09話 初戦果
ライオンは、首を噛んで呼吸を停止させることで、獲物を仕留める。
それは呼吸が出来なくなれば、獲物が1分ほどで意識を喪失するからだ。
スイギュウのような巨体が相手でも、咽を噛むだけならメスライオンで出来る。
途中で獲物の仲間から妨害を受けても、窒息させていた時間が長ければ、脳や臓器にダメージを受けた獲物は逃げられない。
救出しても、動かなければ、仲間達は連れて行くことを諦める。
ちなみに前世では、窒息から死亡までは30分程度だと耳にしたことがある。
しばらく待った俺は、穴の土を少しずつ収納して、身体の一部が出たスイギュウに触れて、収納を使った。
イメージしたのは、スイギュウと空間収納に入れているクロサイの入れ替えだ。
『空間収納』
スイギュウの身体がスッと消えて、代わりに嫌な臭いのするクロサイが出た。
「ウミャーッ」
俺は、フレーメンと呼ばれる、鼻を窄めたような表情を浮かべた。
そして顔を振り、足元にクロサイが埋まった窪みから立ち退く。
それから再び収納を使って、今度は窪みの土を取り除いていった。
『空間収納』
シュンッと土が消え失せて、窪みが大きな穴に早変わりした。
祝福1つに要したポイントは、土魔法と光魔法の両方を習得した800ポイントを上回る。
俺が魔法で空けた穴くらいの土は収納できるようで、窪みはアフリカゾウが落ちるほどの大穴に早変わりした。
そして穴の中には、腐り始めのクロサイが出現したのである。
「グォオッ」
クロサイが出現した瞬間、周りで見守っていた兄姉が、猛ダッシュで逃げた。
いきなり目の前にクロサイが現れれば、驚いて逃げるのも当然だろう。
エムは、スイギュウに追われた時のように、華麗なウサギ跳びを見せた。
そんなエムより早く逃げたのが、スイギュウの時も真っ先に逃げたイーだ。
2歳のビスタ、1歳のアンポンタン3姉妹も素早く逃げる。そして大きく距離を取り、穴に向かって威嚇の表情を向けた。
クロサイを出した張本人の俺は、気にせず穴の淵に立ち、クロサイを眺めた。
――やっぱりクロサイは、スイギュウよりも大きいなぁ。
交換で収納したスイギュウは、わりと大きな個体だった。
体重700キログラムの場合、骨や皮などを除いた可食部は、500キログラムほどだろうか。ライオンは、人間よりも色々な部分を食べられるだろうから、半分以上は食べられると思う。
それだけあれば俺がギーア、リオ、ミーナと4頭で独立した場合でも、1ヵ月は食べていける。
あるいは俺が成長期に、身体を成長させる食料にする手もある。
――兄姉への分け前は、無しで良いな。
ライオンは、群れで獲物を狩る生き物だが、今回は俺一人で狩りをした。
馬鹿猫6兄姉は戦っておらず、エムが吹っ飛ばされただけである。そして俺は、襲われていた馬鹿兄からスイギュウの注意を逸らして、助けてやったのだ。
俺個人の戦果なので、獲物は俺の総取りで良いだろう。
なおクロサイを出したのは、消えたスイギュウの代わりである。
『兄達、すごい。これ、倒した!』
俺が穴の淵で叫ぶと、遠巻きにしていた兄姉が、忍び足で近寄ってきた。
そして恐る恐る穴の中を見て、ドドンと横たわるクロサイに目をしばたかせる。
『なんか、違わないか』
『これだよ。穴に落ちているし』
『でも、こいつデカいぞ?』
『同じだよ。ほら黒いし』
俺はエムがこれを倒したと、力強く訴えた。
クロサイは灰褐色だが、穴に落ちて影に入れば、暗く見えないこともない。
頻りに首を傾げるエムに対して、俺は畳み掛ける。
『エムが弱らせたら、穴に落ちた!』
俺は「凄い、凄い」と、エムを褒め称えた。
スイギュウに挑んだエムの、なんと偉大であることか。
