5つの罪4
『最後の罪の源は、神託者殿。お前だよ』
茶器に触れていた指先が、痙攣のように微かに震えた。
俯いた櫻を眺めながらヴィスドールはただ待っていた。狐のような目が狡猾そうに細くなる。
…口元が歪んだように笑んだのは、陽の加減のせいだろうか。
思ったよりも早く、彼女は口を開いた。
「…その罪は、まだ残っているのね」
「…どういう意味だ」
今度こそ、櫻は顔を上げた。茶に染められた髪とは違う、深黒の瞳が予想より強い輝きを得ていることに、向かいの教師は目を瞠る。
想定していたわけではないだろうに。世界の終わりはお前次第だと告げられたも同然の身で。
けれど櫻の答えはヴィスドールが目を剥くほどに予期せぬものだった。
「前のアウラが何かしたってことはないのね」
「…前代のアウラ?」
「その罪はまだ起きてないのね。その預言書は当てにしてもいいものなの?していいなら私次第だってことだけど。解釈が間違っていて、もう前のアウラとかが犯した罪だったりとか――」
――瞬間、激昂した。
赤い瞳が見開いて、椅子を蹴り飛ばすように立ち上がる。
両手が机を激しく叩いた。
「……っ…貴様、ふざけるな!!アウラが罪など犯すものか!!」
目の前の瞳が、これ以上常ないほどに大きく開かれた。その瞳に映る自身が、息が弾んで肩が上下しているのがわかる。
机に付いた掌が震えを腕に伝えたことで、ヴィスドールはようやく深く息を吐いて目を閉じた。
息を吐く唇さえ震えている。苛立ちは瞬間に後悔へと早変わりした。…何も知らぬ女に怒鳴ってどうする。
どうしようもない。意味などないというのに。
……そう、無意味だ。
「…彼女は、」
目を閉ざしたまま、ヴィスドールは驚きか困惑か、恐れかを抱いてこちらを見つめているだろう彼女に向かって口を開く。
告げながら、言い聞かせているのは本当は自身にであったが。
くしゃり、と髪を崩す掌が、まだ震えていた。
「アウラは、聡明な女だった。そのようなことは……ありえない」
逆光の陽光の元。天蓋近くに佇む彼女は、こちらを見下ろして微笑を湛えていた。
穏やかな春の光のような雰囲気を纏って、静かに神殿の奥で生きていた。
年を経て、年月が彼女を覆っても。老いが肌を蝕んで、病魔に冒されて尚。
ヴィスドールが脳裏に描いた微笑みに強く目を瞑り、そこから無理矢理自身を引き剥がすようにして立ち上がった。
「アウラは病死だ。アウラは崇高な存在として我等の中に位置づけられるがそれでもただの人だ。…お前も、気をつけることだな」
そう告げて、足早に部屋を去っていった。
言葉の意味を、櫻は一人考えていた。
飛び出すように退出したヴィスドールと、前代のアウラのことを。…とはいえ、考えても仕方ない。手持ちの情報は少ないのだから。
けれどあの冷静なヴィスドールが激昂した様子には驚いた。衝撃がまだ、胸を震わせているのがわかる。
大人の男に怒鳴られる経験など、あまりない。櫻は、けれどヴィスドールの表情に後悔の意が見えたのを知っている。頭の良い男だ。きっと怒鳴った直後に悔いているはずだ。できるのは、そのことには触れないこと。…少なくとも、彼の前で。
何より、最も必要な情報は得た。些細なことは後回しで構わない。
問題なのは、このグランギニョルを生かすためには最後の罪を犯させないこと。
その罪とやらが、預言書の通り”アウラの嘆き”であるのなら……
大丈夫、と櫻は胸を掴んで目を閉じた。
アウラ、と小さく呼ぶ声が聞こえて席を立つ。
ヴィスドールの退出を聞き届けたのか、剣を携えた青年が微笑みながら歩いてくる。
震えていた胸は、収まっていた。
短くてすみません。
次はラブ…!