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お久しぶりです。

柳本です。


昔に執筆途中で止まっていた物語なのですが、ふと思い出してリメイクしました。

5話前後の予定です。


よろしくお願いします。






 宝石を散りばめたかのようなシャンデリア。

 光を反射し明滅させているそれは、大広間を彩っていた。

 大に小にさんざめくそこは、若い男女が紳士淑女として優雅に立ち振る舞っている。



 ――国立ヴェルロイエ学院。


 貴族平民が通うことを許された、世界でも有数の水準高き学び舎。

 第一学部と第二学部に分かれており、第一学部は貴族、第二学部は平民がそれぞれ勉学に励んでいる。


 もちろん定期的に授業における交流もあるし、校舎は違えど同じ敷地にあった。

 それぞれ関わりたくなければ、決められた専有地で過ごしても良い。そこだけでも過ごせるように配慮はなされているし、不可侵は暗黙の了解だ。

 そんなマナーを察せられない者はそもそも、入学できない。学力も相応に求められる学院だし、まぁ、とはいえ、入学時のオリエンテーションで説明される事柄だ。


 本日は、第一学部の卒業式だった。

 ちなみに第二学部は一週間後に行われる。


 今は制服ではなく、これからの社交シーズンの前哨戦のようなパーティーの開幕前である。


 今年はこの国の第一王子とその婚約者である侯爵令嬢が卒業生ということで、例年より華やかだとは、他の卒業生の同伴者である諸先輩方から漏れ聞いた話だった。


 しかし今は、それ以上に会場内で囁かれていることがある。


 そこまで考えて、リズベットはため息を堪え、瞼を僅かに伏せた。

 まるで夏の空を閉じ込めたようと謳われる空色の瞳は、今ばかりは愁げな陰りがある。


 結い上げられた深みのある黒髪には真珠が散りばめられており、それは野暮ったいどころか清楚な上品ささえ見る者に印象付けた。

 シンプルなホルターネック、ウエストまでが絹の光沢を放つ紺色だ。しかし肘上まである同生地の手袋が露出を抑え、貞淑さを残していた。その細いウエストより下は幾重にも重ねられた濃藍のオーガンジーが陰影をつけ、また、あしらわれたレースによって華やかさをも演出している。


 大人びたそれを完璧に着こなしている彼女は、壁の花のように控えていてさえ圧倒的な存在感を放っていた。

 まさに花開かんとしている、この年頃特有の美貌に加え、危うい色香すら纏った彼女こそ、このパーティーの主役の一人であり、第一王子殿下の婚約者である侯爵令嬢。


 リズベット・ラズリエ・パティストラだ。

 

 本来であれば、彼女のエスコートは婚約者であるレオナルトが務める。

 しかし、この会場には未だ彼の姿はない。

 それが、本来であれば人に囲まれ談笑しているはずのリズベットが、こうして一人壁の花となっている理由の一つである。



(…いえ、一人ではないわね)


「どうぞ」

「ありがとうございます」



 近くを通った給仕からシャンパングラスを得た男から、リズベットはそれを受け取った。

 きっちりと黒い騎士服の正装を纏った彼は、ヒールを履いたリズベットですら肩までわずかに届かない。

 いつもは遊ばせている深みのある金髪も、きっちりと後ろに撫でつけている。年代物の赤ワインのような深紅の瞳は、今は優しくリズベットを見つめていた。


 ディラン・ジーク・トゥワイエ。

 十歳上で、二十八歳。

 先王の弟の息子――つまり現王の従兄弟であり、第一王子の従叔父にあたるお方だ。

 自身が三男であり、遅くに生まれたことから年齢は現王よりもその息子である第一王子に近い。

 騎士団の要職に就いていたが、陛下から直々に請われて王室近衛隊の隊長をされている。


 体格にも恵まれ、国で一二を争う剣士。将としてもかなりの逸材であると評され、人望は厚い。

 ただし、笑うことは滅多になく、無口で必要なこと以外は喋らなく素っ気ない態度も間々見られることから、好物件でありながら貴族子女からはかなり怖がられている残念なお人だ。


