08話 ポンコツ、エムイー
馬鹿猫6兄姉が、ゆっくりとスイギュウに迫っていく。
姿勢を低くして、茂みに半身を隠しながら、顔を上げて標的に視線を合わせる。
複数で包囲網を作り、標的の注意を分散させながら、ジワジワとにじり寄る。
兄姉は子供であろうと、確かにライオンであった。
――馬鹿だけど。
これはランドセルを担いだ小学生の男女6人が、成人男性に絡むようなものだ。
大人がヒョイッと抱え上げて、おりゃっと投げ飛ばせば、ギャン泣きであろう。
実際にスイギュウは、ツノでライオンを投げ飛ばすくらい、余裕である。
しかも推定・異世界サバンナには、成人を逮捕する警察など居ない。
何であろうと、やったもの勝ちだ。
――地球でも、ライオンとスイギュウの争いには、警察も介入しないからな。
例外は、マサイ族の牛を襲った時だろう。
その時は、赤い服を着たマサイ警察が、槍を掴んで地の果てまで追ってくる。
その際、現地政府や動物保護団体の仲介は、無駄である。
政府が補償金を払うと言っても、ライオンの牛狩りを見逃せば、牛が無くなるまで狩られるから無理だと、マサイ族の族長達が説明したことがあるらしい。
――ごもっともだ。
ライオンにしてみれば、リスクの低い獲物を狙うのは当然だ。
家畜の牛は、囲われて逃げられないので、シマウマよりも遥かに狩り易い。
マサイ族を「ヤバい連中」と思うからこそ、マサイ族の牛に手を出さないのだ。
幸い今回の相手は、ライオンにとって危険極まりないマサイ族ではない。
だが兄姉くらいを倒すことは出来るし、そうされると俺の将来設計は崩壊だ。
お馬鹿な姉達が死んだ場合、リオの母が欠員して1頭の補充を必要としている群れは、強いリオを群れに残そうとするだろう。
ミーナは群れに残れるか、それとも追い出されるか、微妙なところだ。
オスライオンは狩りが下手で、メスライオンも1頭では狩りの連携が出来ない。すると俺達やミーナは、食いっぱぐれることになる。
――ほかの群れを乗っ取るのは、キツいだろうしなぁ。
良い水場を確保した群れは、草食動物が安定して集まるので、群れの規模が大きくなる。
草食動物が集まれば、オスライオンも釣られてやって来るので、オスの競争率も高くなる。
一等地を確保している大きな群れに君臨しているのは、数が多くて強いオス達である。おそらく身体的な最盛期にある3頭から4頭のオスだ。
俺が魔法と知恵を使えるとしても、2歳半でポンと乗っ取れるほど、大きな群れは甘くない。
オスライオンになってしまった以上、一時的な放浪は不可避だ。独立時に兄弟姉妹が居ないと、俺の転生ライオンライフは大ピンチである。
どうせ追い出される兄達はさておき、姉達が死ぬのは困る。
少し離れた茂みに移動した俺は、その場で密かに魔法を使った。
『グラーベン』(掘る・Graben)
発生したのは「地下で行っていた水道管の工事で、地面に大穴でも開けてしまったのか」と疑う局地的な大穴だった。
スイギュウから見えない茂みに穴を掘った俺は、空間収納に土を仕舞い込む。
その間に兄姉は、スイギュウまで数秒の距離に迫っていた。
近寄られたスイギュウは反転して、小走りに後ろへ駆ける。
すると、たてがみが生え始めた2歳の兄ライオン達が、スタスタと後を追う。
――おっ、おっ、追うなっ!
