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震える剣  作者: 結紗
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法王との面会1


 ――― そこは、古い歴史を感じさせる聖堂だった。

 白く塗られた塗料の下に隠れているのは高級な木材だろう。一面に並ぶ参列用の木椅子でさえも、艶々と光沢を放っている。

 一歩足を踏み入れた途端、一気に世界が開けたような開放感が溢れ出る。石造りの神殿は、頑丈さを湛えているものの、重く、厳めしい印象が強い。どこまでも続く、迷宮のようであった。………けれど、ここはどうだ。櫻は思わず、ぐるりと天井を仰ぎ見た。

 絵画のような彩りはない。しかしホールのような巨大な空間だ。ぽっかりと空いてしまったようなこの場所は、広さだけでなく、天井が遠い――― 遠いのだ。距離のある天井からは、巨大なシャンデリアが幾つもこちらを見下ろしている。繊細な細工に着飾られた照明は、まだ明るい外の光に照らされて、きらきらと多彩な色を見せる。

 左右に一列ずつ並ぶ長椅子は、数え切れないほど向こうまで、一直線に並んでいる。その端に、櫻は立っていた。すぐ後ろ、櫻でさえも気配を覚える位置にジルアートが控えている。そして、やたらと長い衣を翻しながら櫻の前を歩いているのが………ヴィスドールだ。

 入り口から数メートルの距離と、机の向こう側― 遠くで距離が上手くつかめないが ― には、更に中央から分岐して左右に人が大勢並んでいた。

 だが、音は一つしかしない。ヴィスドールの歩む、ゆったりとした足音だ。手には、槍ほどにも長い聖燭と呼ばれる炎の明かりを持ち、日の光が満足に射さない薄暗く、巨大な聖堂を照らしている。櫻の立つ位置から見て左側に面する、壁一面に設置された硝子の窓からは溢れんばかりの陽光が注いでいる。だが、その光も大きすぎるこの室内を全て照らすことができないようだ。左側から入る光は、ちょうど櫻の前にある絨毯の長い、聖なる祭殿へと続く道― ヴィスドールが通っている場所だ ― までを照らしていた。この聖堂を眺められる位置に立っているからだろうか、と櫻は圧倒され続ける光景の中で思った。光は、天井近いところは少なく、窓のある下の方へ向かうに連れて光量が増している。斜めに降り注ぐような光の、……そうだ、柱。柱のようでもある……それは、この聖堂を二つに分断しているように見えた。



光と、闇。



 立ち尽くした櫻が臨んだ、初めての光景だった。





 祭壇のある向こう側へと辿りついたヴィスドールは、大袈裟なほどにその裾を翻しながら、左右に並ぶ人々の間に立つ高い燭台に、その手に持つ炎を移し始めた。左から右へと、段々に明かりが灯ってゆく。そして最後に――― 法王の待つ祭壇へと上るため、階段に足をかけた。

 階段を上りきると、両端に流れている小川のようなそれに、火を近づける。と、その両端の河が突如炎の流れる道と化した。おそらく、流れていたのは油なのだろう。小川は、祭壇を下り、左右に並ぶ人々の後方を通って、聖殿を巡るように勢いよく一周した。その火の気が櫻の頬を叩き、熱した空気に包まれる。一気に明るくなった聖堂を見、ヴィスドールは無表情のまま、淡々と、それでも深く祭壇の奥に立つ人物に礼をして、その後ろへと控えて立った。


 ――― あの人か。

 櫻は遠くに見える小さな人影を、胸を張って見据えた。


 音が、消えた。すると後ろから、小さく促す声が聞こえてくる。ジルアートだ。

 声の通り、櫻は歩き出した。ゆっくりと、と事前に言われていたが、今の歩調がどの速さなのかはわからない。全身にあらゆる視線を集めて歩くせいか、ひどく足が震えていた。ギリシャ神話のようだと思った衣装は、意外にも裾までふわりと広がっていて転ぶような心配はなかったが、それ以上に足の震えを悟られないで済むのはありがたかった。………表情が保っているか、そこまでは自信がない。

 ひどく不安定な、ヴィスドールよりも軽い足音。そしてそれに続くジルアートの足音だけが、聖殿に響く。

 それは、どう形容したらいいだろう。櫻は脳が痺れてゆくような錯覚に陥り始めていた。歩くたびに、緊張や不安がふわふわとした酩酊感に変わっていく。まるで、熱や夢に浮かされているみたいだ、と櫻は思った。

 ここは、静か。

 衣擦れの音が、場を沈ませない程度に聞こえてくる。

 中ほどまで歩みを進めると、ヴィスドールの表情まで読み取れるようになってきた。この際両端までずらりとならぶ人間まで目を向けてなどいられない。………聖殿は広く、歩いているのに大して進んだ気がしないのは、緊張のせいか、足のせいか。

 能面のような、狐のような。整っているくせに冷徹にしか見えない相貌を前に、櫻は先ほどのことを思い出した。







***  







 

 櫻の部屋まで迎えに来たヴィスドールは、無言で櫻を見下ろした。

 それに圧倒されまいと懸命に踏ん張って………三秒ほどで白旗をあげる。正確には視線が合った瞬間、反射的に両手が上がった。”降参のポーズ”だ。私って弱い、と嘆息しつつ、なので、両肩が心なしか下がる。


