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7.婚約解消しましょう、私達



 その日の放課後の中庭にて。

 寄り添う二人の男女に向かう、一つの人影があった。


 その足取りは迷う事なく、ベンチに座り、男の胸にうっとりと目を閉じ身体を預ける女と、その女の肩を優しく抱く男のもとへと進んでいく。


 男――エイリックはこちらに近付く気配を感じたのか、胸の中にいる女――ジェニーを愛おしそうに見つめていた薄緑色の瞳を上に向けた。

 そして、いつものように柔らかく微笑む。



「……やぁ、アーシェル。また苦言を呈しに来たのかい? 毎回言っているけど、これは仕方の無い事なんだよ。パリッシュ嬢が別クラスの子に苛められたみたいでね、泣いていたから慰めていたんだよ。可哀想な子なんだ、彼女は。編入してきたばかりで、まだ親しい子も出来ていないしね」



 エイリックが、つらつらといつものように言い訳を並べる。

 ジェニーは、アーシェルが近くに来ても彼の胸に身体を寄せたまま動かない。


 寧ろアーシェルに見せつけるかのように、ジェニーは彼の背中に手を回してその胸に顔を埋めた。

 彼はそれを、一切咎めはしなかった。



「学級委員の僕としては見逃せないだろう? だから、こうするのは本当に仕方の無い事なんだ。君なら分かってくれるだろう、アーシェル? 僕の大事な“婚約者”の君になら」

「……エイリック様」



 いつもの自分なら、その言葉に丸め込まれて口を噤み、それ以上は何も言えなかった。


 ――けれど、今は違う。


 もう、彼に対して胸が苦しくなる事も、この二人の仲睦まじい姿を見て、切なくて悲しくて日々涙で枕を濡らす事もしたくない。

 そんな時間は無駄だ。そんなものに費やす時間が勿体無い。


 それに、大切な『あの子』の事を思い出した今。



 彼にはもう、未練なんて――無い。



(……エイリック様。貴方と婚約者の関係になってから、ずっと貴方をお慕いしておりました。けれど――)



「エイリック様」

「ん、何だい? 話は後にしてくれないか。今は彼女を慰めて――」

「いえ、すぐに終わります。――『婚約解消』しましょう、私達。今すぐに」


「――へっ?」



 全くの予想外の言葉に間抜けな声を出し、エイリックはポカンと口を開けてアーシェルを見つめる。



「パリッシュさんがお好きなのでしょう? 邪魔者な私は消えますから、どうぞ彼女と末永く仲睦まじく過ごして下さい。その為にまずは、エイリック様と私の婚約の解消をしないといけません。エイリック様も了承して下さるでしょう? それが成されれば、エイリック様はめでたくパリッシュさんと婚約出来るのですから」



 アーシェルの言葉を呆然と聞いていたエイリックは、ハッと我に返ると慌てて立ち上がった。



「きゃっ?」



 突然腰を上げたエイリックに押される形で、ジェニーがよろけて小さく悲鳴を上げる。

 それに構う事なく、エイリックは驚くアーシェルに詰め寄ると、突然彼女をグイッと引き寄せ、その身体を抱きしめた。



「っ!?」

「駄目だそんなのっ! 僕は『婚約解消』なんて絶対にしない! 君は僕の婚約者のままだっ!」

「……え……」



 エイリックからの初めての抱擁に、アーシェルは戸惑いと混乱が隠せない。

 昨日までの彼女なら、婚約者の彼に抱きしめられて嬉しさで一杯だっただろうが、今はそんな気持ちなど微塵にも感じられなかった。


 今の今までジェニーを抱いていた腕に抱きしめられ、ただただ不快でしかない。



「はっ、離して下さい、エイリック様――」

「嫌だ、離さない。――ねぇアーシェル、僕に構って貰えなくて寂しかったんだろう? だから僕の気を惹く為に、『婚約解消』だなんて馬鹿げた事を言ったんだよね? 大丈夫、これからは君の事もちゃんと構うから。だからもう、そんなふざけた事は言わないでおくれ」



(君の事“も”? “ちゃんと”?)



 その言い方は、これからも彼女(ジェニー)と仲睦まじく過ごして、自分(アーシェル)には“義務”で仕方なく構うと言っているようなものではないか。



「……っ。違います、私にはもう今後一切構わないで下さい。私はそんな事、全く望んでいません……!」

「ははっ、頑固だな。望んでないなんて欠片にも思ってないくせに。そういう所も可愛いよ、アーシェル」

「っ!?」



 『可愛い』という言葉をエイリックの口から初めて言われ、思わず硬直してしまう。



(えっ、な、何……? 一体何が起きているのですか……?)



 すんなり『婚約解消』が出来ると思っていたのに、エイリックから予想外の行動と言葉を掛けられ、想像もしていなかった展開にアーシェルの頭が回ってくれない。


 ふとジェニーの方を見ると、彼女は憎々しげにアーシェルを睨みつけていた。

 彼女がエイリックに好意を持っている事は明白だ。



「え、エイリック様、本当に離して下さい! パリッシュさんが見て(正確には(ほとばし)る悪意を(みなぎ)らせギロリと睨み殺す勢いで威圧して)います……!」

「はは、だから何だと言うんだい? 僕の婚約者は君だけだよ、アーシェル……」



 顔を近付け、故意にアーシェルの耳元で囁くと、エイリックは彼女を抱きしめる力を更に強くしたのだった……。






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