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震える剣  作者: 結紗
24/79

蕩ける闇


注意:性的表現がなぁんとなく入ります。

   同性の表現もございます。これっきりですので、ご容赦を。




 ……暗い、闇の中。

 硬質な音が規則正しく、ゆっくりと鳴っていく。聖殿の中は既に夕暮れを過ぎて眠りの中にあるというのに、それを切り裂くように、足音はそこを突っ切っていった。

たなびく長い髪は、暗澱に隠れて影だけが映る。

聖殿の造りは祈りの社とされる、地域ごとの祈りの間とさほど変わりはない。両脇に並ぶ長椅子は、昼間であれば多くの人間が腰掛けているであろう。もっとも、この聖殿に踏み入れることのできる者は限られているが、それでも陽の差し込む聖殿の祈りの間にはいつも人々が溢れている。

だが今は、誰の気配もない。しん、とした、無機質な長椅子たちは冷えた温度のままに沈黙を保っている。

 長椅子が並ぶだけの様は圧巻だ。眺めるだけなら、しかもこの闇の中に佇む様子は………まるで。


「……ひつぎのようだな」


 そう、小さく呟く声さえも。今は突き抜けて”神”へと届いてしまいそうだ。


 それらを通り抜けた先に、祭壇があった。豪奢に飾られているはずのそれも、今は闇に沈んでいる。

さらにそれを越えると、天井まで届く一面の硝子張りの壁がある。そこだけが、闇夜にあってもぼんやりと明るく見えるから不思議だった。

 今宵は新月。月さえも隠れてしまう夜だというのに。

 硝子にそっと、手を触れた。闇の中ではどこから硝子なのかわからないから、そっと。するとほどなく、ひんやりとした感触だけが掌を押し返す。そこに触れたまま、眼下に広がっているであろう街を見下ろす。

 最低限の人間しかいないこの島においては、使用人や神官、少ない商人が暮らす慎ましやかな様相の街があるだけだ。もっとも、”一見”慎ましやかに見えるというだけで、それも真実ではないのだが。まあともかく、この薄明かりの向こうに広がる街は、けれど既に見えなかった。闇が訪れて随分経ってしまったのだから、ほとんどの人間は既に眠りについている頃なのだろう。


 しばらく、音もなくそれを見下ろした後。闇に溶け込みそうになった己を引き剥がすように、祭壇の向こうにある扉に手をかける。扉といっても、何度目を凝らしても見えないはずだ。ここはそういう扉だった。既に手になじんだ感覚で、かすかに出っ張った石を押す。と、回転扉のように扉が開いた。石扉を閉めてから、すぐ目の前にある扉の鍵を開ける。

 もう、何度目かも覚えていない。

 慣れた作業だった。


 扉に再びしっかり鍵をかけると、足元に長く続く石階段を下りる。ぼんやりと、遠くから燈の色が見えるのは、灯りが灯っている証拠だろう。螺旋状になった階段は狭く、急斜面になっている。だが、もうそんなことは身体に馴染んでいた。

 終わりが見えて、もう一度新たな扉の鍵を開ける。






 ――螺旋を巡る足が震えなくなったのはいつからだろう。

 どこまでも続くようなそれを辿りながら、ぼんやりとそれを思う。


 最近は、特別憂うこともなくなった。強いて言えば自由な時間が少なくなったぐらいだが、別にそんな時間はなくてもいい。

 あってもどうせ、大してやりたいこともない。

 ひんやりとした石の感触を柔らかな布の靴を通して感じる。普段は硬質な靴だからこそ、このような軽装―身を覆う大きな布を幾重にも重ねただけの神官用の衣だ―が落ち着かない。特別、今宵のような晩は、と特筆すべきところだろうか。しかしもう、擦り切れた古い布切れの余蘊に古の記憶は浅く、ぼんやりとも思い出せない。思い出せないことが防衛の手段だと知ってはいたが。

 

 ……ふと、最近よく笑うようになった彼女のことを思い出す。

 そして少しだけ、胸が苦しくなる。この螺旋の階段の行き着く先は醜い醜い汚物に塗れた俗世の表れといってもいい。そこに身を沈めるこの身を思い出すからだった。それがわかっているから、微かに眉を顰めては雑念を振り払う。


 雑念を、もってはいけない。

 この先にあるのはただただ、地獄。

 この身をゆだねる前に、自我を消すのだ。


 なのにどうして、彼女は脳裏で笑うのだ。

 この地に降りて随分時間が経ったような気さえする。それだけ今の状況に、彼女は馴染んでいた。

 ドレスを仕立てたあの件から少しずつ、彼女は忍耐強く知識を得て、周囲の信頼を勝ち得て行った。

 周りに迷惑などかけず、幼げな容貌のわりに大人びた笑顔できちんと義務をこなし、関係を作っていく。

 慣れない土地でと侮っていたのはこちらであったのか。



…そんなわけはない。

計画はまだ、続行している。

計画に狂いなど見当たらない。



 ……ただ。

 あのように笑う女性だと知らなかっただけだ。

 アウラとなる女性が、あのように、無邪気に。



 心を閉ざしていたのだろう。否定的で退廃的な捉え方もあった彼女が、今では女官ともことばを交わすようになった。

 回廊ですれ違う神官に、自らの立場をわきまえた態度で接することが出来るようになった。

 知っている。


 それは全て、努力と忍耐の証だと。


 周囲の声が煩くなって来たのはむしろ喜ばしいこと。

 アウラの基礎教育が修了すれば、正式に新しいアウラとして神殿に君臨することになるのだろう。その披露の話だ。

 ……今の彼女なら、大丈夫。きちんと正しく任務をこなすだろう。

 その理由の一端が、自分にあることも、知っている。

 




 ――― けれど、と彼は回廊の終わりにある扉に手を掛ける。

 全ての神経を麻痺させる。

 聞こえない。

 見えない。

 そう、ここは夢。

 幾度も通った、悪夢の棲家。











 この扉の向こうで起こることは全て――― 悪夢だ。



























(きたな い)


















 この身を汚すモノが、全てが終わって覆いかぶさってくる。

 汗のにおい。肌の感触。老いたそれを、ゆっくりと達したばかりの成年の肌になすりつけていく。

 白濁を撒き散らして萎えたそれは、汗にまみれたその肌に触れていく。

 青年の瞳は、濁っていた。


 老人は、にたぁ、と哂った。






 これは、悪夢だ。














「お前は本当にかわいらしい。……なぁ、ジルアート」

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