アホーアホーと、俺は内心でカラスのように鳴いて、兄達の蛮行を罵倒した。
兄達は、逃げた相手を本能的に追っただけで、何も考えていないに違いない。
流石は、脳の重量200から250グラムのライオンであろう。
それよりも遥かに軽い人工知能が、人間よりも遥かに賢いので、重さは関係ないのかもしれない。だが兄が積んでいるOSは、ポンコツ過ぎないだろうか。
俺は2歳になる2頭の兄を、「エム」と「イー」と名付けることにした。
なお名前を付けるのは、俺が個体識別を行うためだ。
前世の人間では、親が子供に名前を付けていたが、今世のライオンの群れでは行われていない。そのため俺が、勝手ながら命名した。不当なら、あだ名とでも思ってくれれば良い。
流石に親世代への命名は憚られるので、兄弟姉妹までに自重しておく。
――上の姉は、ビスタにしよう。下の姉達は、アン、ポン、タンで良いな。
少し下がったスイギュウは、クルリと反転して兄姉に向き合った。
すると兄姉は、スタッと停止する。
追われたスイギュウはイラついたのか、ギロリと兄姉を睨み付けた。
サッと目を逸らしたエムとイーの2頭は、単なる通行人を装った。
『ガゼルの骨、まだ残っていたかなぁ』
『ジャッカルが持ち帰らなかった?』
通りすがりのスイギュウなんて、完全に眼中にありませんという態度である。
スイギュウは、目を逸らして誤魔化す兄達をジト目で眺めた。
そして溜息を吐いて、道端の草を食んだ。
まさに『道草を食う』の慣用句通りで、兄姉の知らない振りに対して、自らも行動を遅らせて、様子を見たのだ。
スイギュウに観察されたエムイーは、シラを切って誤魔化そうとする。
『まだ残っているかもしれないぜ』
『でも肉の味なんて、もう残ってないんじゃない』
『確かに囓るなら、肉が良いな。でも狩るのは、大変だぞ』
『そこは子供を狙うんだよ』
エムイーの視線は、スイギュウから逸れて横を向いている。
後ろではないので、ちゃんと視界の端には、スイギュウを捉えられている。
それでいて、スイギュウなんて見ていないと主張できなくもない方角である。
エムイーの誤魔化しは、なおも続く。
『確かに子供なら楽だな。遅いから、俺達でも狩れる』
『そうそう、スイギュウの子供とか、美味いだろうね』
『……あっ』
ポンコツOSが標準搭載されたエムイーが、スイギュウの堪忍袋の緒を盛大に噛み切った。
ブチッとキレたスイギュウが、ドッドッドッと駆け始めた。
『ふざけんな、クソガキどもがっ!』
事案発生である。
キレたスイギュウは、慌てて反転しようとしたエムに迫り、地面に下げた頭で突き飛ばした。
それは体重100キログラムの男性が、横から軽自動車にぶつかられたレベルの衝撃だった。巨漢の男性であろうとも、さらに巨大な物体にぶつかられれば弾き飛ばされる。
横っ腹に突撃されたエムは、サバンナの大地を盛大に転がった。
そして倒れた身体を、ツノで引っ掛けられて、力強く跳ね上げられた。
エムの伸びた身体が、クルンクルンクルンと、空中を縦回転していく。
――ライオンの動体視力って、凄いんだな。
まるで体操選手のように回転していったエムの勇姿が、俺の瞳に焼き付いた。
宙を舞ったエムは、猫のように華麗に着地して、四肢で衝撃を受け止める。
子ライオンの柔軟な身体、反射神経、バランス感覚などが絶妙に絡み合って、高所からの着地が実現したのだろう。
俺は素直に、兄の身体能力に感動した。
起き上がったエムは、ウサギのようにピョンピョンと跳ねて逃げ出していく。
どうやらダメージ自体は、あるらしい。
兄達が追い散らされた瞬間、包囲に加わっていた姉達も一斉に逃げ始めた。
スイギュウは次に誰を撥ね飛ばそうかと、周囲を見渡す。
『シュタインヴェルフェン』(投石・Steinwerfen)
空間収納の中にあった石が、魔法で飛んだ。
そして怒れるスイギュウの頭に、ゴスンとぶつかった。
石が飛んできた方向にスイギュウが向き直ると、その先には子ライオンが堂々と立っていた。
実際にはブルブルと震えているのだが、俺は平然とした態度を装った。
この戦いには、俺が独立する2歳半からの生活が掛かっている。
俺は前脚を上げて、魔法を唱えながら振り下ろした
『シュタインヴェルフェン』
魔法で飛ばした石が、再びゴツンとぶつかった。
するとスイギュウは、ギリリッと歯を食いしばって、激しい怒りを露わにした。
俺はその場を動かず、招き猫のように前脚をペシペシと振ってみせる。
『オーレ!』
オーレはスペイン語で、闘牛士に「いいぞ」と褒める掛け声だ。
もちろんスイギュウ相手に言うのだから、ふざけて馬鹿にしている。
すると言語翻訳が良い仕事をしたのか、怒れるスイギュウが、俺を目掛けて走ってきた。
「ウモヴァーッ、ウモヴァーッ!」
スイギュウが呻り声を上げながら、ドドドドッと、全力疾走で迫ってくる。
その様は、あたかもスペインの牛追い祭りで挑発された闘牛の如し。
そして俺の目の前まで来たスイギュウは、フッと姿を消していった。
「ウモオオオオーーォォッ」
アフリカゾウが落ちるほどの穴の底から、ズゴンと音が響いてきた。
俺はすかさず、空間収納に入れていた土を穴に落とした。
「モォォォー」
引っ繰り返ったスイギュウの鳴き声は小さくなり、消えていったのであった。