48.『魔女』の終焉
日付が変わる、十五分前。
レヴィンハルトは、城の地下に続く階段をゆっくりと降りていた。
そこは、罪人を収監する牢がある、薄暗く肌寒い監獄だった。
姿勢良く立っていた看守が、レヴィンハルトに気付き一礼をする。
レヴィンハルトは小さく頷くと、看守も頷き返し、階段を登って行った。
カツンカツンと足音を響かせ、レヴィンハルトは一つの牢の前で止まる。
今、この監獄には一人の罪人しか入っていない。
禁断の呪術を使い、極罪を犯した、ジェニー・パリッシュが。
時間は深夜。寒さも暑さも凌げない囚人服を着た彼女は、薄っぺらい布団の上で身体を縮こませて眠っているようだった。
「――起きろ。ジェニー・パリッシュ」
レヴィンハルトの抑揚の無い声が、地下に響き渡る。
「っ!?」
突然呼び掛けられ、ジェニーはパッと目を開き慌てて飛び起きた。
「……え……えっ? レヴィンハルト様!? どうしてこんな夜中に――あっ! わたしを助けに来てくれたのね!? そうよね、こんなに可愛くて誰からも好かれるわたしが理不尽に処刑されるなんて、レヴィンハルト様も絶対に赦しませんよね!?」
「…………」
レヴィンハルトは表情の無いまま鉄格子に近付き、その隙間から手を差し込む。
「――手を」
その短い一言にジェニーの顔がパァッと輝き、急いで立ち上がると鉄格子に駆け寄り、その大きな手をギュッと握った。
「あぁっ、嬉しいわレヴィンハルト様! この牢から出た後も、わたしはあなたにどこまでもついていきます! わたしとあなたは離れずいつまでも一緒に――」
はしゃぐジェニーの声に、レヴィンハルトの低音の詠唱が重なる。
「は……? 何を言って――」
ジェニーが怪訝に眉根を顰めると同時に、彼女の身体全体が赤黒い光に包まれ、弾けるように閃光を放つと、その光はすぐに消えていった。
「え……。何よ、一体……?」
戸惑うジェニーの手を、レヴィンハルトは不快に顔を顰めながら乱暴に振り払うと、ポケットからハンカチを出し、丁寧に自分の手を拭う。
その汚物を触ったかのような反応に、ジェニーの目尻と眉尻が吊り上がった。
「な……何よっ! 人をバイ菌扱いして……っ!」
「バイ菌より酷いな。陛下の仰る通り、害虫だ。この世に存在してはいけない生物だ」
「は? な……何ですってぇっ!? 顔が良くても言っていい事と悪い事があるわよっ!!」
「お前相手なら幾らでも悪い事を言っていい。ただの害虫だからな」
レヴィンハルトはサラリと返すと、顔を真っ赤にしてワナワナと震えているジェニーに背を向けた。
「ちょっと待ちなさいよ!? さっきブツブツ言ってたけど何をしたの!? 教えなさいよっ!!」
ジェニーの喚きに、ここから立ち去ろうとしたレヴィンハルトは足を止め、顔だけを後ろに振り向かせる。
「……“呪い返しの術”」
「……は?」
「上級魔術だから、取得するのに一週間も掛かってしまった。本当にギリギリだったが、間に合って良かった」
レヴィンハルトはこう言っているが、実際に上級魔術を取得するのに最低二週間以上は掛かる。
端から端まで細かく書かれた魔術書を、全て完全に理解しなくてはならないからだ。
呪術の場合は、素質があり術との相性がピッタリ合う者なら呪術書を一度読むだけで取得出来るのだが、魔術はそうはいかない。
呪術の殆どは、使用してすぐに効果が出るので、“呪い返しの術”は使う時を見計らう事が難しい。
しかも、呪いを受けた者の身体の一部――例えば髪の毛や血液等を持ち、呪いを返したい対象者に直接触れながらでないと発動しないので、使い勝手がこの上なく悪い。
なので、上級魔術だが取得に二週間以上己の時間を全て取られるそれを、自らの意思で会得する者は皆無だ。
そのような理由で、このウォードリッド王国では使える者は誰もいなかった。
