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震える剣  作者: 結紗
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法王との面会3




 両足で強く地を蹴り聖殿を飛び出すと、そこにはさきほどの混乱から回復していない神官や女官たちでざわついていた。勢いよく駆け出してきた二人を見てざわめきが増すが、ジルアートは一度強く櫻の手を握ってその場から抜け出すために、更に加速した。ヒールの高い靴を履いた櫻にそれは酷だ。一瞬、足が出遅れたのに気がついたのか、ジルアートはしっかりつかまって、とだけ注意して櫻を抱え、再び走り出す。櫻は突然の浮遊感に、小さく悲鳴を上げて青年に縋りついた。青年の目がかすかに柔らかくなったことには気づかずに。



「大丈夫です、アウラ。………どうもそこまで追ってくる意思はなさそうですから」



 しばらく軽やかに走って人気の無い場所に出ると、一度ふうと息を吐いたジルアートは後ろを確認しながらそう言った。神殿の裏手なのだろう、紐で縛られている積み上げられた木材や、大きな石などがそこかしこに転がっている。

 歩けるわ、と櫻は困ったように呟いた。

 華奢な青年に抱えられていることと、横抱きは身体の下に何もないので酷く不安になるのである。たとえ当の本人が、あの戦闘と疾走の直後で息一つ切らせていないとしても。

 けれどジルアートは首を振った。「いつ襲撃が来るかわかりません」と言い放ち、「逃げるならあなたを抱えていた方が早いので」と追い込みをかける。迷惑になりたくない、という櫻の思惑の裏に回ったそのことばに、腕の中に閉じ込められた櫻はますます困ったように、沈黙した。


「外から庭を通ってあなたの部屋まで行きましょう」


「外から?」


 わざわざ回り込まなくてはいけないので、時間がかかる。

 ジルアートが言うには、石造りの回廊では戦闘に不便で、かつ多数の相手に襲撃されては逃げ場がなくて危険らしい。確かに、こちらが無勢であれば、戦うより回避することを念頭に置いた方がいいだろう。それに狭い回廊で挟み撃ちにされては逃げ場がないのは尤もだ。壁を突き破ることもできない。

 大人しく、ジルアートの腕に任せることにした。

 




 静かに、さくり、さくりとジルアートが草を踏む音がする。

 見つけるたびに、ジルアートは木材の束の紐を切って、丸太をごろごろと転がした。おかげで通ってきた道には、巨大な丸太がごろごろと並んでいる。追いかけられないように小細工しているのですよ、と教えてくれた青年の声は、どこか櫻の知る幼さの消えた声だった。


「………何が目的なのかしら」


 頭の中は既に計算でいっぱいだ。考え込んでしまった櫻に、ジルアートは呆れて笑った。


「そんなことより、怖かった、とかそういう感想はないんですか」


「ジルアートが強かったからそんなこと、思う暇もなかった。………血、は驚いたけど」


「ああ。……帰ったら、手当てをしましょう」


 意図的に、誰のものか口にするのを避けたのだろう。ほとんどが返り血には違いないだろうが、ジルアートの青い衣装が、赤い血を吸って濃色の紫に変わっているのがわかる。触れて労わってあげたいと思うのに、そこに触ることができない櫻は、自分に歯噛みした。ジルアートは自分を守るために剣を振るい、敵を滅した。………それなのに自分はその血に恐怖を感じている。


「ジルアートの怪我は、私に手当てさせてね」


 そう告げるのが精一杯で、けれど櫻は笑って見せた。









 追っ手の気配はなく、二人はアウラの居室へと無事に窓から戻った。そっと櫻を地に下ろすと、さっさと部屋中のカーテンを閉めてしまう。早々に「脱いでください」と笑顔で言われ、櫻は引きつった顔で逃げたものの、結局ものの数秒で捕まってしまった。

 おかげで今、櫻はいつ終わるともしれない羞恥プレイの真っ最中に置かれていた。




「………血があなたについていなくて本当に良かった」


 そう耳元で囁きながら、櫻の衣をするりと剥いでいくジルアートの吐息に、櫻はぐっと身を固くした。巨大なクローゼットの方を向いている櫻を無理に振り向かせることなく、ジルアートは繊細な手つきでドレスを腰まで落とした。

