ってしまったならすぐさま落下してしまう。
思わず、歩く速度を早めて重心をかけないようにする。櫻の体重など、この電車の重量にすれば意味はないが。
そうして少し、歩く速度を速めた櫻は、あまり変わらない空中の景色を眺めながらも最後の車両に到達した。
車両の一番後ろの扉が、開いている。そこから外の明るい日差しが差し込んでいるのがわかる。
急く心を持ちながら、けれど震えるように足はゆっくりと、そこへ近づいた。
足音がなければ、再びそこは静寂へと還るのだ。いやに足音が響く。
扉の前に立つと、車内から見える範囲を覗き見た。誰も……いない。
けれど、降りろということなのだろう。とりあえず、この宙に浮いている電車からは一刻も早く降りたかった。
反対に急いでホームへと足を下ろす。
その、瞬間。
「お待ちしておりました。私のアウラ」
すぐ近くで、声がした。