 リズベットもあまり話したことはないが、立場上顔を合わせることは多い。

 だから、彼が意外と繊細で、それでいて非常に情に厚いのだと知っていた。


 告げてはならないことだが、リズベットは、彼が、好きだ。



「第一王子殿下、レオナルト・リック・シャディークス様、並びに、サージ男爵ご息女、リリアナ・サロメ嬢のご入場!」



 ディランが口を開くが、声になる前に告げられた名に遮られ、そしてその内容に会場内に動揺が走った。


 やはり、とリズベットは内心でほぞを噛む。

 注目を浴びているのが、手に取るように分かった。



「…パティストラ嬢」



 気遣わしげに名を呼ばれる。


 ハッとすれば、彼が会場に背を向け、視線から隠すように立ってくれていた。

 それを、「大丈夫です」と微笑めば、目を伏せた彼は何も言わずに体勢を戻す。


 悠々と会場を歩くレオナルト。

 白い燕尾服の中で、金の刺繍や金のボタンが気品を醸し出していた。金髪碧眼の彼に、恐ろしいほど似合っている。

 そんな中、タイだけは紫であり、それが隣で腕を組んでいる男爵令嬢リリアナの瞳の色と気付いて、俯きたいのを堪えた。


 対し彼女は、フワフワと軽やかなプラチナブロンドを軽くまとめ上げ、毛先を遊ばせている。

 翠がかった青いドレスは、アシンメトリーの胸元からレースが流れ、ウエストより下は一層ふんだんにあしらわれていた。

 良くも悪しくも子供らしさが残る型だが、彼女はまだ在校生だ。幼く甘やかな顔立ちのため、むしろよく似合っている。

 軽やかな足取りは、ともすれば妖精のような可憐さを称えていた。


 親密で幸せそうな雰囲気の二人はまさにお似合いで、ちらほらと感嘆の息が溢れていた。

 しかし一部――上位貴族の子女からは、冷ややかに見られている。


 婚約者をエスコートしていないこと。

 なにより、腕を組むにしても距離が近すぎること。


 王族や上位貴族は、何よりも礼節を重んじるよう育てられる。

 言い方を変えればプライドが高いが、その分伴う責任というものについて理解していた。

 だからこそ、この状況はあり得てはならない。


 リズベットへの視線も険しくなる。

 婚約者の手綱も握れぬ女――暗に、そう責められていた。



「リズベット・ラズリエ・パティストラ!」



 会場の真ん中で立ち止まったレオナルトから、突然名を呼ばれる。


 周囲が割れるように開き、気付いた二人がこちらを見た。



「パティストラ嬢。お手を」

「トゥワイエ卿、」

「今宵の私は、貴女のエスコート役です。…信じてくれ。絶対に貴女を守る」



 最後に小さく囁かれた言葉に、心が跳ねる。

 それ以上何も言わずに、そっと差し出された大きな手に手を重ねた。


 静かに進み、二人の前に立つ。

 そして優雅に一礼した。



「君には失望した」



 挨拶をしようと口を開くが、先に話されてしまい吸った息をゆっくりと吐く。


 目を向ければ、言葉の通りの感情を乗せた瞳と目が合った。



「…恐れながら、殿下。このような祝いの席で話すご用件ではないように見受けられます。続きは別室で――」

「いいや。今この場で、詳らかにせねばならない。そうでなくては、君は巧妙に隠すのだろう? これまでのように」

「…殿下。なんのお話か、分かりかねます」

「リリアナのことだ」



 間髪入れず、苛立たしげに告げられた言葉。

 思わず目を向ければ、大袈裟に体を震わせた彼女が目を潤ませた。

 それを察した彼が、一歩踏み出してリリアナを背中に庇う。



「れお、」



 唇を震わせた彼女の呟きに、わずかに後ろへ顔を向けたレオナルトは、優しく微笑む。

 しかし前を向きリズベットを見つめる瞳は、変わらず凍てついていた。



「君は、私の恋人であるリリアナに、様々なことをしてくれたそうだな」

「……」

「授業内容や場所の変更を伝えないなどの嫌がらせ、令嬢たちの茶会への参加をさせぬよう手を回し孤立させた。挙句、第二学部の学生をけしかけ、辱めようとしたな…!!」



 ざわ、と一際大きく周囲が揺れる。

「幸い、すぐに駆けつけられたから良かったものの、」と憎々しげにリズベットを見る。



「側妃や愛妾を認めるのも王妃の資質だ。それが著しく欠落している君は、私の婚約者に不適格だと陛下に奏上した。――好きにせよ、それが陛下のお言葉だ」

「ふっ、」



 場違いな、吹き出し音。

 くつくつと笑う声は、周囲を静かにさせるのに充分な威力だった。



「…何がおかしい」

「んん、失礼」



 咳払いするも、治まらないのか、その唇は弧を描いている。

 ディランの笑顔は非常に稀だが、この場では素直に喜べない。



「想像以上だ」

「……」

「想像以上に、()()()()()()()、レオ」



 嘲るようなそれに、一瞬にしてレオナルトは怒りに染まる。



「いくら親族といえど、不敬な!」

「不敬? 誰に向かって言っている」

「な…っ!!」



 控えるように立っていた彼は、大きく一歩を踏み出す。

 今度こそ、リズベットはディランの大きな背に隠された。


 奇しくも、目の前の婚約者がリリアナを庇っているのと同じ体勢だ。



「そもそも、パティストラ嬢が被害者ならともかく、加害者にはなりえない。()()()()()()()()()()()()()()