もしも俺が魔法を使えなければ、大人のスイギュウには、絶対に挑まない。
俺が魔法無しで戦うとすれば、ナイルワニが沢山居る川を渡った直後だろうか。
ナイルワニから逃げ延びて陸に上がったものの、足1本が食べられており、力尽きたスイギュウが理想的だ。
元気いっぱいのスイギュウと正面決戦するのは、俺にはちょっと難しい。
なお日本人が言う『ちょっと難しい』は、絶対に無理の意である。
――おっと間違えた。兄が戦って倒したのは、クロサイだった。
俺は穴に横たわるクロサイを見下ろし、兄が狩った獲物の認識を修正した。
『これは、兄が倒した!』
『何か、違うかも?』
エムイーよりは賢そうな姉のビスタが、疑義を呈した。
『でも、兄が弱らせた』
『……うーん』
『ツノも有るよ。兄は、ツノと戦った』
『それは、そうだったかも』
ビスタも混乱して、そうだったかもしれないと疑い始めた。
馬鹿猫の記憶力よりも、目の前の証拠である。
穴にはクロサイが居て、ほかには居ない。
すなわち兄が戦ったのは、腐り始めた食べかけのクロサイであったのだ。
『こいつの怪我は、落ちた時だよ』
母ライオンが食べた部分について、俺は完璧な補足を加えた。
すると、ようやく納得したらしきエムが、ストンと穴に降り立った。
そしてクロサイの背中に爪を立てて、トドメを刺したと主張を始める。
『これは俺が倒した……臭っ!』
エムに続いて穴に降り立ったイーも、爪を立てて、やや嫌そうな顔をした。
ビスタとアンポンタンも穴に降り、クロサイの巨体に爪を立て、噛み付く。ライオンパンチでバシバシ叩き、引っ掻き、身体に噛み付いた。
「ガアアッ、グォオオッ」
兄姉の行為は、狩りの練習だ。
獲物を狩れないライオンは、サバンナでは生きていけない。
将来のためにしっかりと勉強するのは、大切なことである。
兄姉が獲物に食らい付いて叫んだところ、メスライオン達が迎えに来た。
なかなか戻ってこない子供達の鳴き声を、遠方から聞きつけたのだろう。
メスライオン達は穴を覗き込み、クロサイの巨体に驚いて、仰け反った。
そして標的を観察し、動かないことを確認して、穴の中に入っていった。
――こんな狭い場所に、よく入るなぁ。
慎重派の俺が掘った穴は、アフリカゾウが落ちる程度の大きさがあった。
クロサイを入れて、子ライオン6頭が群れても隙間はあるが、大人のメスライオン6頭が参加すれば密度が高くなる。
――猫は狭いところが好きだよな。
俺が眺めていると、大人のメスライオンで、ただ1頭だけ穴の中に入らなかった俺の母が、ジトーッと俺を見つめてきた。
流石にいつも食べていたクロサイは、分かるらしい。
「ウミャアッ」
俺は、母ライオンの前でゴロンと寝転んでみせた。
必殺、無邪気な猫の振りである。
「ガオッ」
母ライオンはヤレヤレと俺の身体を嘗めて、誤魔化されてくれた。
俺の収納や魔法は、母ライオンも知っている。
なぜ能力を持つのかは理解していないが、出来ること自体は知っている。
その上で、あまり気にしていない。
それは生物の目的が、生存して子孫を残すことで、子供の俺が強い力を持つことは、母ライオンにとって望ましいからだろう。
その点、人間よりも単純明快で有り難い。
「ガォーッ、グォーッ」
穴の中ではライオン達が、クロサイを貪り始めていた。
どうやら俺が考えていたよりも、遥かにライオン達の胃は強いらしい。
例外は母ライオンと0歳児の俺達4頭で、穴の上でミルクを飲み始めた。
――日本人とライオンの胃は、違うよなぁ。
いつの間にか父ライオン達もやってきて、晩餐に参加した。
穴の中で食べると、獲物が外から見られず、臭いも漏れ難い。
我が一家は、敵に邪魔されず、思う存分にクロサイを貪ったのであった。