59話 炎翼虎と金狼
内城のバルコニーには、辺境伯夫妻とグンターが揃っていた。
彼らの視線の先には、第二城壁内から逃げ出した獣人達の姿がある。
獣人達は一カ所を目指しており、そこからは狼の遠吠えが聞こえていた。
「グォオオーォーォーォー」
それは長く、遠くまで響く重低音だった。
鳴き声が響き渡った中心には、並の獣人兵よりも二回りは大きな金色の毛並みの狼が、グレートソードを片手に携えて、威風堂々と立っていた。
そして領都の一画から、内城に居る俺達を睨め付けながら、吠える。
すると逃げていた狼の獣人達は、慌てて秩序を取り戻し、鳴き声の方向に集結していった。
「あれが第四軍団長、金狼のガスパールだ」
バルコニーに着いた俺の隣に、グンターが立った。
俺は金狼を観察しながら、グンターに尋ねる。
『獣人は、強さで身分が決まるという話だったが、軍団長は強いのか』
「暴れるアフリカゾウを見たことはあるか?」
『そういうレベルなのか』
アフリカゾウは、サバンナで最強の生物だ。
一度に2.5トンの荷物を運べて、観光バスや体重2トンのシロサイでも、余裕でひっくり返す。
どんな敵でも蹴り飛ばして、ナイルワニだろうと上から踏み潰す。
正面から相対するのは、6トントラックと戦うようなものだ。
人間が1000人いても、アフリカゾウは止まらない。
相手は、アフリカゾウに比べて身体が小さく、素早く、攻撃が命中し難い。
さらに賢くて、武芸に秀でており、武器を操り、軍隊も指揮する
ヒッポグリフと精霊を同時に運用できる人間が、押される理由の一端が、金狼単体によって納得できた。
『あれは、必ず殺しに来る眼だな。集結後には、そのまま突っ込んできそうだ』
金狼の顔色と態度を見れば、殺意は一目瞭然だった。
絶対に標的を逃がさないという、肉食獣の固い決意が見て取れる。
金狼の高い殺意は、殺された大隊長の1人が娘だからか。
家族を殺されて復讐する動機は、理解可能だ。
もっとも「城塞に攻め込んだのは、お前らだ」というツッコミは、しっかりと入れておきたいが。
――金狼の跳躍力は、どれくらいかな。
1人であれば、支配した元人間国家に操らせたヒッポグリフで、城壁を越える方法もある。
アフリカゾウに突っ込まれれば、内城のヨハナ達も危険だ。
突っ込んできた側も討たれる危険はあるが、動機が復讐であれば、多少のリスクは負うだろう。
『金狼のガスパールは、ここで倒しておく。今回の報酬は、適当で良い』
「助かるが、どういう風の吹き回しだ」
『金狼の表情は、しつこく復讐する奴の顔付きだ。金狼の娘は、俺とリオが精霊で殺した。ここで始末しておく』
ヨハナの手前、口には出さなかったが、金狼は辺境伯家のヨハナも狙うだろう。
金狼の娘を殺したのは、グンターの依頼を受けてヨハナ達を救援するのが目的だったので、俺のせいでこうなったとは思わない。
だから、『今世における幼い友人が、狼に狙われている状況を打破する』が、俺の動機になる。
『ブレンダ、金狼を殺してくれ』
俺の頭上にイヌワシが、リオの頭上にハヤブサが姿を現した。
リオのアルベルタが一緒に現れたのは、共に攻撃する意志を持ったからだろう。
羽ばたいたイヌワシとハヤブサは、バルコニーを滑空して、川を越える。
そして金狼の下へと到達したイヌワシは、炎に包まれながら、姿を変えていく。すると6枚羽を持つ、薄紅色の髪の女が現れた。
「上級精霊か」
金狼のガスパールは、グレートソードを片手で持ち上げた。
そんな金狼の正面で、ブレンダの透き通ったルビーのように真っ赤な両眼が、猫科の動物の様に大きく見開かれた。
整った造形だった鼻と口が、獣のように前へと突き出ていく。
長く尖った耳は丸みを帯び、身に付けていたピンクのワンピースは、白い炎と薄赤い炎の二色で縞模様を描いた。
長髪と羽衣が全身を隈無く覆い、四肢が異様に伸び、そこからは爪が突き出る。
火の上級精霊は、炎虎へと姿を変えていた。
燃え盛る炎が、まるで翼のように伸びる。
「イリーナとダグラスでは、勝てんな」
力強く大地を踏みしめる炎虎の偉容に、金狼は納得の表情を浮かべた。
生誕した炎翼虎は、産声に代わって口から竜の如き盛大な炎を撒き散らす。
これに最も近い生物は、鷹の上半身に獅子の下半身というグリフォンだろうか。