 目を見開くレオナルト。

 その言葉にリズベットも驚くが、納得の色合いが強かった。



「なんのために近衛があると思っている。学院内だからこそ表立っていないだけで、近衛騎士は王族とその婚約者に幾人も付けられている。…もちろん、そこのサロメ嬢にもな」

「そんな…っ」



 悲鳴のような声を上げたのはリリアナだ。

 急に蒼ざめた彼女だったが、ディランは冷たい声を向ける。



「当然だ。第一王子殿下が常々君のことを将来の側妃にしたいと周囲に告げていた。だからパティストラ嬢が陛下に嘆願し、近衛をつけさせたのだ」



 驚愕の眼差しが周囲からリズベットへと注がれる。

 リズベットは何も言わず、そっと目を伏せた。



「リズ…?」



 嘘だろう、とでも言いたげな、レオナルトの声。

 愛称で呼ばれたのは久しぶりだった。

 そもそもこうして対面して話すのすら、久々だ――婚約者だったのに。



「…サロメ嬢のことは、噂で知っていました。殿下の寵愛を受けているご令嬢がいる、と。殿下は側妃とされるおつもりだと。お二方のご様子を、学院内で見かけることもございました」



 初めて、睦まじい様子を遠くから見かけた時。

 感じたのは屈辱と、寂しさ――そして失望だった。



「今後、彼女をどうされるのか。学院内だけの関係にされるおつもりなのか、側妃にされるおつもりなのか。話し合おうにも、殿下はお会いくださらない。手紙も読んでいただけているか分からない。陛下や両親からは、話し合いなさいと言われるばかりで、」



 ふ、と息をつく。


 あの頃、精神的にだいぶ追い詰められていた。

 まさかここまで関係が冷え込んでいるとは思っていなかったのだろう。

 親たちは、まともに取り合ってくれなかった。



「そんな時、トゥワイエ卿がお声を掛けてくださった。殿下の意思確認だけで良ければ承ってもいいと、そう仰ってくださいました」



 今思えばタイミングが良かったのは、近衛からの連絡があったからなのだろう。

 そして気にかけてくれたから、リズベットは壊れずに済んだ。



「将来、唯一の側妃にしたい――その返答を聞き、すぐに陛下に申し入れをしました。サロメ嬢は男爵令嬢であり、一学年下です。何かあってはならないと、近衛をつけてほしいと願い出ました」

「そんなはず、リズベット、君はリリアナを認めないと、」

「殿下。そのようなこと、私はどなたにも、申したことはございません。それに…」



 ただただ、哀しかった。

 人伝に聞いたものばかりで、彼自身がリズベットに問うたことがない話を、彼は信じた。

 幼馴染とも言える婚約者ではなく、周囲の言葉こそを。



「それに、認めるもなにも、私、殿下からサロメ嬢のこと、ご紹介頂いておりませんわ」



 愕然としている彼は、もはや威厳や知性を感じさせていた普段の様子とはかけ離れている。


 紹介されていなかった。

 周囲からの言葉だけで、確信はできなかった。

 だからこそリズベットは必死に彼に訊こうとし、また、彼から訊かれることを望んでいた。


 もし、側妃にしたいのだ、とレオナルトが連れてきてくれていたら。

 きっと、すべて飲み込んで、リズベットは承諾したのに。



「先ほど、陛下より好きにせよとの言葉を受けたと言っていたな」



 ディランが静かに呟く。

 憔然としたレオナルトが、のろのろと目を向けた。



「好きにせよ――お前はもう、王太子になることはない。そういう意味だよ」

「っ、」

「陛下は嘆いておられたよ。サロメ嬢に近衛をつけたのが、誰からの進言なのか…それどころか、近衛が配置されていることすらも知らないようだと。パティストラ嬢との仲がここまでとは、考えもしなかったとね。側妃を置くにせよ、それが正妃――婚約者であるパティストラ嬢を冷遇する理由になりはしない」



