sora2
目が熱い。
細く頼りなさそうな腕は、けれど櫻を抱えてびくともしない。櫻はその力を感じているのに、振り向くことが出来なかった。熱を持つ目から零れて零れて止まらない涙を両手で覆うようにしてなお、この衝動は身体を渦巻いて止まらない。
「アウラ、アウラ……こちらを向いて」
櫻は微かに嗚咽を漏らしながら首を横に振った。息が出来ないくらい、涙が止まらないのだ。こんな顔を、見せられない。
けれど背を覆っていた青年は、小さく嘆息してからすみません、と口にして無理やり櫻の両腕を取って振り向かせた。
あまりにあっけなく櫻はくるんと回転し、涙が溢れる潤んだ瞳は藍色の瞳と思い切りぶつかった。
「………ぁ………」
「アウラ」
「………っ……」
「すみません。でも、どうか私を見て。見てください……アウラ」
真摯な視線が鋭く櫻を貫く。捉えられたままの両腕は全く動かない。だからただ、櫻は目の前の青年を見つめることしかできなかった。
「ジル、アート」
穏やかな、人だったはずだ。春の陽気のようにふんわりと微笑み、若者らしい瑞々しい感情表現をし、ひたむきな目をした。
それが今はどうだろう。強い視線は明らかに「男」のもので、顰められた眉に色気を感じる。
ジルアートは、真剣な面差しで言葉を続ける。
「そう。私です。アウラ。………お願いだから、逸らさないで」
感情が、爆発したかのようだった。
息が出来ないくらい、こみ上げるのは感情か、涙か。
崩れ落ちるように泣いて、櫻はジルアートの胸元に顔を埋めた。
ジルアートは優しく腕から手を放すと、自然に首に回る両腕を助けるように、櫻の身体を抱き寄せた。
初めて、二人は強く抱き合ったのだ。
「ジルアート……っ」
「ええ、アウラ。ここです。私はここに、いるから」
ジルアートは目を伏せて、ただ抱いた櫻の感触だけを感じている。そして腕の中の重さに安堵したように、息を吐いた。
本当は、会えたらどうしようかと色々考えていたのに、涙に濡れた櫻の目を見たら、それらが一気に霧散した。
今はただ、なんでもいい。
この身体を抱きしめていたかった。
近くの木にジルアートは寄りかかるようにして腰を下ろした。櫻は抱えられたまま、何も言わず大人しくそれに従った。
泣きすぎて言葉が出ない櫻を、ジルアートはひたすら抱きしめていた。ジルアートも、言葉が出なかったのだ……だからそう、長い間、小さくなりつつある櫻の嗚咽と、互いの温度だけがそこにあった。
………やがて櫻が落ち着くと、ジルアートは再び櫻を抱き寄せた。櫻も猫のようにジルアートの首筋に顔を埋める。
「会いたかった」
「……ん」
「会いたかったんです。アウラ」
そう目を閉じたまま、首に触れるあたたかな女の熱に、ジルアートは頬を寄せた。
櫻はそれを受け止める。
ジルアートはしばらく、抱いた肩に触れたまま沈黙していたが、左手だけで彼女の身体を抱えると、右手で優しく櫻の頬に触れた。もっと、とこちらを向かせる。
「アウラは?」
「……ぇ……?」
「言ってください。私に会いたかったと」
「……………」
櫻は思わず沈黙した。
会うのを拒否していた自分がそれを言うのか。
ジルアートだって、もうわかっているはずなのに。
そういう意図を込めてジルアートを恨めしく見上げると、それをやんわり受け止めた青年は艶やかに口の端を上げた。
その瞳は、熱が篭っているのがわかる。
櫻は身体が熱くなるのを感じて、赤くなった。……この闇で、わからないといいけれど。それでも頬に触れている彼の掌には気づかれてしまうかもしれない。
そう考えていると、再びジルアートは催促した。
「言って。アウラ」
「……でも、………」
「あなたの言葉を聴きたいんです。何でもいいから、私に会いたかったと、求めていたと言ってください。……それ以外は、聞きたくない」
つい、と青年の指先が頬から顎をなぞる。
櫻は身体を起こすと、改めてジルアートに向かい合った。膝を突いていると、ジルアートはこちらを少しだけ見上げる形になる。先ほどまで彼の胸元に触れていた手は、すんなりと両腕に変わって彼の首に巻きついた。それでも青年は、絡む視線も熱も、変えなかった。
そうして、吐息が触れそうな距離で櫻はジルアートを見つめる。
この上なく、今までで一番、彼に優しい顔に見えているといい……そう、願いながら。
