5つの罪3
「……お前はもう少し御しやすい気性だと思っていたんだが、どうやら違ったようだな」
冷めてしまったお茶を取り替えてもらい、それに口を付けた後。ぽつりとヴィスドールが言葉を落とす。
頬杖を付いたまま、窓の外を眺め見ながらのその言葉に、櫻は静かに笑って返した。
「大人しそうに見えたってこと?」
「ああ。…少なくとも、愚かではないと思っていたが」
「あなたが思っていたより小賢しかったってことかしらね」
ヴィスドールはようやくこちらに視線をよこすと、口の端だけで笑んで見せた。
「だが…悪くはないな。少なくとも聞いてよい相手を選ぶだけの目はありそうだ」
暗にヴィスドールが示しているのは、ここにいない赤毛の青年のことだろうと櫻はすぐに察した。
六戒自体はお伽噺のように人々の中に知れ渡っている常識であるはずだから、彼の君に尋ねたところで問題はないはずだ。
だがそれでは、意味がない。
そのことを知っていたかのように、櫻は苦笑しながら答える。
「憶測や虚構にまみれた情報を聞いても混乱するだけでしょ。だったらここに、その見本みたいな人がいるんだから聞いた方がずっと早い」
「その通りだ。褒めて差し上げよう。神託者殿」
合格だ、と言わんばかりにヴィスドールは軽く手を叩くと、櫻にその赤い目を向けた。
「尋ねた人間が良かったな。私以上に六戒について知る者はあるまいよ」
櫻は目で続きを促す。
「六戒の罪についてどこまで知っている?」
教えたもらった授業自体は無駄ではないらしい。櫻は指を折りながらそれを思い出していく。
「フィシシッピの矢……エメドの戦、あと、」
ヴィスドールが可笑しそうに続きを紡いだ。
「アジェリーチェの涙とラゴンの断末魔、そして…血潮の涙、だ。」
「そうなのよ。5つしかない」
「5つにそれぞれ罰が下ったからさ。始めに六戒という言葉があった。だが、その罪は侵されるまで知ることはできない。まあ要するに、侵してしまった罪が六戒に相当するものであったなら、大打撃ということになるな。その5つの罪の意味を知っているのか」
櫻は首を振った。知っているのはそういう名前で称される罪があることまでだ。
だがヴィスドールはそれを知っていたかのように頷いた。
「普通、知っているのはそこまでだろうな。それぞれがどの意味を指しているかは皆想像しているだけであろうよ。とはいっても、まあ、そこまで難解なものは少ない。…簡単なことだ。神に弓引いてはならない。戦をしてはならない。肉親と情を交わしてはならない。聖獣を殺してはならない。伴侶を殺してはならない。まあ、そんなところか」
櫻は眉を顰めた。
「ちょっと…ここではモラルってないの」
戦はともかく、近親相姦だのというのは常識的な禁忌だろう。
「あるさ。だがこれらの罪が六戒に相当するということが最も重要なのだ。文献に載っていたものはエメドの戦とフィシシッピの矢ぐらいだが…」
濁した語尾に、わかるか、という問いかけが含まれていることに櫻は気づいた。
一瞬、脳裏を掠めたことがある。だがそれは、あまり当たっていて欲しくないことだ。と、櫻は俯いて考え込む。
だがそれに気づいたのか、ヴィスドールは回答を促した。
「わかったのだろう?神託者殿。六戒と呼ばれる罪のうち、既に5つは破られた。文献に載っていたものは2つだけ…さて」
櫻は今度こそ、顔を上げた。
「……残りの3つは、最近起こったってこと?」
あっさりとヴィスドールは頷いた。
「そういうことだ。誰が、など誰にもわからぬがな。何せ罰は天からの光柱でどこに当たるかもわからぬというし」
「光柱?」
「六戒が破られると、天罰が下るという。正しく天上から光の柱が降ってくるのさ。光柱は一瞬にしてその島を焼き尽くしては消滅させる。これが天罰だ。……問題は罪が犯された場所と光の柱が落ちる場所とが一致しているのかが不明であることだが」
一言区切って、ヴィスドールは無表情のまま櫻を見つめた。
「血潮の涙とアジェリーチェの涙、この2つの天罰は既に降りている。残りの一つはまだだが、もうじきだろう。尤も、どこに落ちてくるかはわからない。だが…2つの天罰を既にこの目で見ているよ。今生きているグランギニョルの民は、な」
不可解な感触が、櫻の胸を覆う。何か、気づかなければいけないことがある。
あるのに…このときの櫻は気づかなかった。
その天罰が残ってはいるが、とヴィスドールは続けた。
「とにかく。破られていないのは一つだけだ。神殿には預言書が遺されているんだが、これが面白いほどよく当たっている。原書の罪、フィシシッピの矢より以前に書かれたという、預言書だ。その預言書にある罪に書かれている最後の罪はこうだ」
さんさんと、陽光が室内を照らす。
明るい光で溢れているこの部屋で。
なぜか、櫻の手が震えた。
「”アウラの慟哭”。最後の罪の源は、神託者殿。お前だよ」