 何も言い返さずただ呆然としている彼を見ていられなくて、少しだけ目線を下げる。



「レオナルト・リック・シャディークス。陛下より勅命を言付かっている。別室を用意してあるので、同行してくれ」



 視界の端で、ディランがこちらに体を向けるのが分かった。

 パティストラ嬢、と呼びかけた声には気遣いが滲んでいて、顔を上げれば心配を乗せた双眸がじっとリズベットを見ていた。



「貴女にも同席願いたい」

「かしこまりました」

「では行こうか。――諸君、せっかくの祝いの席に水を差してしまい、すまなかった。後日王家より埋め合わせを行おう」



 さすがとも言うべきか、張り上げたように思わないのに朗々と響く声でディランが会場に向けてそう告げる。


 けれどその内容に、また声なき憶測が飛び交うのが分かった。

 かくいうリズベットも、驚いてしまった。


 ()()()()()()()()()()()()

 彼は立場上、王家としての発言をすることは難しい。

 そんな彼が告げた意味。

 そして今までの言葉に見え隠れしていた、陛下との親密な関係性。

 なにより彼は、第一王子に対して公式の場であるにも関わらず敬語を使っていないのだ。


 第二王子は現在5歳と幼い。

 もしや、と考えた者も多いだろう。


 けれど一切を無視し、ディランは手を差し出してくる。

 今度こそ迷わず手を乗せれば、彼が少しだけ笑みを唇に乗せた。


 柔らかなそれを見て、きゅ、と唇を噛む。

 リズベットとレオナルトの婚約は、ほぼ確実に破談になるだろう。

 王妃教育を受けた身だが、さすがに第二王子の婚約者になる可能性は低い。


 これまでの流れでは、恐らくディランはリズベットについての処遇も知っているはずだ。

 不安は存外大きかった。


 エスコートされながら会場を後にする。

 後ろにレオナルトとリリアナ、騎士たちの気配を感じた。


 ふと、ディランが足を止める。



「リリアナ・サロメ。君は男爵邸にて待機だ。沙汰を待て」

「えっ? どうして!?」



 目を丸くして驚いた様子のリリアナに、内心ため息をついた。


 彼女に礼儀作法は、ないに等しい。

 今の場面で敬語でもなく、了承すら返さない。

 相手は王家の血を引く公爵家の人間だ。そもそも通常、男爵家とは関わり合うことすらない、高位貴族。この様子では、貴族がなんたるかすらも理解していないだろう。


 不敬な態度に、ディランも目を眇める。

 そして問いに答えることなく、後ろに控える騎士に目を向けた。



「連れて行け」

「はっ」

「え、ちょっと、離しなさいよ…!」



 助けてレオ、と叫ぶ彼女に手を伸ばしかけた彼だったが、ディランが「レオナルト」と呼んだだけでピタリと動きが止まる。



「王族としての教えすら忘れたか」

「…っ、」

「行くぞ。…待たせてすまない、パティストラ嬢」

「とんでもございません、トゥワイエ卿」



 そっと目を伏せ、軽く膝を折った。


 ありがとう、と言うように軽く手を握られる。

 親密さすらある気安い所作。戸惑いが隠せない。



「行こう」



 そうして再びエスコートされる。


 思えば、婚約者はまだ、レオナルトのはずだ。

 後ろには、黙々と付いてくる彼がいる。



(レオナルト様…)