「会いたかったよ。本当に、会いたかった……私が言える、ことじゃないけど」
あなたに、会いたかった。
小さく、吐息に紛れるようにそう告げた。
闇の中で、表情以上に互いの呼吸と熱を感じる。
唇が触れ合いそうなほど近づいて、櫻は右手でジルアートの唇にそっと、触れた。ジルアートはその手をとって、掌に口付ける。………その視線を櫻に向けたまま。
そうして、自然に二人の影が一つになった。
一度、羽のように唇が触れ合った。
そして視線が合い、すぐにジルアートの腕が櫻に伸びる。櫻も応えるように、甘えるようにジルアートの首に両腕を巻きつけた。
何度も小さく、小さく啄ばむように唇が触れ合い。
……は、とジルアートの息が聞こえた瞬間。
櫻は深く口付けられた。
「……ん…っ………」
熱い舌が、櫻の口内をねぶるように入ってくる。その感覚に身体がぞくぞくと感応し、彼女の両腕は胸元へと降りる。
ジルアートは強く櫻を抱き寄せた。ゆっくりと舌で口内を辿る。掌はゆっくりと、抱き寄せた身体を這う。
眉を寄せた櫻をちらりと見、ジルアートは一度唇を離して舌で櫻の顎をなぞった。
「………アウラ……」
吐息のようなそれは、既に呼びかける意図すら持っていない。
ひたすらにそこを辿ると、再び舌を絡ませる。櫻も夢中でそれに応える。
「……っ、ん……、…ぅんっ…ん、………っ」
しがみつくようにジルアートを抱きしめる。ジルアートは優しくそれに応え、その掌で櫻の輪郭を探し出だそうとする。
何度も何度も執拗に、どれほど時間が経ったのかもわからないほどにそれは続いた。
あまりの官能的なキスに、櫻はとろんと目を潤ませながら、ようやく少しだけ唇を離す。けれどもそれも、唇が触れ合うような位置だ。
「………慣れてる、のね」
「……そういうことを言うのは、この口ですか?」
くい、と顎を指先で上げられる。ジルアートの舌が、櫻の唇をゆっくりと舐め上げる。
「……ん、……いじわる、しないで」
「意地悪なのはどちらです………こんなに可愛らしい顔を見せるのに」
つまらないことを考えていたなんて、と囁いて、再び唇が合わせられる。
二人の唇は唾液で濡れ、くちゅりと水音がした。それがたまらなく心地よくて、櫻は夢中でそれを貪る。
抱き寄せているジルアートの掌が熱い。それも承知している。
幾度か交わすと、ジルアートはかぷりと櫻の耳たぶを食んだ。ピクリ、と瞬間的に目を閉じた櫻を面白そうに見て、そこからゆっくりと耳全体を歯で噛むように辿り……――― 尖らせた舌を耳にそうっと差し入れる。
「……っあ、」
「……………」
ビクリ、と大きく震えた身体を強く抱いて、逃げられないようにしてから耳の奥まで舌を入れる。
ゾクゾクゾク、とする身震いが何であるかを櫻は知っていた。
あ、あ、と身悶えながらも身を捩ろうとする。
「……ぁ、ん……っ……だめ、ぁ……っん、ん!……」
「どうして?……ここ、お好きなのでしょう?………かわいらしい……」
「……ぁっ…んっ…んっ…」
「かわいい……本当に、……ああ、アウラ………」
それからしばらく、ひとしきり青年は櫻の声を堪能した後、ぐったりと力の抜けた櫻を抱えて立ち上がった。
くたりとしたままの櫻は、青年の熱が収まっていないことを知っている。知っているからこそ、これで終わりではないこともわかっていた。運ばれる動きに、ゆっくりと目を開ける。
藍色の、情熱を孕んだ目にぶつかった。その主はそっと微笑む。……けれどそれは常と異なる、情を感じさせる色を湛えて。
「……部屋へ行きますよ。……拒んでも、もう無理です」
「そ、んな、こと、しないもの……んっ」
押し付けるように口づけて、ジルアートは目を細めるようにして笑う。
「それは、楽しみだ。………かわいらしく逃げ回っていた、あなたが悪いのです。そうやって、私を煽るから」
逃げ回っていたのに、どうしてそれが”煽った”ことになるのだろう、と櫻は運ばれながらぼんやりと思う。
けれど、この続きを望んでいるのが彼だけではないのだから、櫻に異論はない。熱に浮かされた思考ではまともなことなど考えられない。………ただ、目の前の男の熱を求めるだけで。
ごちゃごちゃした些細なことは、夜があけてから、話し合えばいい。
櫻はそう決めて、この夜に身を任せることに決めた。