5つの罪2
『終末』と『消却命令』そして… 『6つの条件』
櫻はヴィスドールにそれを告げようと口を開いて…再び閉じた。
今のこの部屋には2人しかいない。櫻の剣士は待機しているだろうし、パメニも呼べば来るはずだが、今は教師と生徒の二人だけ。
ヴィスドールは変わらず櫻の瞳を見つめている。いや、覗き込んでいるといった方が正しいだろうか。
櫻への信用があまりないのは手に取るようにわかる。それが少しだけおかしくて、小さく笑った。
こんなに感情の起伏がない自分も、相手の感情を理解する自分も、なぜだか不思議だったからだ。ヴィスドールがそれを隠しもしないということも、ある。けれどそれを除いても、やはり少しだけ、ふわふわとした浮遊感と違和感が拭い去れないでいた。
……さて、と。櫻は内心呟いた。
問題は”どこまで”話したら良いかという問いだ。
飛ばされたあの時計塔のような場所で、男の告げられた事実を櫻は信じている。無条件に。これも不思議と不快に感じることはない。
事実は事実であると、櫻自身が理解していた。だからこそ。
「とりあえず、報告前に。それって義務になるわけ?」
意地の悪い質問だ。アウラであることは義務であっても、どこまでが自分の領域として守れるのかという、その境界線を引こうとしたのだ。櫻もそれを自覚しているから、思わず口元を歪めるようにして笑う。
アウラという階級に関する理解は既にしてある。今までの授業の基礎知識と、周囲の態度で理解した程度だが。
アウラは神からの神託を告げる神託者。
神の御使いとも呼ばれるそれは神を至高とするグランギニョルにおいて、この地上で最も崇高な存在であるとされるということも、櫻は既に知っていた。
彼女が教科書やニュースで見聞きしたような王制は存在しない。グランギニョルの絶対者は神であり、それは存在がはっきりと認識されているからだ。
――曰く、『六戒』の具現化だ。
櫻はこの『六戒』とやらが終末を導く6つの条件のことを示していることは見当が付いていた。とはいえ、『六戒』について知っていることはといえば、この決して破ってはならない6つの罪が存在し、破られるたびに罰が下されるということぐらいのもので。
…実際に。
…天上より。
6つのうちの幾つかは、既に歴史の中で犯されてしまい、それには相応の罰が天から降ってきた、と。
それがお伽噺ではないらしい。その証拠があるのだろうが、だからこそグランギニョルの民は神を崇めるのだ。
話を戻そう。
アウラである櫻は、このグランギニョルにおいて最も崇高な存在である。
存在ではあるが、この地や神殿、神に対する理解は皆無に近く、無知なままでもある。
櫻に与えられた基本的な知識と情報は全てグランギニョルの土地に対するものばかりで、歴史もほとんどかじっていない。かじっていないのか、かじらせてもらっていないのかも、定かではないが。
しかしそんな状態で『終末』を防げと任されても困る。櫻には情報が必要だ。
そしてそれを与えてくれるのはこの神殿。
そして最も近いのは……この男、ヴィスドールなのである。
だが、櫻は馬鹿ではない。
櫻は、ともすればこの目の前の男や神殿の人間、グランギニョルの民が知らないことも知っている。
神殿が神を奉り、人がそれを支えたとしても、神殿という組織には権力が存在するということを。
ヴィスドールは無表情のまま、櫻の問いに答えた。
「義務、か。まあ、神託であれば義務だな」
「神託かどうかなんて、どうやって見極めるわけ?」
「通常、アウラは毎日祭壇で祈る。まあ、祈っておらずとも祭壇に居れば良い筈だがな。そこで得た神の言葉が神託だ。…まあ、神託など任期の中で一度や二度しかないが」
そういう定義になっている、と彼が投げやりに告げたとき、櫻は微かに苦笑した。
ヴィスドールは櫻の思惑に気づいている。気づいているからこそ、投げやりになったのだ。
部屋に来たときは爛々と目を輝かせていたくせに、と櫻は思う。
「じゃあ、昨日のあれはやっぱ神託じゃないんじゃない。話すって言っても、夢かもよ?」
ヴィスドールは赤い瞳で櫻を突き刺すように見た。
笑みのない顔は、真実を見透かすように。
「そういう問題か?それを判断するのは我々だ」
強気の言葉に、櫻は暗く笑った。
なんて愚かなことを言うのだろう。
だからグランギニョルの民ではだめなのだ、と内心溜め息を吐く。
「だって私は祭壇には居なかった。神託ではないことを、話す義務はないでしょ。あなたたちにそれを知る権利もない」
ヴィスドールは櫻のことばにかすかに目を見開いた。ここまでの頑なな態度は意外だったらしい。
確かに、ヴィスドール自身に対して何か気持ちを持っているわけではない。パメニの兄であり、昨日から助けてもらっている恩もあるし、個人的にどうこう思っているということではない。
だが今、彼がここで”アウラ”と向かい合っていることは神殿の一員としてであり、彼の言葉は神殿の総意ということになる。
櫻は昨夜、十分に考えた。
神殿という力を持つ組織のこと。
自分がいた世界の宗教の影響力。
そして、愚かな人々のことを。
「話すかどうかは私に判断させて。とりあえず、『六戒』について聞きたいことがある」
人は、愚かな存在だ。
櫻はこの考えを覆すつもりはない。櫻は自覚しているからだ。自分をも含めた、人という存在が愚かであることを。
『終末』とやらを呼び込む『消却条件』は6つ。既にグランギニョルでは5つの罪が犯されているという事実を考えてみても、この世界の人間が櫻が思う生き物と異なるものであるとは思えない。
人は愚かだ。故に罪を犯す。
櫻だけでなく、それは人にとっての絶対条件のようなものだ。人は誰しも、正しいことばかりをして生きているわけではない。
だからこそ、この6つの条件が全て揃うのは時間の問題なのだろうな、と櫻は内心冷静に考えている。
だがそれは、櫻の生きている間であっては困るのだ。あっという間に6つの条件を満たされて、簡単に死ぬわけには行かない。
そのためになら、神殿を司る者でさえも櫻は冷静に判断しようと心に決めた。
何が6つ目の条件の引き金になるかはわからない。
だからこそ、情報は正確に櫻の手元に持っておきたい。全てのカードを揃えた状態で、だ。
しかし、それは神殿側も同じだろう。
だからこそ、櫻は口を閉ざす。
ヴィス、と苦笑を含んだ声に、ようやくヴィスドールは冷たい視線を温く収めた。
聡い女であるとは思っていたが、一晩でこうも狡猾さを含んだのは何故だか彼には解せなかったのだ。それ故に、櫻の苦笑が昨日の彼女のようで。
「私は馬鹿じゃない。それに、やらなきゃいけないことがあるの。全部、私が判断する。だから教えて。『六戒』の全てを」
久しぶりですみませーんー。