3.意気込んだのはいいけれど
アーシェルは、レイノルズ侯爵邸にどうやって帰ってきたのか、全く記憶に無かった。
気付けば自分の部屋のベッドに寝転んでいた。
溜め息をつきながら左胸に手を当て、町医者の言った言葉を何度も反芻する。
「あと……余命幾許もない……なんて……」
突然過ぎて、まだ信じられない。
けれどあの町医者は、患者に質の悪い冗談を言う人では決して無い。
町人の間で、とても評判の良い医者なのだ。
自分の命があと僅かなのは……間違いないだろう。
町医者からは、
「ここまで綺麗に真っ黒だと、もう何も手の施しようがありません……。心臓以外は全く問題無いので、いつも通りの生活は出来ると思います。ただ、吐血は止められないかと……。この心臓の具合ですと……あと、二ヶ月……生きられるかどうか……」
と、申し訳なさそうに告げられた。
――自分はただ、迫りくる死を待つのみ――
「……私の人生って、一体何だったんでしょうか……」
虚ろな表情で、ポツリとアーシェルが呟く。
幼い頃から家族や使用人達に冷遇され、陽の光に当たると七色に光る、この不気味な瞳の所為で苛められ、友達は出来なかった。
唯一の味方だった育ての親のメイドも、辞めさせられ屋敷からいなくなってしまって。
けれど優しい婚約者が出来、彼に恥を掛かせない為に、公爵家のマナーや貴族の事を寝る間も惜しんで勉強した。
それなのに、突然やってきた編入生にあっという間に彼を取られて――
――今までの人生、幸せな事なんて何もなかった。
「幸せだと思った事は一度もないのに、意味も分からずもうすぐ死んでしまうだなんて、あまりにも酷過ぎませんか、神様……。不公平にも程がありますよ……」
枕に顔を埋め、グスンとアーシェルは涙ぐむ。
「そりゃあ、辛くて死にたいと思った事は何度だってありますよ。でもそれは、こんな唐突な形ではなくてですね……」
ブツブツと独り言を呟く内に、アーシェルは段々と腹が立ってきた。
「そもそもですよ? どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないんですか? 私、何もしていないですよね? 神様に喧嘩なんて売ってませんよね? ――いいですよ、そっちがそのつもりなら、私も自由にさせて頂きます! 残り僅かな人生、好き勝手してやりますともっ! もう我慢なんてしませんっ!」
ガバッと起き上がると、アーシェルは天井に向かって握り拳を突き上げたのだった。
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「……と、意気込んだのはいいのですが……、『好き勝手』とは何をすればいいのか……」
翌日のお昼休みの時間。
学園の敷地内の片隅にある古ぼけたベンチに座り、アーシェルは昨日から数え切れない程吐いている溜め息を繰り返していた。
エイリックは相変わらずジェニーとお昼を取っていて、皆の視線が居た堪れなくなったアーシェルは、学園の建物の一番隅にある、滅多に人が来ない穴場なこの場所でお昼を食べていた。
アーシェルには、趣味もやりたい事も無い。
親からは本も人形も買って貰えなかったし、アーシェルが何かをしようとすると、決まって義母から罵声を浴びせられるので、ただ部屋の中で縮こまっているしかなかったからだ。
「あぁ、どうしましょう……。非常に困りました……」
「何が非常に困ったんだ?」
独り言に男の声で返事が返ってきて、アーシェルは驚き声がした方へと振り返った。
そこには、白に近い銀色の長い髪と瞳を持つ美丈夫が腕を組み、真面目な顔でこちらを見ていた。
「え……ローラン先生……?」
「……あぁ、すまない。いきなり声を掛けてしまった。驚かせてしまったな」
「あ……い、いえ……大丈夫です」
彼は、アーシェルが三学年の時にヘイワード学園に着任した、魔術専門の先生だ。
名前は、レヴィンハルト・ローランという。確か歳は二十五だと、彼が自己紹介の時に言っていた気がする。
「ローラン先生は何故こんな場所に……?」
「あぁ、いや……」
困ったような顔つきに変わったレヴィンハルトを見て、アーシェルはその理由が思い当たる。
他に見ない珍しい色の、腰まで届くサラサラな髪とキリッとした目、スラリとした高身長、そして眉目秀麗の顔立ちの彼は、必然的に女子生徒の人気を集めていたのだ。
中には、若いのに髪の色が老人みたいで不気味だ、と揶揄する人もいるけれど。
「女子生徒から逃げてきたんですね?」
「……あぁ……」
「ここには誰も来ませんから、お昼休みが終わるまでいて下さって構いませんよ」
ニコリと笑うと、アーシェルはベンチから立ち上がった。
「いや、待て。君はここで休んでいたんだろう? 先にいたのは君なんだから、追い出す真似はしたくない。そこにいてくれ」
「え、でも……。一人になりたいんじゃ……」
「君は彼女達と違って、俺を見て騒がないからな。大丈夫だ。君が良かったら一緒にいさせてくれないか」
そう言われたら、アーシェルは断れない。
「……やっぱり一人になりたいと思ったら、遠慮なく仰って下さいね」
「あぁ、分かった。ありがとう」
レヴィンハルトはフッと微笑うと、アーシェルの隣に距離を開けて腰掛けた。
「先生、お昼は?」
「急いで食べた。すぐに生徒達がやってくるからな。味わう暇もない」
「ふふ、大変ですね」
「こんな事なら、顔が皺々の老人になる魔術を無理矢理でも取得すれば良かった」
「そんなものあるんですか?」
「姿を変えられる魔法があるからな。上級魔術だし、余程の高位魔術士でないと取得出来ないが」
「へぇ……。そうなんですね」
ポツポツと、二人は会話をする。
お互いにあまり会話は得意ではないので沈黙も多かったが、アーシェルには、その無言の時間が何故か苦痛ではなかった。
何気なくレヴィンハルトの方を見ると、いつの間にか彼もアーシェルの方を見ていた。
「……どうしました?」
「いや……。君はこの時間、いつもここで昼飯を食べているのか?」
「あ……はい。そうですね」
「この時間、俺もここに来ていいか?」
「え?」
「生徒達が来るから、昼飯がゆっくり食べられないんだ。君が嫌じゃなければだが……」
「あ、別に構いませんよ。私もここに勝手にいるだけですから……。私がいても大丈夫ですか?」
「勿論だ」
アーシェルはすんなりと頷いていた。彼と一緒にいても、不思議と気不味さやぎこちなさは感じなかったからだ。
「ありがとう、助かる」
レヴィンハルトは、美麗な顔に微かに笑みを浮かばせ礼を言った。
――その日から、アーシェルとレヴィンハルトの、誰も知らない二人の時間が始まったのだった。