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震える剣  作者: 結紗
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蕩ける闇6




「……そんなところでどうした。……とは、少々皮肉が過ぎるか」



 神殿の回廊の中でも、最奥に位置するこの回廊を通る者は少ない。しん、と静寂に満ちたこの回廊で、男が通ることも稀な話。ましてや、耳慣れた厄介者の声とあれば、ジルアートは眉を顰めたまま振り返らざるを得なかった。近づいてくる足音は、高い天井に響き渡る。

 ……人の気配のない、静謐な場所だった。


「何の用だ」


「何の用とはご挨拶だな。ご機嫌伺いではいけないか」


「……白々しい口を叩くな。ヴィス」


 赤い髪が視界で揺れる。この髪を忌々しいと思ったことは数え切れないほどにあるが、今以上の時はないだろう。次第にしかめっ面になっていく青年を前に、ヴィスドールはやれやれ、とでも言うように肩を竦ませ、こちらへ歩いてくる。


「アウラの部屋には入れない。知っているだろう」


「入れないことはないさ。あれが拒否しているわけではないのだからな。…まあ、歓迎しているかといえば話は別だが」


 共に待合室の扉を開けば、そこは十分なスペースと環境が整っている。客を待たせる機能も備えているのだから当然だが、”アウラ”の待合室として考えても十分な豪奢さを誇る部屋だ。既に慣れたソファに腰掛けると、無表情な女官が卓を整え始めた。

 菊の花が入った茶を前に、少しだけ心が穏やかになるような気がした。傍らに添えられた角砂糖は、まるで氷のようで美しい。

 ……向かいで、それを容赦なく幾つも投入する神官がいなければ尚良かったのだが。

 しずしずと下がる女官たちに目を配り、神官が口を開く。


「……さて。そろそろ頃合だろうよ。いい加減我侭も程々にしていただかなければな。神託者殿にも」


 大仰な仕草でそう告げたヴィスドールに、鋭い視線が飛んだ。けれど難なくそれを見返すと、ジルアートの口から溜め息が漏れた。


「珍しいな。駄々漏れだぞ、ジル」


 ついでに、片手が顔を覆う。思わず俯いたり溜め息だって出ようというものだ。このような状況下であれば。

(…………もう、)

 ――― もう何日も、彼女の笑った顔を見ていない。


「彼女が我侭なはずがあるか。報告は聞いているんだろう、ばか神官」


「ばかではないが、まあ、聞いたな。遅かれ早かればれただろうさ……ってまさか、お前、」


 ヴィスドールは驚いたように目を瞬かせた。

 ……何だ、と視線でじろりと答えてやる。


「………お前、まさかずっと知られずに済むとでも思ってたのか」


 沈黙は、何よりの答えだった。

 俯いたままのジルアートに、ヴィスドールは、はっ、と皮肉に笑う。


「新しいアウラ、あれは愚かではないさ。人を把握することに長けている。読んだ上で行動しているんだ。お前であれば気づかないだろうが、遅かれ早かれ、こうなったさ。第一、神殿なら誰もが知っているだろうに」


「………早すぎだ」


 本当にそう思っているのか、とヴィスドールはソファに寄りかかったまま優雅に笑んだ。


「何をそんなに厭うことがある。計画は順調だろう?この状態がそれを物語っているんだ、急くこともない。………確かに利口で、悪くないがな。かといって我らに何の影響もない」


「……それはそうだが、」


 続きを遮るように、ヴィスドールは狐目を細めて言った。


「――― まさかとは思うが、剣の主よ。神託者に情が移ったということも、あるまいな」


「馬鹿なことを!」


 間髪入れずに返した問いを、どう解釈したのか。ヴィスドールはくっくと笑い、それでいい、と呟いた。


「あの女は、利用するためだけに在ればいい。情を移せば面倒なことになるだけだ。…お前には、最も大切なものがあるだろう」


「……わかっている」


 リードの事件から数日、櫻は室内に引き篭っていた。パメニさえも寄せ付けず、新しい女官だけを連れて静かに篭っているのだ。静かに過ごしているらしいが、何しろ又聞きでしかない。

 法王との面会日までは間があったし、先の騒ぎが響いていることは既に考慮の内である。新しい衣装は、今までの寸法から作っておけば良いだけの話だ。リードという法王の孫を女官として潜らせることを拒むことが出来なかったのはこちらの非であるが、こんなに早々に暴走するとは誰もが計算外だったに違いない。………恐らく、法王でさえも。

 状況はその場にいた他の女官や、待機していた女官たちによって既に神殿中に知れ渡っている。久方ぶりに、視線が痛い生活を味わっているところであるが、それよりも。


 ――― アウラ………櫻は、人を寄せ付けなくなってしまった。ジルアートには、何よりもそれが胸を締め付ける原因だった。ふと気づけば、その苦しみに眉を寄せてしまうのだ。 

 女官はパメニでなくとも、全員日替わりで交代するようになり、傍で待機する女官も拒んでいる。

 これらは全て、アウラの意思によるものだ。

 必要以外は立ち入らぬようにと、こうしてヴィスドールやジルアートでさえも待機室から先は容易に立ち入ることが出来ない状態が続いている。

 櫻と会うには、面会の必要性のある、正当な用件が必要だった。いくつか試みてみたが、多くは女官を通じて解決させられてしまったし、たとえ会えても私的な会話をしようとすれば退出を言い渡されてしまう。

 窓の外を眺めているその背ばかり見つめても、櫻はこちらを振り向くことはない。

 ………思考を読んだわけではないだろうが、確かに、とヴィスドールは告げる。


「やはり衝撃ではあったようだな。ここまでの行動に出るとは想定外だ。………実は誑かすのに成功していたのか、お前」


「冗談を言うな。そんなわけがないだろう」


「ならなぜ、このように殻に閉じこもる?お前の罪がよほど堪えたのだろうに」


「馬鹿も休み休み言え、ヴィスドール。………はあ」


 ………ようやく、屈託のない笑顔が見られるようになってきたばかりだというのに。

 知っている。自分の罪も、計画も、全ては自ら選び取ったこと。他の誰にも赦されることなど望んではいない。


 ………けれど、と藍色の瞳が伏せられる。


 もう、見たくはなかった。

 緊張に身体を強張らせて、見知らぬ土地で独り、涙を流す櫻の姿を。





 *********




 ふわふわ、とまどろむ時間は至福の時だ。

 それを知っているのに、なぜだろう、他の事は考えることも出来ないのに、心が浮かない。

 最近は、こんな時間も多くなった。

 パメニを切り離して、あの二人との時間をはずせば、櫻はこんなにも独りだ。

 一度だけ、心に浮かんだ人の名を、小さく呟いた。それすらももう、誰にも届かない。

 この広大な部屋に、櫻は独り。










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