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震える剣  作者: 結紗
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蕩ける闇3





「仕事始めだ。神託者殿」



 もそもそとスコーンを頬張りながら、ヴィスドールは唐突にそう告げた。

 櫻はといえば、同じ卓で茶に蜜を注いでいる最中で、思わず教師の顔を見つめてしまったものだから、どろりと過分な蜜が茶に注がれた。……ああ、と眉を下げつつそれを置くと、銀の匙でゆっくりとそれをかき混ぜながら口を開いた。



「……あのね。毎日ちゃんと勉強してるのだって、私の仕事でしょ」


「まあそうだが。とにかく、披露をするそうだ。衆目に晒される日も近い」


「祭殿で祈るってやつ?」


「まあ、それに先駆けての披露だな」



 そう言って、また新しいスコーンを手に取った。

 傍らに立つパメニが怒りの笑みで兄を見ているのに、その兄はといえば知らん振りだ。朝の茶飲みの時間にヴィスドールが加わるようになってからというもの、どうもこんな毎日が続いている。ヴィスドールが前代のアウラについて激昂した後、特に進展はない。だが同じように、恐らく「神」と称されているであろう金髪の男に会ったあの日の件について、尋ねられることもなかった。


 涼しい朝の時間は幾らか時が過ぎても相変わらずで、聞けば始終同じ気候だというからそれも納得がいく。地球……櫻のいた”箱庭”とて、季節の分かれ目が多くあったのだ。グランギニョルがそうであっても不思議はない。こんな高所にあるのだし。

 とにかく、最近は気が向くことが多いのか、ヴィスドールはよく櫻の元へ顔を出す。朝食の後にこちらに出向くのかと思いきや、朝食を取らないのだという。



「ヴィス、ちゃんと食事もしないと。こんなものばかりじゃ栄養が偏るよ」


「構わない。特に困ったこともないしな」



 からかうように肩を竦めて見せるが、それでも片手に持ったスコーンは手離さない。ベリーのジャムを溢れるほどすくって、綺麗にぱくりと口に収めてしまう。一見品は良いが、相当量を口にしている様子を見ると、櫻の眉は自然と寄ってしまう。

 パメニ、と彼女を仰ぎ見ても、呆れたように首を振った。



「無理ですよ、アウラさま。兄はいつもこんな調子なんです。絶対に食べたいものしか食べようとしないんだから!」



 そういうことだ、と言わんばかりに咀嚼しながら頷く兄に、パメニはむっと頬を膨らませてその褐色の指でヴィスドールの頬を抓った。それでも淡々と食を進めるものだから、櫻も呆れを通り越して笑ってしまう。意外に仲が良いらしい。


「前はこうでもなかったんですけどね。また悪い癖が戻ってしまって」


「そうなの?」


 ヴィスドールが偏食でない時期などあったのか。

 ちらり、と横目で神官がこちらを見、すぐに背けた。


「……どうでもいいだろう。お前も余計な口をきくな」


「……余計なことかしら。兄様」


けれど、パメニはそこで口を閉じた。






「で、その仕事って何なの」



 櫻の問いに、パメニは傍らにあった水のグラスをずいと寄せる。片手で応じたヴィスドールはそれを一気に飲み干すと、ようやくこちらを向いた。真っ直ぐに視線を向けられたのは久方ぶりのことで、かすかに背筋が伸びる。……この紅い狐目は、どこか凍てついた空気を運んでくるのだ。



「神殿の意向が決定した。今まで新しいアウラが降り立ったことはこの神殿のみに伏せられていたが、正式な通達を出す」


「グランギニョル全土へということ?」


「そうだ。段階は踏むがな。まず法王との面会、神殿への通達。で、披露宴だ」


「披露宴って結婚じゃないんだから」



 くっと笑ったヴィスドールは、小さな焼き菓子を櫻のティーソーサーの上に放る。それを指先で開けながら、櫻は疑問を投げかける。



「披露宴は神殿関係者の集まりなのかしら」


「そうとも限らないさ。一応、各関係者を集めるはずだが気にする必要はない。どうせ覚えきれぬほどに集まるだろうからな。一々気に留めるほどの人物も、そうはいないだろうさ」



 披露宴の後、散らばっているそれぞれの島の神殿から、一般へ向けてアウラに関する情報が公開されるらしい。

 


「まあ、勉強もひとまず一段落したと言っていいだろう。大体の歴史や地理なんかは頭に入っているようだしな」


「でもこの島じゃないと一人で出歩けないし。まだわからないことばっかりなんだけど」


「アウラが一人で外出する機会がそうそうあると思うか?愚かな期待はしない方が身のためだ」



 皮肉気に口の端を挙げて見せる。

 とにかく、とカップを口元へ持っていくと、目を伏せた。



「まずは法王との面会が最初の仕事だな。まだ会ったことはないはずだが」



 ここで会うのは幾人かの神官や女官と、狐目の男か赤色の青年だけだ。

 どんな人、と問うと、隠居に近い爺さんだ、と返ってきた。

 あまりの言い様にパメニは口を開きかけたが、兄はそれを片手で制して続けた。



「だが、神殿が持つ権力の最高峰だ。俺など敵うまいよ」


「……若くても、アウラの教育係を任せられるほどなのにね」



 大げさに言って見せると、おかしそうにヴィスドールは笑った。



「全くだ。早くご老人にはご退場頂きたいものだがな。……だが、権力は確かにその法王が持っている。せいぜい気をつけるんだな」


「誰に言ってるのよ。神官さん」


「これは失礼を。崇高なる存在、アウラ」



 満腹になったのか、ヴィスドールは席を立つ。

 パメニは手早くその分だけ片付けると、申し訳なさそうに櫻を見遣った。

 


「申し訳ありません、アウラさま。私も披露宴の準備に呼ばれておりますので失礼します」


「そういうことだ。妹は借りていく」


「いいよ。後は適当にやっておくから」



 櫻は頷いた。パメニは櫻付きだが、それは通常時のみの扱いらしい。

 さきほどの披露宴の準備に向かわなければならないなら、仕方ない。


 パメニはですが、と続けた。相変わらず心配そうな面持ちで。

 ……心配されるほど、危なっかしい行動をした覚えがないのだが。



「一人でふらふら散歩に出るのは十分に心配であろうよ」


「もう、兄様!茶化さないで!」



 見透かしたように笑む狐目。

 う、と櫻は唸る。

 ……朝の散歩ぐらい、一人で好きにさせて欲しい。

 たまたま何度か朝食の時間に間に合わなくて、いない櫻に気づいたパメニが必死の形相で探しに来たぐらいで。

 ……何度か、だ。そうそう毎日ではない。



「アウラさま。法王様との面会のために、衣装を仕立てなければなりませんので、本日はそちらをお願いします!

 私の代わりに………―― リード!リードはいる?」



 呼び出しの紐を引っ張ると、数人の女官が入室してきた。

 ふわふわした印象の、小さな可愛らしい女官が先頭で礼をする。

 ぱっちりとした大きな瞳。一つにまとめたポニーテールは、まるで……


(リスみたいね)



「本日はリードがお世話をさせていただきますので」


「はい。よろしくお願い致します。アウラさま」



 きゃるん。

 そんな効果音が響きそうなプリティな眼差しで、リードはにっこり微笑んだ。


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