「ご、ごめん。………悪かった、私が悪かったから」


 フン、と鼻でその謝罪を一蹴すると、普段の数倍は皮肉げに口を歪めてみせる。

 どう見ても、神聖な神官よりも悪人に見えた。


「何を仰る。神託者殿の御意思は絶対なのだから、そのように気に病むこともあるまいよ………ふん、冗談だ。顔を上げろ」


「……この、性悪神官」


「耳は良いんだがなぁ、神託者殿」


 がつりと片手で頭を押さえ込まれた。……痛みに顔を顰める。

 それに少しは気が治まったのか、ジルアートが見咎める前に手を引っ込めると、素早く身を翻した。

 やたらと煩い長衣が、ばさりと音を立てた。


「まあいい。………話は後だ。忘れるなよ」


 じろり、と流し目にも似た視線で見下ろされる。


「はいはい。お菓子はたっぷり、用意を頼んでおくから」


「たっぷり、では足らん。土産用もだ」


「はいはい」


 土産もか。

 背を向けた神官に、櫻は内心舌を出してささやかに抵抗した。あくまでも、内心、だ。

 けれど急に振り返って見えた狐目に、櫻の肩が飛び上がる。


「な、なに?」


「……………」


「ヴィス?」


 ふん、と鼻を再び鳴らし、ヴィスドールは扉に手を掛けた。




狸爺たぬきじじいには気を抜くな」
















***








 狸ねぇ。と、この状況に慣れてきたのか、冷静さを取り戻しつつあった櫻は胡乱気に前を見た。

 一歩ずつ近づいていく祭壇の中央に佇む老人。いや、正確には老人かどうかは今の視界ではわからない。ヴィスドールとも一般の神官とも異なり、その衣装は前後に被さったもので、赤い布地に豪奢な金の刺繍が施されている。あの刺繍は、幾度も神殿で見かけた神殿の紋章だろう。基本の衣装は白の神官のものと変わらないが、その纏いだけで随分高貴なものになって見える。縦に長い法帽を被っているせいで、こちらから顔を上手く窺うことができない。小さくて弱弱しい様子ではないが。

 ふぅん、と高い天井に時折目を走らせながら、長い長い回廊を進む。こんな大きな建物ぐらいで萎縮する人間が、このグランギニョルの最も高い位置に居る―――― 滑稽だ、と醒めた目が辺りを見渡した。

 気圧されてしまうのは、こんなに人の視線を浴びることに慣れていないからだ。だって、普通はそうでしょ、と櫻は内心呟いた。あちらの『箱庭』で、こんなに人に囲まれて、目立って行動したことはない。グランギニョルへ降りてからも、ずっと神殿の奥で密やかに、息を殺すように静かに生きていた。それをいきなり衆目に晒したら、怯えるのは当然ではないか。


 けれど、と足を進めながら櫻は思う。既に先ほどまでの震えは止まり、歩みを速さを調節できるぐらいに心は凪いでいる。ジルアートを意識せずとも、櫻は櫻の速度で、歩みたいように歩むことができる。

 これにも、慣れてゆくのだろうか。人々の向ける視線は、幾つもの意味を含んでいるのがわかる。櫻は気づいて、怯える以前に呆れた。

 怖いものが、この聖堂から消えてゆく。聖堂の前で震えていた手は、いつしか熱を取り戻していた。



 やがて、両脇の長椅子が途切れる頃。

 櫻は祭壇へと足をかけた。


 一歩、また一歩と昇る足に不安はない。

 背後から見詰めてくる大勢の人は、けれど、見ているだけだ。

 櫻は淡々と、祭壇の前へと進んだ。

 ジルアートは一歩後ろで止まり、跪いたようだ。剣を床に置いたのだろう。視界にちらりと見えた。






「――――……… ようこそ。新しきアウラ」





 ………降り注いだ声は、穏やかで柔らかかった。

 そういえばリードのお祖父ちゃんだったわね、と思い出しながら、目の前の老人と目を合わせる。

 除きこんだ瞳は、皺で覆われた皮膚とは違って瑞々しい光を湛えていた。

 美しい、アイス・ブルーの目だ。

 けれど櫻は、目を合わせた途端に、息を止めた。

 息が、止まったのだ。

 立ち尽くし、動かなくなった櫻の様子に、ヴィスドールは訝しんで視線を向けた。

 櫻は、目を見開いて。







「……あなた」






 


 映像が、浮かび上がる。

 脳裏に保存されていた映像だ。瞬時にそれは、再生された。










『お前は本当にかわいらしい。……なぁ、ジルアート』






「お初にお目にかかりますな。わたくしは、グランギニョル本神殿が法王の位を頂いております。エンヴィ・ソラリスと申します」







 声が再生される。

 その、吐息までも。





『……お前も、愚かな子じゃて。こうもわしに這い蹲り、赦しを得たいか。……違うな。彼女を守るために自ら身を投げ出すか。……そうまでしても、彼女が愛しいか。ジルアートよ』





 どくり、と全身で鼓動が揺れた。





「このような老いた身でも、新しきアウラにお目にかかれて光栄でございます」





 穏やかだ。微笑んだ顔は何一つ、狂っていない。

 

 凪いだ、海のように。風のない、水面のように。


 狂っている?


 狂っていない。


 狂っていない?


 狂っている。


 狂っている。


 


………あの映像は、本物だ。






『ジルアート』








 ――― ジル、アート。 

 




 その言葉が聞こえた瞬間。



 




 ――― 櫻は足元に置かれていた剣を抜き放ち、法王を切りつけた。











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