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震える剣  作者: 結紗
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法王との面会2




 頭の中が、真っ白になった。

 



 ゆらり、と動いた身体は、ひどくゆっくりと見えた。頭を下げたかと思うと、足元の後方に置かれていた剣を掴み取り、勢いに任せて鞘から引き抜く。その刃は銀色にきらりと輝いて、櫻を映した。

 引き抜かれた鞘は手から抜け落ち、大きな乾いた音を立てた。その音に聖堂がざわっと蠢くのを肌で感じながらも、櫻の焦点は一つしかなかった。祭壇のすぐ向こうにいる老人――― 法王、エンヴィ・ソラリスただ一人。

 はっと仰いだジルアートも、正面から見据えていたヴィスドールも身動き一つ取れないほど、それは素早かった。この一瞬で、櫻は剣を抜き放って両手に持ち直し、勢いよく法王を肩から袈裟切りにしたのである。

 ジルアートは立ち上がる時間もなく、唯一自由になる喉で叫んだ。



「――――― アウラ!!」


「法王様!!」



 きゃああ、と遠くから幾つもの叫び声が聞こえる。一瞬にして聖堂は阿鼻叫喚の渦に巻き込まれた。

 法王はゆっくりと、ゆっくりと、ゆうらりと身体をしならせ――― そこへ再び、櫻は緩慢な動作で、法王の反対側の肩から斬り捨てた。ぐう、とくぐもった声が漏れて、祭壇上に控えていた人間たちはようやく意識を取り戻したかのように動き出す。

 櫻は、法王の前に留まったまま動かない。

 


「おやめください、アウラ様―――な、なんてことを………っ」



 意識を取り戻した控えの者が、叫びだす。



「衛兵、衛兵!!出合え出合え!!」



 壇上に控えていた者たちが救護に駆け出す。ざわついた堂内は、叫んだところで声が通ることはない。

 慌てて祭壇下に並んでいた老人たちが駆け出した。そこでばらつき、押し合い、怒号が響く。



「アウラ……っ?!」



 ようやく、ジルアートが叫んだ。立ち上がったまま動けなかったのは、ヴィスドールも同様だ。目を見開いたまま、焦ったように指示を出す。ジルアートが駆け出そうとした矢先、櫻は鋭敏な視線でそれを制した。

 ジルアートは息を呑んだ。………あれは誰だ。

 刃物のように、鋭利な―――― 殺しかねない、と暗に告げるような視線。殺気。

 

 殺気だ。



「―――……… 衛兵。ジルアートを捕まえて。身動きをさせないで」



 祭壇に駆け上がってきた衛兵たちを一瞥し、櫻はそう言い放った。法王はがたんと音を立てて、ようやく倒れた。法王様、と叫び声、慌てふためいた声が近づく。だが、法王まで到達することができない―――……そこに、櫻がいるからだ。衛兵は困惑し、それでも時間をかけてだが、ジルアートの周囲に立ちふさがる。なぜ、と思う暇もジルアートにはなかった。



「私は、この男にまだ用がある」



 祭壇下は混乱の渦だ。それなのに、祭壇の上は駆け上がってきた人々が立ち尽くしたまま。動くこともできずにいた。遠くでおじいさま、と泣き叫ぶ少女の声が聞こえたが、やはり他の神官に留められたまま聖殿を離れていく。

 櫻は、祭壇上でありとあらゆる視線が突き刺すのをものともせず、倒れて呻き、わずかに血を流す法王へまた一歩、一歩と近づく。

 そして足元まで近づいた時、温度のない目で法王を見下ろした。





「………楽しかった?」





 櫻はしゃがみこんで、目を閉じたままの法王に近づく。そして、耳元で優しく囁く。

 周囲の誰にも聞こえないよう。





「……男の子を脅して手篭めにするの、楽しかった?」





 法王は目を見開いて櫻を見上げた。脂汗がこめかみを伝う。手が震えた。

 

 なぜ。なぜ知っている。そう目が告げていた。




「あんたみたいなクソじじいは一回死んだ方がいいわ」




 櫻は立ち上がって、片手に持っていた剣を両手に持ち替えた。




「おや、おやめくだ、さ………アウラ、アウラ様ぁっ……!」




「うるさいわ。神託は絶対よ」




 どこかの神官が堪らず叫んだ声に、櫻は鋭く言い放った。





「ねえ。あれは私のものよ。傷物にして、辱めて、抉って、なぶって、楽しかった?脅して聖職者気取り?反吐が出る。あんたみたいなのは、世界の害虫よ。死んで。死んだ方がいい。……私は絶対、許さないから」