 恋ではない。

 けれど家族愛にも似た情はあった。


 この後、どうなってしまうのか。






 この場において知っているのは、たった一人だ。











          ◇ ◇ ◇











「さて。内輪しかいないことだし、堅苦しいのはなしにしよう」



 通されたのは応接室の一つ。

 さほど広さはなく、密談に向くようなこぢんまりとした部屋だった。


 レオナルトと向かいのソファに座ったディラン。

 リズベットは少し離れたところに用意された椅子へと腰掛けていた。



「ともあれ、レオ、パティストラ嬢。卒業おめでとう」



 ハッと息を呑む。

 すっかり頭から抜け落ちていたが、そもそもは学院の卒業式に併せたパーティーの場だったのだ。


 ディランの言葉に、リズベットも彼も気まずげに礼を述べる。

 目元を和らげていたのはその瞬間までで、ディランはすぐに表情を引き締めた。



「レオナルト。リリアナ・サロメと関係してからの君は、正直目も当てられない」

「……」

「陛下――イザークも、頭を抱えていた。ここで教えることは簡単だが、それではレオナルトのためにならない。かと言ってこのままでは王太子の座を任せられない、と」



 レオナルトはわずかに顔を伏せ、下唇を噛むのが分かった。

 きっと、彼の胸中では様々な思いが渦巻き、吹き荒れているのだろう。



「…今日の一件で、完全に見限られたわけですか」

「いや。君が王太子に任ぜられないと決まったのは、二月ほど前だ」



 ハッとレオナルトが顔を上げる。

 愕然とした様子だが、それはリズベットも同様だ。


 まさかそんな前から決まっていたとは。



「パティストラ嬢の誕生会。あの時、彼女をエスコートせず、顔も出さず、プレゼントすら用意せず、手紙のみで済ませただろう」

「そ、れは…」

「リリアナ・サロメと過ごすことを選択したあの後すぐ、君の王位継承権剥奪が議会で承認されたよ。あの場でも言ったが、側妃を据えたとて正妃を蔑ろにしてはならない。逆は許されこそすれ、正妃を軽んじる王は、少なくともこの国には必要ない」



 本来ならこのパーティーの後告げる予定だった、とディランは静かに続ける。

 在学中では混乱が大きくなり、学びに対して支障をきたす恐れがあったからだと。


 はは、と乾いた笑いをこぼしたレオナルトは、ソファーにその背をどさりと預けた。

 マナーが悪いと叱る者も、眉を顰める者もこの場にはいない。



「それに伴い、第二王子殿下が王位継承権第一位となる。細かな調整は済んでいないが、君は侯爵位以上の家に婿入りが決定している。パティストラ嬢とも、リリアナ・サロメとも違う相手だ」

「…リリアナは、」

「彼女の処遇については難航している、とだけ」



 そうだろう、とリズベットは軽く目を伏せた。


 この国の、順当にいけば王位を継いだ王子を誑かした下位貴族。

 サージ男爵家はそう謗られることとなる。

 とはいえ、国家転覆を謀っただとか、そういった頭は持っていないだろう。リリアナを見ていれば、駒にすらならない娘だと誰もが気付く。


 けれど顔に泥を塗られたと、父が怒ることは想像に難くない。

 干渉はあまりせずとも、家族を大切に思っていることは分かっていた。

 だからこそ、厳しい処罰を求めるだろう。


 リズベットとしては、爵位剥奪で充分すぎるほどだと思っているのだけれど。



「パティストラ嬢。貴女には、王家として謝罪はできないが、イザークが個人的に謝意をと。人伝で申し訳ないが」

「そんなっ、とんでもございません…!」



 驚きすぎて、声が少しだけ上擦った。

 言いながら頭を下げたディランへ、頭を上げてほしいと告げる。


 ゆっくりと体勢を戻した彼に、ふとレオナルトが問いかけた。



「確か貴方の王位継承順位は、六位でしたよね。繰上げて、五位に?」



 疑心に満ちた声色。

 先ほどの発言を思ってだろう。

 言葉にせずとも、リズベットも同じ思いだ。もっと繰り上がっているのでは、と。


 二人の視線を受けて、彼は一度唇を引き結ぶ。



「……いや。これを機に、継承順位の見直しが行われた。私は今後、第二位となる」

「「!」」

「このことに関しては、まだ機密事項に該当するから、口外は厳禁で頼む」



 継承権の大幅繰上げ。

 それはつまり、この数年で王に何かあれば、第二王子の補佐として――あるいは代わりに、政務を行うということだ。


 そして。

 湧き上がる淡い期待を、必死に押し殺す。


 レオナルトも、リズベットと同じことを考えたのだろう。

 ディランとリズベットを何度か交互に眺め、口を開くが、何かを言う前に閉じられた。


 ディランも何も言わない。

 リズベットも、問えなかった。


 彼に婚約者はいない。

 王妃の教育を受けたリズベットも、婚約が解消される。

 それの、意味するところは。



「では、近衛はお辞めに?」



 代わりにリズベットがそう問えば、ディランは困ったように笑った。



「そうなるな。口下手だし、本当は騎士団のほうが性に合っているのだが」

「そんな…トゥワイエ卿でしたら、どちらであっても重用されますのに」

「そうかな…まぁ、こればかりは仕方ない」



 そう言って、わずかに肩を竦める。

 少し空気が緩んだところで、ディランはレオナルトへと視線を向けた。



「レオナルト。今後の詳細が決定するまで、自室謹慎となる。申請をすれば外出や交友は可能だが、自由にすることはできない」

「…はい」

「君は今まで王太子として優秀だった分、両陛下を筆頭に上層部はかなり失望している。そのことを肝に銘じ、反省しなさい」



 話は以上だ、と静かにそう締めくくる。

 ただ項垂れたレオナルトが、「…リズ」と呟いた。



「はい」

「…すまなかった」

「!」



 胸が締め付けられる。

 後悔を滲ませたそれに、複雑な思いが込み上げた。


 どうして。

 私は今までなんのために。

 かなしい。

 なぜ。

 どうすればよかったの。

 くやしい。


 ()()()()()()()()()()()()



