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震える剣  作者: 結紗
33/79

sora

 その日の夜は、月の光で目が冴えるような妙な熱が櫻を包んでいた。



 薄い靄の中を歩いているようだった自分が、初めて感触のあるなにかに触れたような、視界が一瞬だけ晴れたような、そんな不思議な達成感とでも例えればよいか。

 冷たさの残るシーツに触れて、櫻はそれから身を剥がした。この身に残る熱は、到底眠りへ落ちることを許してはくれないだろう。

 寝台から離れると、ふらり、ふらりとドレスの裾を揺らしながら窓へと近づく。月は雲に隠れることなく光を注いでいるものの、空全体は暗い雲が千切れ千切れに、けれど辺り一面を覆っている。……そのせいか、この闇はいつもよりもずっと濃いように感じられる。

 一人の広い部屋にも、窓を開ければ入ってくるひんやりした風にも、もう驚くことはない。大きく厚い扉の向こうには、女官も兵も控えているのだろうが、櫻はその気配など読めないし、とうにそれを探るのは諦めた。

 それでもできるだけ音を立てないよう、知らず息を殺すように窓の鍵を外した。



 ――― どうしてだろう。この蕩けるような闇の中、たった一人の熱を探してる。

 櫻は一歩、また一歩とゆっくり歩む。月の光はいつしかの夜のように甘く柔らかいものではなく、天上の風の強さを表すように鋭く、とげとげしい明かりのようだ。同じ温度のはずの空気が、あの日の夜とは違って櫻の肌を冷気が襲う。

 女官も連れず、ましてやこんな陽が落ちた隠者の刻に外へ出るのは久しぶりだ。涙に濡れてばかりの憂鬱で陰鬱な日々は、寝台で泣いているうちに意識が沈んでしまったし、それより前は、前向きにひたすら昼間を生きていたから、そうそうこんな夜の時を意識したことがない。


 知っていた。闇を、月を、星を望むそのときは櫻の心が震えるように弱いときだ。


 掌に視線をやり、握っては開いてみる。うっすらと、白い影が見えるが定かではない。どっぷりと、まとわりつくような闇だ。

 ああ、と櫻は闇の中で目を細めた。闇に沈み込むように、自身の意識が沈んでいく。この闇に紛れて、どこまでも自我を失くしてしまえたらいいのにと、願ってしまう。

(だって、そうすれば、)


 ………こんなにも、恋しいと思うことなど、なかったのに。




 

 リードにぶつけられた言葉は、まるで氷の刃のようだった。

 全身を容赦なく貫く、鋭い鋭気。



 (あなたの顔が見たい。なのに、見ることが出来ないなんて)



 本当のことを聞くのが怖いのではない。

 禁忌に触れた青年を汚らわしいと蔑んでいるわけではない。

 驚きはしても、そんな事実一つで評価を変えることが出来るほど、そもそも櫻はお綺麗な人間ではないし、潔癖でもない。

 ………むしろ、そうやって遠ざけることができたならどれだけよかっただろう。

 彼の青年は、きっとこの事実に胸を痛めた聖女に申し訳なく思っていることだろうが、櫻は違う。

 そもそも、彼は自分を神聖視し過ぎだ。


 

 (………あたしは、 ただ 、)



 ぎゅっと強く、自分を抱きこむ。その腕のなんと頼りないことか。



 怖いのはそんなことじゃない。

 ただ、



 (ただ、あの人がまだその人を好きなんじゃないか………って)


 

 シェバトはヴィスドールの事実は口にしたが、ジルアートについては首を振った。最も聞きたかったことは、シェバトが口にしない以上、本人に問うことしかできない。だが、それはできない。……櫻は眉を寄せた。………そんなこと、できるわけがない。

 


 (あなたを想うことを認めたら、あなたは離れていく)



 皮肉なものだ。

 淡い思いを意識すまいと押し留めていたら、このような事件で会うことがなくなり………何よりその距離によって、今度は否応なく意識させられてしまう。

 柔らかな赤い髪。深い藍の瞳。優しい笑みは、いつだって櫻の心を癒してくれた。

 骨ばった細い手が櫻の頬をなぞる感触。いつだって、待ち焦がれていた。




 (あいたい)



 会いたい。会いたくて会いたくて、それなのにこの手は拒む。

 禁忌が露呈して尚、その男女が共にいることはないだろう。………だが、ジルアートの気持ちは。心は。



 (わたしは、ただのアウラでしかない)



 聞けない。


 聞けない。


 この心はもう悲鳴を上げている。


 けれどどうすればいい?


 







 「――― つかまえた」



 不意に耳元で声がして、暖かな腕が伸びる。

 櫻は息を止めた。パニックになることもできず、ただ目を瞠った。

 頭の中が青年のことで一杯だったせいだろうか。思わず腰に回った腕に触れる。

 とん、と背に何かが触れて、意識した瞬間に櫻の目から涙が零れた。



 「――――」


 口を開く。

 けれど、何を言っていいかわからず、ただ口が動くだけ。


 「アウラ」


 涙が、止まらない。

 開いたままの目じりから、とめどなく涙がただ零れては落ちる。

 櫻は強く、触れている掌に力を込めた。


 「……っ………」


 意図を感じたのか、腕の主は再び強く櫻を抱く。

 ぽろぽろ零れる涙が止まらず、櫻は思わず両手で顔を覆った。

 

 「会い、たかったぁ………っ」




 崩れ落ちるように、櫻は泣いた。

 









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