だが虎の全身に、鷹の巨翼という怪物は、内包する力も絶大だった。
踏みしめる石畳から白煙を上げながら、炎翼虎が前へと踏み出した。
「ガッ、ガスパール様っ!」
「狼狽えるな。貴様らは、もう一匹の中級精霊でも相手にしておれ」
金狼の周りに居る獣人達が、命じられたとおりにリオの中級精霊を警戒する。
最早、互いしか目に映らなくなった炎翼虎と金狼は、ジワジワとにじり寄り、爆ぜるように飛び掛かった。
飛び掛かった炎翼虎が、強靱な前脚と鋭い爪で、金狼に襲い掛かる。
金狼はグレートソードを振り回して、炎翼虎の身体を打ち据えんとした。
すると振り回されたグレートソードに、質量を持った炎の翼が叩き付けられた。
「ぬ、う、う、う、うっ」
巨大な金属の塊と、顕現した重い翼が衝突する。
グレートソードの一撃を翼で受けた炎翼虎の前脚が、金狼の巨体を殴り付けた。
「ぬああっ!」
金狼は、炎翼虎の爪を無防備に受けたわけではなかった。グレートソードで炎の翼を押しながら、足で石畳を蹴り飛ばし、後ろに下がって攻撃を受け流した。
爪で抉られた金狼の身体からは、血液が噴き出して、石畳に赤い染みを作る。
その上を炎翼虎が通過して、石畳の血液を蒸発させていく。
「ばっ、化け物だあっ」
獣人達が叫ぶが、炎翼虎は一顧だにせず駆け出した。
炎翼虎の巨体が殺戮の暴風となって、金狼に襲い掛かる。
強靱な体躯で正面から体当たりを仕掛け、金狼の身体を弾き飛ばした。
金狼は押されながらも、グレートソードを軽々と操り、炎翼虎を殴り付ける。炎の翼とグレートソードが激しくぶつかり合い、片翼が折れた。
獣人達からは、歓声が上がった。
「ガスパール様が、翼を折ったっ!」
だが片翼を犠牲にした炎翼虎の爪が、金狼の身体を深く抉った。
さらに炎虎の口から炎が噴き出されて、金狼の頭部を焼いた。
「グアアアアアッ」
金狼が左手で顔を押さえながら、身体を仰け反らせた。
その隙を見逃さず、炎翼虎は金狼に体当たりを仕掛け、巨体を弾き飛ばした。
まるでアフリカゾウの体当たりを受けたかのように、弾かれた金狼が、民家の壁に激突した。
弾き飛ばした金狼に向かって、炎翼虎が飛び掛かっていく。
虎の姿で顕現したブレンダは、本物の虎のような狩猟本能を示していた。
獲物に対する攻撃は研ぎ澄まされ、金狼の抵抗が、最適解で排されていく。
世界には満ちるマナを用いれば、折れた翼も癒やせただろう。
だがブレンダは、俺との契約の範囲内で、正々堂々と戦っていた。
負った傷は癒さず、金狼が猛攻を凌ぎ切れば、倒されて精霊界に還るだろう。
――金狼側には、勝てる方法もあったな。
金狼は、アフリカゾウに1人で立ち向かう真似をしなければ良かった。
獣人達を使い捨てにして、公平なブレンダを消耗させれば良かったのだ。
軍団を率いる軍団長ではなく、群れを率いる狼のように戦った結果、金狼は敗北することになった。
金狼に食らい付いた炎翼虎の身体が、炎で周囲を明るく彩っていく。
大きな牙で金狼の顔を噛み裂き、爪で全身を引き裂き、力強く振り回して、民家に叩き付ける。
炎翼虎が金狼を民家に叩き付ける度に、衝撃音が響き渡った。
全身を破壊し、高熱で焼いて、命の灯火を一気に燃え尽きさせていく。
「ガスパール様を援護しろ!」
「ですが隊長、中級精霊が邪魔をしますっ」
ブレンダが暴れ回る間、リオの中級精霊アルベルタは、孤軍奮闘していた。
金狼に近付けまいと飛び回り、口から炎を撒き散らして、獣人達に吹きかける。
獣人達が炎に包まれて転げ回ると、アルベルタは周囲にも炎をまき散らして、戦場に炎の聖域を生み出した。
精霊達の猛攻は、獣人達を恐れさせた。
怯えた獣人達は、おそらく引き際を待っていた。
そして炎翼虎が、無抵抗となった金狼の首筋を噛みながら獣人達の前に立った時、戦場の趨勢は定まった。
「ガスパール様が倒されたあっ」
「てっ、撤退だぁ!」
獣人達が保っていた戦意の堤防が、金狼の敗北で決壊した。
恐怖と生存本能に駆られた獣人達が背を向けて、我先にと一斉に逃げ始めた。
それは大隊長が倒された時のように列を保った撤退ではなく、四方八方に逃げ惑う本物の総崩れだった。
























