1.優しい婚約者
アーシェル・レイノルズは、薄茶色の真っ直ぐな髪と碧色の瞳を持つ、齢十七のレイノルズ侯爵家の長女だ。
彼女の家族は、父と母と弟がいるが、母は本当の母親ではない。
アーシェルの本当の母親は、彼女が赤ん坊の頃、別の男を作り家族を捨て家から出て行ったと、父ゴルディーから聞かされた。
なので、アーシェルの今の母は義理の母だ。弟のデックスは、父と義母ケイトの間に出来た子供だ。
アーシェルは、幼い頃から家族に冷遇されてきた。
父は、自分を捨てて男と出て行った母に似た子だからか、アーシェルに冷たく当たり、義母は血が繋がっていないからか、虫けらを見るような目付きで彼女を見下し、暴言を吐く。
そして最近、夫に愛人がいると勘繰っている義母は、八つ当たりで益々アーシェルに罵倒と暴力を浴びせるようになった。
弟はそんな両親の影響を受けてか、アーシェルをいない者として扱う。
自分の母親が義姉に暴力を振るっても見て見ぬ振りで、自分の気分が悪くムシャクシャしている時は加担する事もあった。
彼女の家族がそういう態度なので、侯爵家の使用人達も皆、彼女に対して悪辣な態度を取っていた。
擦れ違えば舌打ちをされ、アーシェルが丁重に頼み事をしても、眉根を顰めて盛大な溜め息をつかれ、心底嫌そうに動き出す。
無視される事も数多くだ。
親の代わりに赤ん坊の頃からアーシェルを育ててくれたメイドは、もう高齢だからと屋敷を辞めさせられ、アーシェルに優しくしてくれる者は、侯爵家の中で誰もいなくなった。
次第に彼女は口数も少なくなり、何も言えなくなっていった。
そしてアーシェルが、貴族の子供が通うヘイワード学園に入園する十五歳の時、父ゴルディーが珍しく彼女の部屋を訪れた。
彼はノックも無しに部屋の扉を開き、若干興奮している口調でこう言った。
「お前に縁談がきた。相手はオルティス公爵家の一人息子だ。お前に拒否権は無い。後日面会の場を設ける。分かったな」
それだけ簡潔に告げると、ゴルディーはさっさと部屋から出て行ってしまった。
アーシェルは乱暴に閉められた扉を呆然と見つめ、ただ困惑するばかりだった。
一週間後、アーシェルは自分の婚約者になった、オルティス公爵子息のエイリックと対面をした。
薄緑色の髪と瞳を持つ、穏やかな雰囲気と整った顔立ちをした彼に、アーシェルは思わず見入ってしまう。
彼女の視線を受けたエイリックは、柔らかく微笑んだ。
自分に対して、育ててくれたメイド以外誰からも笑みを向けられた記憶が無かった彼女は、その瞬間、彼に特別な感情を抱く事は自然な流れだった。
エイリックは、学園でアーシェルとクラスが一緒だった。
学園内でもエイリックはアーシェルに真摯に接し、彼女もそんな彼に懐いた。
自分が誰かに向かって笑顔を浮かべるのは、アーシェルにとって久し振りの事だった。
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入園して間もないある日の事。
エイリックがアーシェルに、レンズが厚く丸い形の眼鏡を渡してきた。
「君にこれを贈るよ。君の眼、陽の光に当たると七色に光るだろう? それを見た者が君を不気味がるといけないから、これを掛けて隠すといいよ」
「あ……ありがとうございます、エイリック様」
エイリックの言う通り、アーシェルが小さい頃、瞳の所為で周りの子達に苛められていた事があったのだ。
それ以降、天気の良い日に外を歩く時は、なるべく目を隠すように下を向いて生活をしていたので、エイリックの気遣いが嬉しかった。
「すごく嬉しいです、本当にありがとうございます! 大切にしますね」
「喜んで貰えて良かったよ。その眼鏡は伊達だから眼に負担は無いし、いつでも掛けているといいよ」
「はい、そうします!」
それからアーシェルは、常に眼鏡を掛けて生活をするようになった。
瞳が見えず、顔半分が隠れる位の大きく分厚い眼鏡の所為で野暮ったく見える彼女に、友人はなかなか出来なかった。
けれどエイリックが自分の為に贈ってくれた眼鏡が嬉しかったアーシェルは、ずっと眼鏡を掛け続けた。
彼女は恋い慕うエイリックの言う事なら何でも聞いたし、彼も真摯な対応を崩さずに、彼女と健全な関係を保っていった。
そんな二人の関係にヒビが入ったのは、アーシェルとエイリックが十七歳になり、三年生になって一人の少女が彼女達のクラスに編入してきた時だった――