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虚実の絵画[サイコホラー]

テーマ:静けさ

眼を開けると黒一色に染め上げられた憂鬱なキャンバスにポツンと浮かぶ色鮮やかな真ん丸の球体が映り込む。


その繊細なグラデーションは見る人を虜にし、夢現へと誘う。


手を伸ばし握ろうとしてもまるで蜃気楼のように指の隙間を通り抜けてしまう。


「ここは、どこだ? 俺は確か……」


どのくらい寝ていたのか、錆びついた脳みそが記憶を掘り起こさない。


多少、気だるい身体をのそりと起こし、周囲を見渡すも目に入るのは薄汚れた灰色の荒野とつまらない真っ黒な天上。


何が有ったのか、地面は数多の窪みが散見し、大小様々な岩がゴロゴロと転がっている。


そして、絵の飾られていない額縁が転がっていた。


「何だここは……」


記憶も無ければ行く宛も無い。妙に重い体を引きずりその荒野を突き進む。


暫く進むと、大人一人分は有ろう大きな岩影から、一匹の兎が飛び出てくる。


疲れ切った老婆のように真っ白な体毛、滴る血液のように丸々っとした深紅の瞳。


首を括れそうな程の長い耳で軽く会釈をするその兎は、俺を一瞥するなり数歩進んでは振り返る。それを数度と繰り返していた。


「……着いてこいって事か?」


この兎が何を考えているのかさっぱりと分からない。


しかし、何も知らない俺は何かを知っている兎に着いていくことしか出来なかった。






どれほど歩いただろうか。


一時間? 一日? 一ヶ月?


案外十分も歩いていないのかもしれない。


それほどまでに時間の感覚を狂わせる場所だった。


次第に額縁の数が増えていき、チラホラと絵も差し込まれている。


いや、絵と呼ぶには些か、烏滸がましいのかもしれない。


「これが芸術だって言うなら、俺には理解が出来ないな……」


なぜなら、額縁の中には赤や青と言った単色で塗りつぶされた紙きれが挟まっているだけなのだから。


「どうせ、行く宛も無いんだ。一つくらいじっくり見てみるか」


隆起した小山に無造作に立てかけられている額縁を一つだけ覗く。


それは、真っ赤な絵の具で乱雑に塗りつぶされた油絵だった。


絵の具が乾く前に立てかけたのか、油絵特有の立体的な質感で溢れ出る血液のようにも見えてくる。


この作品のタイトルは『母』


「違う……」


何が? 俺は今、何を口ずさんだ?


この絵を見ていると自分が自分では無いように感じる。


妙に不安を煽る絵だ。


俺は大人しく待っていた兎の後を足早に追いかけた。






その後もタイトル付きの額縁が増えていく。


真っ白の絵には『父』


「違う」


青の絵には『友人』


「違う!」


紫の絵には『彼女』


「違うっ!!」


そして、真っ黒に染められた絵には――。


『お前』


「違う! 違う! 違う! 俺じゃない!」


何だこの絵は、何故、こんなにも俺を掻き乱す。


居ても立っても居られなくなった俺は逃げるようにその場から駆け出す。


前で恨めしそうに佇む兎なんか知ったこっちゃない。俺は違うんだ。


何もかもが違うんだ。


俺は何もやっていない。


どのくらい、走っただろうか。


一年? 一週間? 一分?


さっきまで、疲れ知らずだった身体もガタが来たのか立つことすらもままならない。


「はぁ……はぁ……。違うんだ……! 俺じゃないっ!」


ふと、背後から差し込んでいた光が遮られて、薄暗くなる。


「な、なんだ……?」


後ろを振り向くとそこには――。


「っ……!」


雪のように眩しい体毛に包まれ、宝石のように輝く朱色の瞳を持った人間の五倍くらいはある兎だった。


ニヒルチックに口元を歪ませては針よりも鋭そうな牙が見え隠れし、滝のように涎を垂れ流していた。


「違う! 辞めてくれっ! 俺じゃない! 違うんだ!」


そんな事はお構いなしに兎はその俺をも丸呑みに出来そうな程の巨大な口を開いて俺に近づいてくる。


「オ・マ・エ・ダ」


「ち、違うんだ!」


そこで、俺の意識は途絶えた。





眼を開けると黒一色に染め上げられた憂鬱なキャンバスにポツンと浮かぶ色鮮やかな真ん丸の球体が映り込む。


その繊細なグラデーションは見る人を虜にし、夢現へと誘う。


手を伸ばし握ろうとしてもまるで蜃気楼のように指の隙間を通り抜けてしまう。


「ここは、どこだ? 俺は確か……」

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