セルジュが【呪い】を受けた時、犯人が見つかった場合に“呪い返しの術”を使用する解決方法も上がり、ファウダー国王は周辺諸国に極秘で書状を出して問い合わせたが、使い勝手が非常に悪いその魔術を使える者はどこにもおらず――
この王国にも、“呪い返しの術”を使える素質がある者は誰もいなかった。
それはレヴィンハルトも例外ではなく、彼には“呪い返しの術”の魔術書が全く読めなかった。
犯人が一向に見つからない事もあり、その時彼は“それ”を諦めてしまった。
――しかし、セルジュに続いてアーシェルが【呪い】を受け、解呪法が無いと知った今、彼女を救う方法は“呪い返しの術”しかないとレヴィンハルトは結論づけた。
彼はアーシェルと別れてから城の一室に籠もり、“呪い返しの術”の魔術書を、一週間ほぼ徹夜で独自に解読して無理矢理取得したのだ。
自分に素質が無い魔術を覚える事は、これまでで前代未聞の話だ。
そんな無茶な荒技をした者は、この王国――いや、この大陸で今まで誰一人いない。
魔力と魔術の質が人より並外れているレヴィンハルトだからこそ出来た神業だった。
「の、“呪い返しの術”……?」
「あぁ。名前の通り、【呪い】を使った呪術士に、【呪い】が発動した瞬間、それを呪術士本人に返す魔術だ。呪術士に直接触れないと掛けられないのが難点で欠点だな。【呪い】が高度である程、返ってくる衝撃が大きい。どんな衝撃具合かは知らないが。ちなみに国王陛下から、“呪い返しの術”の使用許可は得ている」
「は……? 何ですって……?」
レヴィンハルトの説明に、ジェニーの桃色の瞳が大きく見開かれ、紫色に変化した唇が戦慄く。
「俺は、セルジュ殿下を殺したお前を……アーシェルを苦しませたお前を絶対に赦さない。地獄の苦しみを長時間味わって、身体がバラバラに千切れる程の衝撃を受けながら死ぬといい。“音声遮断の術”を地下に掛けたから、安心して絶叫しろ」
「……い、いやよ……嫌よそんなのっ! 早くその術を取り消してよ! 痛くて苦しいのは嫌よっ! だ、だったら処刑がいいわ! だってそれは一瞬なんでしょ!? そしてわたしはセルジュ様のもとへいくの! 天の国でわたし達はずっと一緒に暮らすのよっ!」
鉄格子を両手で掴んでガチャガチャと揺さぶり、猿のようにキーキーと喚くジェニーに、レヴィンハルトは氷のように酷く冷たい眼差しを向けた。
「苦しみが一瞬の、ただの処刑では俺の気が収まらなかったからな。折角だし、お前の不様な最期を見届けようか。……一つ言っておく。お前はセルジュ殿下と同じ場所には決していけない。いくのは地の底にある地獄だ。そこで孤独に藻掻き苦しみ続けろ。『極悪の魔女』の末裔、ジェニー・パリッシュ」
レヴィンハルトが言い終えた瞬間、ジェニーの目から赤い涙が零れ出た。
「……え?」
否、それは血だった。
そして、今度は鼻から、そして口からドッと血が流れ出す。
途端、ジェニーは空気を切り裂くような甲高い声で叫喚した。
全身に耐え難い程の痛みが走ったのだ。地面に倒れ、ゴロゴロと転げ回ってもその激痛は消えてはくれない。
少し置いて、今度は息が止まる位の苦しみが彼女を襲う。
彼女の可愛らしかった顔は、痛みと苦しみで大きく歪み、血と涙と涎と鼻水でグショグショになっていた。
そんな彼女の不様で醜い有り様を、レヴィンハルトは顔色も変えずに、ただ静かに見下ろしていた。
――どれくらい時が過ぎたのだろう。
目の前の女から、叫び過ぎて老婆のようにしわがれた声になっていた悲鳴がしなくなり、身体はピクリとも動かなくなった。
「……地獄でも、今と同じ――いや、それ以上の苦しみを味わうといい。『極悪の魔女』」
見るのも悍ましい、酷く苦悶に歪み色んな体液で汚れた顔を冷ややかな目で一瞥すると、レヴィンハルトは踵を返し、地上への階段を足早に昇っていったのだった。




