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28.こんな筈じゃなかった ※エイリックside



 それからジェニーは、エイリックに積極的に近付いた。

 彼女は自分の容姿が男受けする事を解っていたので、それを活かして男心を擽る仕草や言葉を駆使し、彼も満更ではないように彼女に接した。



 ある日、アーシェルがエイリックのもとに来て、小刻みに震える身体で唇を開いた。



「え、エイリック様、あの……。最近、パリッシュさんとずっと一緒にいて……。エイリック様との時間が減って寂しいです……」

「………っ!」



 その瞬間、今までに無い高揚感が彼の身体を貫いた。

 アーシェルがジェニーに嫉妬している、彼女が自分だけを求めている事に、優越感と自尊心が大きく膨れ上がったのだ。

 眼鏡の奥の碧色の瞳は、涙で潤んでキラキラと煌めいている事だろう。


 エイリックは酷く興奮している事を悟られないように、顔を綻ばせてアーシェルに優しい言葉を紡ぎ、彼女を安心させた。



 この恍惚な気持ちを何度も味わいたくて、エイリックはジェニーも手放せなくなり、彼女からの抱擁や口付けの要求を受け入れ、更に仲睦まじい姿をアーシェルに見せるようになった。


 切なそうにこちらを見るアーシェルに、ゾクゾクと快感が昂り、悲しく顔を伏せる彼女を優しい口調で言い包める日々が続いた。



 エイリックは、アーシェルが自分から決して離れないと自負していた。

 自分が何をしようと、彼女は自分を深く愛しているから大丈夫だ、と。



 だから、彼女から『婚約解消』を言い渡された時、心底驚いた。そして、焦った。

 けれど、それが嫉妬からきて自分に構って欲しい発言だと思ったエイリックは、アーシェルにジェニーと友人になる事を提案した。


 二人の女子に愛され、優越感に浸りたいという泥濘んだ欲望もあった。



 しかし、アーシェルはそれを嫌がった。

 「もう二度と構わないで下さい」と言われ、エイリックの頭が真っ白になる。


 彼女が自分にそんな言葉を言うなんて、到底信じられなかった。

 信じる事が出来なかった。




 ――そして、レイノルズ侯爵家とオルティス公爵家の話し合いに弁護士が介入し、正式に決まってしまった、二人の『婚約解消』。




(こんな……こんな筈じゃ無かった……! 僕は……僕はただアーシェルに――)



 レイノルズ侯爵家での話し合いが終わり、オルティス公爵と夫人、エイリックは硬い顔でレイノルズ侯爵家を出て、表通りで馬車を捕まえて乗り込む。

 そして発車する瞬間、エイリックは馬車から飛び出し駆け出した。



「エイリックッ!」

「すみません、父上! 自分で家に戻ります!」



 走り出す馬車から聞こえてきたオルティス公爵の怒号に返事をし、エイリックはレイノルズ侯爵家へと走った。


 もう一度、アーシェルを説得しようと思ったのだ。

 あの時は大勢人がいたから、人見知りで引っ込み思案な彼女は、自分の素直な気持ちが言えなかったに違いない。



 二人きりになれば、彼女は好意を示し、自分のもとへ戻ってきてくれる――


 

 侯爵家の門番に「忘れ物をした。自分で取りに行くから中に伝えなくていい」旨を伝え、エイリックは玄関に向かう。

 後ろの様子をチラチラと窺い、門番が前に視線を戻した隙に、玄関の脇を通り裏に回る。


 応接間のある場所まで来ると、窓の下まで忍び足で歩き、そっと窓から顔を覗かせた。

 アーシェルが一人になる時を見定めようと考えたのだ。



「……っ!?」



 エイリックの目に飛び込んできたのは、レヴィンハルトの腕の中で咳込み、吐血でハンカチを真っ赤に染めていくアーシェルの姿だった。

 驚愕したエイリックは、何故そんな状況になっているのか、二人の会話が聞きたくて慌てて窓を見回す。


 鍵が開いている事を確認すると、音を立てないよう慎重に、ほんの少しだけ窓を開けた。



「……大丈夫か?」

「す、すみません……。ハンカチを汚してしまいました……」

「気にするな。ずっと我慢してたんだろう? よく頑張ったな」

「はい……。私の命があと僅かなんて知られる訳にはいきませんから……。それに、私の為に懸命に動いてくれたディオールさんに心配を掛けさせたくない……」

「……あぁ、そうだな――」



 そこで、不意にレヴィンハルトがこちらに振り返った。エイリックは急いで頭を下げる。

 そして、冷や汗を流しながらそろそろと窓の下から離れ、駆け出した。

 門番に礼を言い、早足で侯爵家を後にする。



 エイリックの頭の中で、先程のレヴィンハルトとアーシェルの会話が繰り返し反芻されていく。



「アーシェルが……アーシェルの命があと僅か? そんな……そんな事って……。そうなったら、僕の幸せは……? 僕を幸せにするのは彼女なのに……。彼女を幸せにするのも僕なのに……。そうだ、彼女は僕だけのものなんだ。――早く……一刻も早く彼女と結婚しなければ……。その為にはどうすれば――」




 エイリックは、泥沼のような光の灯っていない薄緑色の瞳でブツブツと呟きながら、思考を巡らせていったのだった――






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