「殿下――レオ。今それを告げるのは、卑怯だわ」



 震えそうになる声を抑えれば、自然と低くなってしまった。


 レオナルトが傷付いたように肩を震わせる。

 未だ顔を上げず、彼がどんな表情をしているかは分からない。


 体を、彼のほうへと向けた。

 滅多に見ることのない彼のつむじを、じっと見つめる。



「どうして、話し合おうとしてくれなかったの? 私のことを、信じてくれなかったの」

「……」

「貴方にとって私は、愛するひとを傷付け、貶め、嫉妬する――そんな、女だったの…?」



 自分で言いながら痛んだ心に、視線が下がる。



「私は、幼い頃から貴方を見てきたわ。だから、お互いに恋情はなくとも家族愛のような愛情があると信じてきた」



 恋はしていなかった。

 政略結婚だからこそ、相手に対して冷静であった自覚はある。



(でも、それは私だけではなかったはずよ)



 たとえ恋する相手ができたとしても、それは心に秘めておくべきことだ。

 そうでなければ、相手にも、相手や自分の家族にも、結婚することで起こり得る事柄に関連するすべての人に、迷惑をかけることになる。不誠実極まりないことに。


 下唇を軽く噛む。



「……私は、我慢したのに」



 レオナルトが、そろりと顔を上げた。

 側妃の件だろうと思っている眼差しに、笑いが込み上げる。



「もし私が羨んだり妬むとしたら、相手は貴方よ」

「……」

「だって貴方は、許されるじゃない――私と結婚した上で、恋する相手と結ばれても」



 息を呑んだ音は、二つ。


 言ってしまった、と思う。

 でもここには、この三人しかいない。なによりレオナルトの、リズベットも同じだと思いもしない態度が我慢ならなかった。



「リズ…君は、」



 震える声のその先は、言葉にならない。

 リズベットはただ静かにレオナルトを見つめていた。


 沈黙が支配する。

 やがて、レオナルトはため息と共に肩を落とした。



「そうだな。確かに私は、卑怯だった。君から責められることが怖くて逃げ続けた、臆病者だ」

「……」

「先ほどの謝罪は、聞かなかったことにしてくれ」

「…はい」



 そしてゆっくり立ち上がり、レオナルトはディランへと体を向けた。

 何も言わずに、深く頭を下げる。


 そうして体を起こすと、「では、私は帰るよ」と呟いた。


 リズベットとディランも立ち上がる。

 リズベットも帰ろうと後に続こうとするが、「パティストラ嬢、少し、いいだろうか」とディランに声を掛けられた。


 心臓が、大きく跳ねる。


 平静を装いながら「はい」と答えるが、震えないように気を付けるので精一杯だった。


 レオナルトも一瞬振り返って二人を見る。

 しかし何も言わずに、僅かに扉を開けた状態にして部屋を出て行った。


 ゆっくりと振り返る。

 視線を向ければ、顔を強張らせたディランがいた。

 先ほどまでレオナルトが座っていた場所に、リズベットは腰を下ろす。


 緊張を孕んだ沈黙。

 先ほどの、リズベットにとっては告白紛いの話をした相手に目を向けられず、わずかに目を伏せた。



「…貴女のことだから、察しているのでしょう?」



 肩が僅かに震える。

 婚約についてだろうと、小さく息を呑んだ。



「…私も、レオナルトのことを笑えない」



 自嘲気味に呟かれたそれが信じられず、思わず顔を上げた。

 けれど彼は視線を落としていて、目が合うことはない。皮肉げに片側だけ釣り上げられた唇で、先ほどの言葉は本当に彼が放った言葉なのだと解った。



「貴女が想う相手は、誰ですか」

「――っ、」

「その相手に婚約者は? それともすでに、貴女と相思相愛なのでしょうか」



 何を問われたか分からず、リズベットは固まってしまう。

 けれどその沈黙をどう解釈したのか、目を合わせぬままディランは喋り続けた。



「その相手と結婚できるよう、計らいます」

「あ、の…、」

「それとも身分差が? なら、私が後見人になります。むしろ養子として迎えましょうか」

「あの、待って…待ってください…!」