 ひ、と既に全身で震える法王に、櫻はわらった。

 剣を構えて、呪詛を吐いた。






「―――……死んで詫びろ。この下種」







 しかし次の瞬間、櫻は弾き飛ばされた。全身で床に叩きつけられる。弾かれた瞬間に剣を奪われ、あまりの速さに目を開いたまましたたかに身体を打ち付ける。

 櫻の前には、背を向けた身体があった。靡くのは、血のような赤い髪。

 大きく瞠った櫻の目は、けれど同時に彼が対しているものも視野に入れた。黒装束に身を包まれた男たちが、気づけば辺りを囲んでいる。ジルアートは膝をついたまま、腕を震わせていた。………ちがう、と櫻は瞬時に判断した。

 櫻から奪った剣で、男の剣を受け止めていたのだ。



「ジ、………」



「……っ、アウラ、動かないでください。――― はぁっ!」



 ジルアートは一閃するように強く剣を弾き返した。高速で剣同士が擦り合って火花が散る。真横に両断された剣は、相手のそれを弾くと同時に相手の腹を両断した。ぶしゅう、と低い音を立てて赤い血飛沫が辺りを舞った。気づけば衛兵たちが倒れている。………ヴィスドールもそこにいるのだろうか。けれど櫻の目はジルアートの背から動かない。離れられない。

 次の瞬間、ジルアートが剣戟を畳み掛ける。長く大きな剣が翻っては相手の剣に叩きつけられ、男はぐらりと体制を崩した。ぼたり、と血が床に落ちる。だが周囲を覆っていた黒装束の男たちは怯みもせず、周囲を取り囲んだ。

 黒装束の男たちは顔を布で巻いているので素性がわからない。何人いるかもわからないが、祭壇の奥の壁に背を預けている櫻が見ても、視界を覆うだけの人数がいた。――……いつの間に。嫌な汗が背を伝う。

 ジルアートは櫻を目線でちらりと確認し、鞘を腰に設置しなおすと、それに手をかけたまま片手で剣を持って立ち上がる。



「………生きて帰れると思うなよ」



 ジルアートはちいさく、にぃ…と口の端で笑いながらそう呟き、天へ剣を振りかざした。

 神速の一撃。それは目の前の黒装束を一刀両断にした。脳天から真っ二つにしようと斬りかかり、それが骨盤あたりで停止すると血飛沫をもろともせずに片足でその身体を蹴り飛ばして剣を外す。さらにそこから踏み込んで、右と左に一閃ずつ。瞬時にそこだけ隙ができたのを見逃さず、ジルアートは祭壇下の衛兵たちに叫んだ。



「何をしている!侵入者を捕らえアウラを死守せよ!」



 言った直後に後ろに迫っていた黒装束に振り向きもせず、勢いをつけて後ろへ剣を突き出した。ぐ、と声が聞こえてまた一人、床に倒れる。

 呆気にとられていた衛兵たちは、息を吹き返したかのように、慌しく祭壇の黒装束たちに奇声をあげて雪崩れ込んだ。それを確認し、ジルアートは素早く櫻の元に戻り、彼女の腰を抱きかかえる。そして凪ぐように再び剣を振った。一閃、二閃。初めて見たジルアートの剣は、氷のように冷たく、早い。そしてそれを見据える青年の目も、動揺の欠片さえ見当たらなかった。

 櫻は自分の両手が小さく震えているのを知っていた。それに気づき、ぎゅうっと両手を強く握る。

 と、そこに大きな掌が重ねられた。視線は周囲を警戒しているが、それには気づいていたらしい。

 ジルアートはそれに構わず、事務的な口調で端的に問うた。



「お怪我は?」


「ないわ」


「では、ここを出ます」



 この状況でできることは何もない。櫻は大人しく頷いた。と、その間にも腰を強く浚われる。ジルアートがもう片方の手で斬り殺したからだ。そこではっと櫻は法王を探したが、既にそこに姿はなかった。大方誰かに逃がされたのだろう。

 ………と、ふと気づいて黒装束を見る。



「………この人たち」




 既に祭壇上は混戦となっていた。黒装束の男たちは忍者のように素早く撤収するかと思いきや、衛兵と斬り合っている。………なんだかおかしい。櫻はジルアートが傍にいるせいか、冷静さを取り戻しつつある。

 


「この場は引きましょう。あとは衛兵に任せます。あなたは湯浴みをしなくては」



 ふっと目線で笑んで見せる。櫻に向けたその視線は、先ほどの鋭利なものとは異なっていた。強く櫻の身体を抱き寄せると、一歩引いて斬りかかって来た男を横に、瞬時に縦に剣を振るった。そして血が付くのも厭わずに足元の死体を越えて祭壇を突っ切る。「いいか、生かして捉えろ!」と幾度か声を張り上げながら、進む道を切り開いて櫻と聖殿を降りようと階段に足を掛けた。

 すでにもぬけの殻となった広い聖堂を突っ切って、二人は外へ飛び出した。








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