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震える剣  作者: 結紗
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神の領域4



 夜空は群青色をしていた。天井を覆うような星たちは、手の届かない遥か遥か遠くに、小さな光をもって瞬いている。

 櫻はテラスの縁に手を掛けて、ひんやりとそよぐ夜風に身を預けた。……いい夜だ。

 あれから時の経つのも忘れて一人で泣いた。

 泣いて泣いて泣いて、それでも結局、この世界に櫻が生きていることは変わらない。

 そして今、眼前に広がる景色もまた、櫻の世界のものとは異なっても美しかった。

 辺りを漂う雲の切れ間から、星がちらちらと降るように溢れ。

 昼間は緑溢れる大地は、闇に静かに身を横たえ。

 対岸に見える大きな湖は、暗闇の水面に月の光を湛えている。

 寝静まった深夜に、人の明かりは見えずとも。

 この世界は、生きて、呼吸をしている。

 ……もう、櫻の拠り所となるあの地はなくとも。



 にじみ出る涙に、櫻はもう何度目か、再びそれを掌で拭う。

 すると拭った辺りをすぐに夜風が撫でるのだ。顔がすうっと冷えるたびに、櫻は心が凪いでいくのを感じていた。  

 泣いても、変わらなかった。

 何度も泣きながら願った。あの地が『箱庭』だというなら、それでもいい。

 だからどうか、


 消えてしまわないで。

 消してしまわないで。



 ……けれどあの地が既にないというのなら。

 


 櫻は再びこみ上げる涙をそのままに、眼下の世界に両手を開く。

 包めるだろうか。

 誰かが櫻のように、願うなら。

 櫻には届かなかった祈りを、けれど櫻が聞き届けることができるなら。


「守る、から」


 泣きながら、震える声でこの世界に伝えよう。

 今は眠る、この夜ごと。この世界ごと。

 櫻に守れるというのなら。





 …その時、後ろから伸びた腕にゆるく抱き寄せられる。

 櫻は驚きに目を見開き、視界の端で揺れる髪にその腕の主を知った。


「…こんなところで。一人で、何かを決心したり、しないでください」


「ジルアート」


「あなたには私が居ます。私は剣の主だから。いつだってあなたの傍にいるのです」


 赤い髪の青年はそう言って、そっと櫻の身体を引き寄せた。

 櫻は頬が焼けるように紅潮するのを抑えられずにいた。……こんな登場とセリフはずるい。

 何もいえないで居る彼女に、青年ははあ、と溜め息を吐いた。


「何も言わず、あなたをここに送り届けた後…姿を消してしまってすみませんでした」


「……別に、義務じゃないでしょ?」


 こんな華奢な青年に触れられているのが恥ずかしい。櫻の腹でゆるく交差した腕は、けれどしっかりと彼女を留めていた。

 櫻は少しだけ、昼間の意地悪を思い出す。大人気なかったかもしれないが、やはり根に持っているのかもしれない。

 この世界を、グランギニョルを知った、初めてのものは、この赤い髪の青年だったのだから仕方ない。

 けれどジルアートは微かに苦笑を滲ませた声色でそれに応える。


「アウラ。私は義務でうご……いえ、やめましょう。剣の持ち主である以上、アウラと共にあることは私の義務ですから。けれど、ここを訪れなかったのはそれを疎んでいたからではないのです。本当に。それだけは信じて……いただけませんか」


 語尾が掠れるように小さくなるにつれて、櫻は口がほころぶのを感じていた。

 きっと、眉を下げて、本当に申し訳なさそうな顔をしているのだろう。それが不思議とわかる自分に、櫻は笑ったのだ。

 私って単純、と内心舌を出しながら、自分から一歩、進んでみることにする。


「寂しかった」


 ジルアートは反射的に顔を上げる。


「え?」


 櫻は変わらず眼下の光景を見つめながら、背後の暖かな存在の価値を思う。

 そして、再び、……少しだけ。 

 ……少しだけなら、今の櫻にも近づけるような気がしたから。


「寂しかったの、ずっと。あなたに会わない日が続いて、でもずっと、赤い髪を探してた。……だから今日会えて、本当に嬉しかった。見捨てられたんじゃなかったって知って、安心したの」


「そんな、……アウラ、」


 私は、と続けようとする青年に、櫻は少しだけ振り向いた。

 あっさりと拘束していた腕が外れて、青年に向かい合う。



 ああ、と櫻は少しだけ目を細めた。

 赤い髪がゆるい風に靡いて、闇の中で紫色に染まっている。

 若々しい白い肌。すっとした鼻筋。

 ……綺麗だった。

 夜の闇の中でも、とても。

 とても綺麗。



 アウラ、と囁いて、ジルアートは櫻の両手を頬に触れさせた。

 青年の頬は、温度が低く、けれど触れ合っているととても暖かかった。

 櫻は素直に笑い、言葉を促すように首を傾げた。

 ジルアートは嬉しそうに口を開く。


「剣の持ち主…主の意味を、お教えします」


「持ち主。…剣?」


「ええ。私のアウラ。あなたが私のアウラであるように」


 そう言って、ジルアートは鞘に入った剣をそのまま月明かりに照らして見せた。

 藍色に艶がかったその鞘には、銀色の豪奢な細工が施されている。だがとてもシンプルな剣だった。


「これは、アウラを守るための剣。この剣を持つ者は、アウラを守り、支える者となる。前代のアウラが私を次代の剣となるという神託を下されたその時から。私はあなたのものなのです。……ずっと、待っていました。あなたがこの地に現れるのを」


 説得力がありませんね、と苦笑する。

 けれど、と微笑んだまま、ジルアートは告げた。


「私のアウラ。私はあなたのものです。あなたの剣となり、盾となる。これ以上の名誉はありません。ずっとずっと、アウラの剣となってから、それだけを思ってあなたを待っていた。……けれど、今は少し違います」


 見上げる櫻に少し、首を傾げて。

 恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに。


「今日、ヴィスの腕に守られたあなたに、私は後悔で胸が詰まりました。あなたは生きていた。だからそれでいい筈なのに。…初めて会ったあのときの、不安そうに微笑むあなたを何度も何度も、思い出すのです。そうして、誓ったのです。あなたの傍に、いることを」



 アウラであることに苦痛を覚えることもあるでしょう。

 強くあらねばならぬこともあるでしょう。



 だから、とジルアートは言う。



「今夜のように、一人で涙を流したりはしないでください。私はあなたのためにある。苦痛も悲しみも、どうか私には見せてください。私は必ず、あなたのお傍にいますから」



 ね、とジルアートは微笑むと、櫻の手を引いて室内へと招き入れる。

 そしてふと、櫻は涙の跡が乾いていることに気がついた。



「おやすみください、私のアウラ。また明日の朝、迎えに参ります」






 櫻は、笑顔で頷いた。








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