 変な方向に転がり出した話に我に返り、リズベットはか細くも悲鳴染みた声を出した。


 ようやくディランは口を噤んだが、こちらを見ることはない。



「トゥワイエ卿――いえ、ディラン様」

「!」



 こちらを見てほしい。

 その一心で、リズベットははしたないと思いつつも、ディランの名を呼んだ。

 案の定こちらを見た紅い双眸に、安堵する。



「確かに私は、今後の私の処遇に対して、とある可能性があることを察しています」

「…、」

「ディラン様。答えはすでにお持ちなのでしょう? でしたらどうか、教えてくださいませ」



 期待と、祈るような気持ちで、リズベットは問いかけた。

 ディランは唇を震わせてまた視線を彷徨わせた後、目を伏せ強く唇を引き結ぶ。


 やがて開いた双眸が、強い輝きを乗せてリズベットを射抜いた。



「リズベット・ラズリエ・パティストラ様。私は貴女を愛しています」

「!!」

「貴女を手の届かぬ方と諦めていた。レオナルトのことで悩み苦しむ貴女を助けたい一方で、このまま破談になればいいと願っていた最低な男です――父や兄たちが王位継承権を放棄しても、私がそれをしなかったのは、ひとえに貴女と結婚したかったがゆえだ」



 先ほどまで目が合わなかったなんて嘘のように、熱く、切なく、苦しく――そして愛おしいと言わんばかりの眼差し。


 目を、逸らせない。



「レオナルトと同じく、貴女の気持ちを確かめも汲もうともせず、この数週間。私は、ただ喜んでいた」

「……」

「貴女と私の婚約が、内定したからだ」



 その言葉に、胸が詰まった。

 じわじわと胸を支配する歓喜と安堵。



(ああ、泣いてしまいそう…!)



 けれどその感情をどう解釈したのか。

 ディランの顔が曇ってゆく。



「このことはまだ、一部の者しか知らないことだ。だからこそ、白紙にも戻せる」

「!」

「貴女のご両親はご存知のはずだが、貴女には何も知らせていなかったようだ。レオナルトのことも、私との再婚約のことも」



 だから、とそのまま声が消え入った。

 眼差しからは熱が弱まり、代わりに穏やかな光が宿る。


 その先を言われたくなくて、リズベットは口を開いた。



「ある日、王城に新しく雇われたメイドがおりました」



 あまりに突拍子がないためか、ディランは呆気に取られた顔をする。

 しかし一応は聞いてくれるようだ、唇が引き結ばれた。



「そのメイドは年若く、けれど病に倒れた父と、幼い弟妹のため、母と二人必死に家計を支えておりました」



 ――まだ単なる雑用係のそのメイドは、働く区域が決められていましたが、ある時、意地悪な仲間のメイドに唆されて区域の外に出てしまいました。

 さらに間の悪いことに、高貴なご令嬢方の茶会へと紛れ込んでしまったのです。

 すぐに衛兵に拘束され、メイドは震え上がりました。

 怯えるメイドは呂律も回らず涙を浮かべ、縮こまるばかり。



「そんな時、ある騎士が通りがかりました。そしてそのメイドに声を掛けたのです――「ああ、こんなところにまで来てしまったのか」と」

「!」

「その騎士は、頭を下げてこう説明しました。先ほどこのメイドにある用事を申し付けたが、他のメイドから担当区域が決まっていることを指摘され、慌てて探していた。ひとえに担当区域のことを失念していた己に責任があり、彼女は命令を全うしようとしただけなので、どうかご容赦いただきたい、と」



 名の知れた騎士でもある彼が言うのなら、と誰もが疑念を呑み込んで頷きました。


 あとから分かったことですが、その騎士はメイドのことをまったく知らず、用事の件も嘘でした。迷い込んだと察した彼は、穏便に済ますべくそんな嘘をついたのです。そのお茶会には高位貴族の令嬢方が参加していたことを知ったメイドは、あの騎士がかなりの危険な行為を見ず知らずの己のためにしてくれたのだと理解しました。



「メイドが騎士を慮って進言すれば、彼は笑って言ったそうです。「本来であれば、君があの茶会に迷い込む前に衛兵が気付き止めなければならなかった。そう出来なかったのはこちらの落ち度だ」」