 顕わになった上半身。その背の肩甲骨に、ジルアートは音を立てて口付ける。


「………っ……」


「サクラ」


 骨や筋を掌が辿り、その軌跡を唇が舐めるように這った。


「……ん……っ……なに」


 やめて、というほど欲がない人間にはなれない。けれど迎えて素直に喜ぶこともできなかった。

 だから櫻は、自分を抱きしめるようにして胸を隠し、されるままになっているしかない。

 口付けの合間が、ひどく長い。まるで快楽で焦らすように、ジルアートは時間をかけて櫻の背に触れる。

 時折、両の掌が華奢な櫻の肩を撫でる。


「ジル、……ぁ……い、今はダメ。みんな、すぐ、来るからっ………」


「そうですね……でも」


「ふぁっ……ん……っ…ほんと、ダメ、やめて」


「サクラが背中を触られるのが弱いからでしょう?」


「ん、ん……っ……わか、ってるなら!なんで……ぁ……っ」



 はあ、と腰に近い場所で息を吐き、じろりと櫻の頭上をねめつけながらジルアートは言った。



「おしおき、です。サクラ」


「……おしおき?」


「………あんな危ない真似をして。どうするつもりだったんです」


「…………ああ」



 やけに冷めた声が出た。

 櫻は急に頭の芯が冷えていくのを自覚する。あのいやらしいじじいの顔を思い出したからだ。

 ジルアートも気が済んだのか、屈めていた腰を起こして後ろから櫻を抱き寄せて、首に顔を埋め、目を伏せる。軽い抱擁だった。



「でも死んでないでしょ」


「……まあ。軽い傷で済んだとは思いますが」



 斬った、といっても所詮は櫻、素人かつ女の腕だ。細身のくせにやたらと重かった彼の剣は両手で持ち上げるのが関の山だった。肩から斬ったといっても到底致死にはなりえない傷である。

 目を開き、後ろから櫻の手へと腕が回る。



「?」


「………どうして?」



 どうしてあんなことをしたんです、とジルアートは呟いた。

 その声は、感情を含まない無機質なものだったからか、部屋にぽつりと落ちた。……落ちて、ただ消え行くだけのような声だ。

 櫻はそっとあたたかい背にもたれかかる。じんわいと広がる熱が、まるで心をも包んでくれるようだ。

 ――― 傷ついていたのは、櫻ではないはずなのに。

 応える声が、優しさを含んでいるといい、と櫻は思い、目を閉じた。

 心なしか口元は笑んでいるはずだが、彼にこの気持ちが伝わるだろうか。



「言ったでしょ。神さまのお告げよ」


「またそんな」


「……ううん、きっとそう。あれは……あれが”神託”なの、きっと」


「神の声が?」



 違う、と櫻は首を振る。



「私に降りる神託は………うまく、ことばにできないけど」


 

 見えるのだ、と告げることはできない。

 見えてしまったのだと、気づかれてしまうかもしれないから。

 それに聖殿で降りてきた神託ではないのだ。

 


「でも、私は神託で得た事実が許せなかった。……知った事実を、許せなかった。神様が私に授けたのなら、私が怒ることもわかってたはずよ。私があのジジイを斬りつけたのは、私の意思である前に、きっと神様の意思なのよ」



 ジルアートは何を見たのかは問わなかった。



「あのジジイね、ほんとサイアクなの。もうだいっきらい」



 即刻法王から引き摺り下ろしてやるんだから!

 憤慨したように櫻が言うと、ジルアートも笑ったようだ。



「そんなにキライですか」


「死んじまえって思う程度にはね」


「物騒だなぁ」



 それでも、とジルアートは触れていた櫻の手を口元へ動かした。

 触れるだけの、口付けだ。



「それでも、あなたが手を汚す必要なんてないんです。ただ、私に命じてくだされば」



 私が何でも斬りますよ、と甘く告げられた声色に、櫻はぞっと背筋を凍らせた。

 穏やかで爽やかな好青年のイメージはどこに行っちゃったんだろう……と一瞬目が遠くなる。


「べ、別にいつもいつも斬ろうってわけじゃ」



 ………大体、あの時は今思い返しても特別だろうと櫻は思う。卑猥すぎる恋しい人の映像に慄いていたら、元凶が知らん顔して偉そうにふんぞりかえって(櫻視点)いたのだから。

 そりゃあ、かっとなるわよね、と一人納得する。



「ええ。それでも、です」



 このように、と櫻に彼女自身の手を開いて見せる。人差し指と親指の間が切れて、血が滲んでいるようだった。



「………剣を、鞘から出したのなんて初めてでしょう。剣は鞘から取り出すときに注意しないといけないんです。刃はね、上を向いているんですよ。そんな常識も知らないあなたが………あなたが、こうやって自ら傷つくのは耐えられない」



 ぺろ、とその血を舐め取って、櫻の顔を向かせてキスをする。

 そして唇がいまにも触れる位置のまま、ジルアートは目を逸らさずに囁いた。



「どうか約束してください。このような真似は二度としないと」



 櫻は、隠していた胸の腕をほどいて、ジルアートに向き直る。離れた櫻に、ジルアートは何も言わない。

 薄暗いカーテンから漏れる淡い光。その光だけでも、彼が真摯な表情でこちらを向いているのがわかる。

 櫻は何も言わず、両腕をジルアートに巻きつけた。すぐ背に回る彼の腕。気がつけば、彼のしていた血のついた手袋は床に落ちていた。身体に触れる時にはずしてくれたのだろう。……その優しさが、先ほどのように、櫻の心をあたたかくする。

 首ごと顔を引き寄せて、そっと額を合わせて櫻は言った。




「………そんなに、甘やかさないで。頼りたくなってしまう」




 そう告げること自体、頼って甘えている証拠だ。

 

 ………そう思うのに、柔らかく、甘く降りてくる唇に抗うことができないでいた。


 ああ、と思考が波に飲み込まれる直前、櫻は思った。




 





 ―――― もう、囚われてしまったのだ、と。










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