38.背後から忍び寄る影
「……レヴィンさんの中に……セルが……?」
アーシェルは潤んだ瞳で、レヴィンハルトの胸に視線を向ける。
「あぁ。セルジュ殿下の最期の願いで、“魂移しの術”を使い俺の中に彼の“魂”を移したんだ。――『死しても君に会いたい』という、殿下の強い願いを受けて」
「――っ」
アーシェルは息を呑むと、レヴィンハルトの胸にそっと手を当てる。
「……セル……」
「しかし……君に初めて会っても、殿下の“魂”は反応しなかった。恐らくは、俺の中で眠りについているのだろう」
「眠りに……?」
「あぁ。“魂移しの術”で術者の中に移した“魂”は、術者に知識を与えた後、いずれ身体から抜け天へと昇っていく。セルジュ殿下はそうならない為に、自ら眠りに入り俺の中に留まっているのだろう。彼がいつ起きるのか……俺には分からない」
「セルが……この中に……」
アーシェルは無意識にレヴィンハルトの背中に腕を回し、ギュッと抱きしめていた。
「アーシェル」
「……? はい……」
「すまない。殿下を助けられなかった……」
レヴィンハルトの低い声音の謝罪に、アーシェルが慌ててふるふると首を振る。
「そんな……謝らないで下さい。レヴィンさんの所為じゃありませんから――」
アーシェルはレヴィンハルトの胸に顔を埋めながら、続けて思い切ったように声を発した。
「……レヴィンさん。その……お願いがあります」
「……何だ?」
「私も……レヴィンさんの中に、“魂移しの術”をしてくれませんか……? 解呪法が見つからず死ぬのであれば、私はセルと一緒にいたい――」
アーシェルがそれを告げた時、レヴィンハルトの身体がビクリと動いた。
少し待っても返事がこない事に、アーシェルは疑問に思い、そろそろと顔を上げる。
「………っ?」
そして今度は、アーシェルの身体がビクッと震えた。
レヴィンハルトの表情に、怒りの色が見えていたからだ。
「……君は、俺の中でセルジュ殿下と一緒になりたいと……そう言うのか」
「れ……レヴィン、さん……?」
レヴィンハルトの低く唸るような声色に、確実に怒っていると察したアーシェルの声が小刻みに震える。
「――断る」
「えっ……?」
「君には“魂移しの術”はしない。解呪法が無いとまだ決まった訳じゃない。俺は最後まで諦めない」
「……けっ、けど、もし見つからなかったら――」
「見つからなくてもその術は使わない」
「え……? ――ど、どうして……っ?」
アーシェルの上擦った声での問い掛けに、レヴィンハルトは眉間に皺を寄せ、重苦しく口を開いた。
「……“魂移しの術”は、術者に大きな負担が掛かる。俺の以前の髪と目の色は赤だった。セルジュ殿下を俺の中に入れた事によって、今の色に変わった。君までも入れてしまったら、異なる二つの“魂”に、この身体が耐えられるか……分からない」
「………っ!!」
アーシェルは愕然とし、レヴィンハルトを見上げた。
「……あ……わ、わたし……私っ、少し考えれば分かる事なのに……。ごっ、ごめんなさい……っ! レヴィンさんの事を考えずに、自分の事ばっかり考えて……っ。わ、私、本当に……最低最悪です……っ!」
アーシェルは両目に涙を溜めながらソファから立ち上がると、レヴィンハルトに大きく頭を下げて謝る。
そしてすぐに踵を返し、部屋の扉を開けて飛び出した。
「待て、アーシェルッ!」
レヴィンハルトは、部屋を出て行くアーシェルに慌てて声を投げたが、彼女は足を止める事なく、泣きながら走って行ってしまった。
「……くそっ!」
レヴィンハルトは顔を顰めて舌打ちをし、きつく握った拳で壁を強く叩きつける。
何度か深呼吸をして気持ちを落ち着かせた後、レヴィンハルトは真剣な表情で前を向くと、部屋を出て行ったのだった。
-・-・-・-・-・-・-・-
レヴィンハルトに対し罪悪感と申し訳なさ、自分に対し自責と羞恥とここから消えていなくなりたい気持ちでせめぎ合っていたアーシェルは、彼のいる城の中にはいられず、城門に向かった。
「あ、あの……少し外に出てきます。すぐに戻りますので……」
「お一人でですか? レヴィンハルト殿に許可は得ていますか?」
「あ……は、はい……」
「それなら大丈夫ですね。あの方の事だ、お一人で出掛けられる貴女に何か対策をされたのでしょう。それに、この国の城下町は治安は良く、警備兵もあちこち駐在していますので問題無いかと思います。ですが、くれぐれもお気を付けて。何かあれば警備兵にすぐ声を掛けて下さい」
「……はい、ありがとう……ございます……」
アーシェルは嘘をついてしまった罪悪感に胸が苦しくなりながらも門番に頭を下げ礼を言うと、いたたまれず駆け足で門を通って城から出た。
足の動きを緩め、町へと続く道をとぼとぼと歩きながら、アーシェルは深い溜め息をつく。
「門番さん、嘘をついてごめんなさい……。私は……レヴィンさんの事を考えないで、何て浅はかな事を言ってしまったんでしょう……。セルの……他人の“魂”を自分の中に入れているんだから、身体に負担が無い筈なんてないのに……。本当、馬鹿な自分が嫌になります……。レヴィンさんが怒るのは当たり前です……」
レヴィンハルトの、自分に対し初めて怒った顔が、脳裏にしっかりと焼き付き忘れられない。
「町で頭を冷やして、お城に帰ったらレヴィンさんに心から謝りましょう……」
もう一度深く溜め息を吐いたアーシェルは、後悔と自責の念で頭が一杯で、後ろから近付く気配に全く気が付かなかった。
突然背後から手が回され、アーシェルの鼻と口元にハンカチが押し付けられる。
「っ!?」
唐突な出来事に、アーシェルは息を呑むと同時にハンカチの刺激的な匂いを嗅いでしまい、途端意識がぐらりと遠のいた。
ぼやける瞳を瞬かせ、何とか後ろを振り向き――
――アーシェルが気を失う瞬間見たものは、口の端を大きく持ち上げニタリと嘲笑う、元婚約者のエイリックの姿だった……。




