14.密会現場にて
「ねぇエイリック。どうしていきなりあの子に構い出したの? 好きなのはわたしなんでしょ? わたしはあの子と別に友達にならなくていいわ。あなただけがいればいいの。今まで通り、わたしと二人でいればいいじゃない」
エイリックにぴっとりと寄り掛かり、ジェニーは鼻に掛かった甘えた声を委員教室に響かせる。
(……パリッシュさんも、エイリック様を名前で呼び捨てですか……。もう完全に恋人気取りな二人ですね……)
「勿論君の事は好きだよ。けど、僕に全く構って貰えなくなったアーシェルが、寂しさの余り僕の気を引こうと『婚約解消』なんて馬鹿げた事を言い始めたんだ。したくないだろうに、無理に僕にそっけなくしたりね。それは絶対に阻止しないといけない事なんだ。彼女がもう二度とそんな事を言わないように、今は彼女を構うのを許してくれないか」
「…………」
「そんな拗ねた顔をしないでくれよ。僕が少しでも優しくしたら、彼女はすぐに機嫌が直って、今まで通り僕に懐くから。だって彼女、僕の事をすごく好きだしね。その後はずっと君の傍にいるよ。ね?」
『いやいやいやっ、違いますーーっ!! だから何でそんな解釈になってるんですかーーっ!!』
『君にあんなに突き放されたのに、自信過剰の塊のような男だな』
「何よ……そこまであの子と結婚したいの? あんな地味で存在感が薄くて平凡を顔にベタベタと塗ったような子と? わたしの方がずっと可愛いでしょ? 美形なあなたとお似合いなのはわたしなのよ」
(う、うわぁ……。傷付く言葉の総出演です……。自分で自分を「可愛い」と言うパリッシュさんもなかなかですが……)
その瞬間、アーシェルの背後にとてつもない冷気を感じ、彼女の身体がブルリと大きく震えた。
そろそろと顔を上げると、怖い位無表情のレヴィンハルトの額に、青筋が幾つも立っている。
『ろ、ローラン先生……?』
『あの小娘……。死なない程度に業火の炎で満遍無く暖めてやろうか……』
『せっ、先生っ!? 物騒な台詞は駄目ですよっ!?』
『“実行”はいいのか』
『台詞以上に駄目ですーーっ!!』
「勿論、君の方が可愛いさ。けれど、結婚は彼女でなきゃ駄目なんだ」
「は? 何でよっ!? わたし、あなたの妻になりたいのに! わたしなら立派な公爵夫人になれるわっ!」
「彼女は……いや、理由は言えないけど……家の為に、両親の為に、そして僕の為にも、僕を愛する彼女が必要なんだ。君は『愛人』として、僕の傍に置いて誰よりも一番に愛してあげるから、それで我慢してくれないか?」
『う、うわあぁ……。自分を好きな女性に、ものすっごく最低な事を堂々と言っていますね……。あぁ……どうして私、あんな人が好きだったんでしょう……。自分で自分を思いっ切り平手打ちしてやりたいです……』
『君の身体が傷付く事は止めてくれ。しかし、奴の本性が分かって良かったじゃないか。これで心置きなく屑箱に捨てられるだろう?』
『く、屑箱に捨て……。――ふふっ、はい……そうですね』
「……。けど……あの子が死ねば、わたしがあなたの妻になれるのよね?」
突然の不穏で物騒な言葉に、アーシェルはギクリと身体を強張らせた。
「おいおい、怖い冗談は止めてくれ」
「ねぇ、そうなんでしょ?」
強い口調で再度問うジェニーに、エイリックは戸惑いながらも頷く。
「あ、あぁ……。まぁ、もしも彼女がいなくなったらそうなるかな」
「じゃあわたし、公爵夫人に――あなたの妻になれるわ」
「アーシェルがいなくなるって? そんな縁起でもない事を言わないでくれよ」
エイリックはジェニーの台詞を冗談だと思って笑ったが、アーシェルは、彼女が意味深にニヤリと口の端を大きく持ち上げたのを見逃さなかった。
その嘲笑いに異様な悍ましさと不気味さを感じ、アーシェルの身体全体に震え上がる程の寒気が走る。
「…………」
ジェニーの笑みが普通のそれでは無い事にレヴィンハルトも気付いたようだった。
彼の眉間に、大きく皺が寄せられる。
「……そうね、ごめんなさい。あなたの事を愛しているから、ついあの子に嫉妬をしてしまって……」
「ははっ、そうかそうか。可愛いな、ジェニーは。僕も君を愛しているよ」
「じゃあ、いつものようにキスして?」
「あぁ、勿論さ」
「ふふっ。嬉しいわ、エイリック」
『……っ! ローラン先生っ!』
『あぁ、任せろ』
そして二人はアーシェルとレヴィンハルトが見ている前で抱き合い、唇を重ねた。
しかしそれはすぐに終わった。エイリックから顔と身体を離したのだ。
「……いつもたったこれだけ……。もっとしたいのに……」
「ここは学園内で、教室だ。突然先生が入ってくるかもしれないから警戒しないと。ここの扉は鍵が付いてないからね」
「それならわたし、学園の外であなたと会いたいわ……」
「それは駄目だ。外では誰が見ているか分からないしね。僕の両親に君との関係を知られるのはまだマズいんだよ」
『あれだけ生徒達の前で堂々とくっついてるのに変な所で警戒心持ってますねっ!? ――せ、先生っ! 一瞬でしたけど大丈夫でしたか!?』
思わず小声で突っ込みを入れてしまったアーシェルは、慌ててレヴィンハルトに問い掛けた。
彼はしっかりと『写真機』を手に持っていて、小さく口の端を持ち上げる。
『大丈夫だ。ちゃんと写した。証拠はしっかりと取ったぞ』
『……あぁ、良かった……』
アーシェルはホッと息をつく。
(……私が二人の関係に毎日悩んで泣いて苦しんでいる時も、二人はこうやって抱き合って口付けを交わして、愛を囁いていたんですね……)
それを思うと、過去の自分が本当に可哀想で、チクチクと胸が痛む。
過去に戻れたら、「そんな人、盛大に捨てていいんですよ。だから悲しまないで」と、泣いている自分を抱きしめてあげたかった。
「…………」
顔を伏せた自分の頭を、レヴィンハルトは何も言わずそっと撫でてきて。
アーシェルは思わず涙が出そうになり、グッと堪えた。
『……行くぞ、アーシェル嬢。これ以上二人を見る必要はない』
『……はい』
レヴィンハルトは俯くアーシェルの肩を軽く叩き、静かに扉を閉めてその場を離れた。
アーシェルはレヴィンハルトの後を付いていきながら、ジェニーが言った言葉を思い返していた。
(……パリッシュさんのあの台詞……。本当に冗談だったんでしょうか……? 冗談にしては――)
「……アーシェル嬢。まだ時間はあるか?」
「え? あ……はい、大丈夫です」
「今すぐに寄りたい所があるんだ。本当は行きたくないが……緊急を要するから仕方ない。一緒に来てくれ」
「……? は、はい、分かりました」
アーシェルは首を傾げながらも、真剣な表情のレヴィンハルトに付いて行ったのだった。