 目を見開いて固まった彼。

 思い当たる節があったのだろう。

 動揺したように、右手が彼の唇を隠す。



「やんわりと止められたメイドでしたが、心苦しさに負け、あのお茶会の主催者の令嬢を探し当て、包み隠さず話したのです。騎士の優しさとメイドの清廉な心に感動した令嬢は、父に頼んでそのメイドを雇い入れました。そして今も、メイドはそのお屋敷で働いています」



 そこでリズベットは言葉を区切った。


 この後が、本当に話したかったことなのだから。



「…さて、騎士の優しさを知った令嬢ですが、それからその騎士を見かけるたびに目を惹かれるようになりました。立場上、接する機会が多かったことも理由になるかもしれません。やがて、見掛ければ気分が上がり、目が合えば胸が高鳴り、話せば心が浮つくようになりました。令嬢は、いつの間にか騎士に恋をしたのです」



 声が震えないように、低くならないように。

 それらを意識すれば、ゆったりとした口調になってしまった。



「けれど令嬢には、幼馴染として育った婚約者がいました。その国の、ただ一人の王子様です。未来の王妃様として育てられていた令嬢は、誰にも悟られないように、胸の奥深くへとその気持ちを仕舞い込みました」

「パティストラ嬢、」

「――ディラン様。私の想い人はどなたか、お分かり頂けたでしょうか」



 瞳を揺らした彼が、そっと口元の手を外す。

 わずかに眉尻を下げた。



「パティストラ嬢は私を美化しすぎです。そのメイドの件も、貴女主催であればお咎めは軽いと踏んでのことですし、なによりメイドではなく衛兵こそを庇ったのです」

「ですが、誰にでもできることではありませんでした。それに、メイドの件はきっかけに過ぎません。私は貴方と接するうちに、どうしようもなく惹かれてしまったのです」

「パティストラ嬢…」

「ですからどうか、白紙に戻すなどと仰らないでくださいませ。貴方に想って頂けて、私は、とても嬉しいのです」



 そう胸の内を告げれば、ディランは静かに息を呑む。

 噛み締めるようにゆっくりと瞬き、真実か探るような眼差しを向けてきた。



「本当に、後戻りが出来なくなるぞ」

「構いません」

「私は、貴女が思うほど清廉潔白でも、聖人君子でもない」

「それは私の台詞です。常々思っていたのですが、貴方こそ私を物語のお姫様か、聖女のようにお思いでは?」



 そう首を傾げれば、言葉に詰まったのだろう。


 互いに互いを美化しているように思う。

 けれど、今まで接していた彼もまた彼だ。人間なのだから欠点や好ましくない一面などあって然るべきだろう。すべてが理想通りなわけがない。

 しかしリズベットは、そんな彼もまた知りたいと思うのだ。



「…名で、呼んでも?」

「ぜひ。私のほうこそ改めて、お名前でお呼びしてもよろしいでしょうか」

「もちろん大歓迎だ。リズベット」



 立ち上がった彼が、机を横に押してリズベットの前を空けた。

 そしてそこに、片膝をつく。


 差し出された手に吸い寄せられるように、リズベットは手を乗せた。



「リズベット、愛しています。私と、結婚してください」



 胸がいっぱいになる。

 昂った感情のまま、リズベットは涙を浮かべながら微笑んだ。



「――はい。私も、愛しています」





















 ガシャン!! と派手な音が響いた。


 壁にかけられた鏡が、粉々になって床に散っている。

 肩で息をした少女は、可憐な相貌を醜く歪め、咆哮した。



「なんっでこうなるのよ!!! ふざけんな!!!」



 こぢんまりとした屋敷に勤めていた数少ない使用人はすでに解雇されている。

 両親はこの事態の早期収束のため、不在だった。


 父からは顔を叩かれ、頬が赤く腫れている。

 ジクジクとした痛みがまた、これが現実だと知らせてさらに腹が立っていた。

 いつも味方してくれていた母ですら、泣きながら詰ってきたのだ。



「あたしは、何も悪いことしてないじゃない…!!」



 すべては順調だったのだ。

 少女――リリアナは、目を血走らせて唸る。


 そう。

 あの卒業パーティーですべてがひっくり返ったのだ。

 本当なら今頃、レオナルトと王城で過ごし、贅沢していたはずなのに。



「あの女のせいよ。あの女が!! 許さない…許さない…!!」



 手近にあった物を掴み、手当たり次第に投げる。


 まるで呪うかのように、リリアナは暴れ続けた。






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