54話 早期のお肉デビュー
赤道直下を除く野生下のイボイノシシには、繁殖期がある。
それは乾季の始め頃で、5ヵ月から半年ほどの妊娠期間を経て、雨季の始め頃に出産する。
雨季の始め頃に出産するのは、子育ての時期には向かない乾季を避けるためだ。
草食を主体とする雑食性のイボイノシシは、草や葉、果実や木の実、カヤの根なども食べる。
雨季に出産すれば、哺乳期の食料確保に困らないわけだ。
『子連れが多いね』
『そうだな。小さいのを連れている』
目的地に到着した俺達は、早々に親子連れのイボイノシシを発見した。
雨季の始まりから、およそ1ヵ月と1週間。
イボイノシシは、誕生時の体重が400から900グラムほど。
生後1週間は巣穴から出ないが、2週間から3週間で、固形物も食べ始める。
授乳期間は4ヵ月から半年で、性成熟までは1年半だ。
――固形物も食べるということは、巣穴の外を出歩くということだな。
生後1ヵ月ほど経っている現在、イボイノシシは子連れで徘徊している。
既に小柄な猫ほどの大きさに成長しており、走れるようにもなっている。
シマウマは肉食動物から逃げるために、生まれて1日で走れるようになる。
同じサバンナに暮らすイボイノシシが走るのは、それほど不思議ではない。
もちろん身体が小さい分だけ、足が短いので、走る速度も遅くなるが。
『あれ、どうやって捕まえるのかな』
ミーナが涎を垂らしながら、イボイノシシの子供を眺めた。
新鮮な天然の豚肉、約3キログラム。
1頭の親に対して、4頭ほどが連なっている。
『追いかけて捕まえるだろう。子供の足は遅いし、イボイノシシが反撃したって、俺達ライオンには勝てない』
メスライオンは、メスのイボイノシシよりも身体が大きくて重い。
メスライオン1頭で、イボイノシシを狩れる。
そのため抵抗されても、スイギュウを相手にする時のような危険は無いのだ。
つまりライオンがイボイノシシを追いかければ、巣穴まで逃げ切れない幼獣か、反撃しようとした成獣を捕まえられる。
『イボイノシシの牙は、危なくないの?』
『気を付ければ、大丈夫じゃないか』
人間の反応速度は0.25秒だが、猫は0.02秒だ。
哺乳類の中でも反応速度が速いライオンの場合、イボイノシシと1対1で戦えば、牙を向けた突進は避けられる。
ライオンの知能は保育園児並なので、時々ポカをしてしまうこともあるが。
『始まったな』
茂みに身を隠しながら、メスライオン達がイボイノシシに接近を始めた。
音を立てず、忍び足で次第に近付いていく。
ライオンとイボイノシシでは、ライオンのほうが足は速い。
なるべく近付いて、巣穴に逃げ込まれる前に追い付ければ、ライオンの勝ちだ。
ジリジリとにじり寄ったメスライオンは、そこから一気に駆け出した。
――速い。
俺が驚いたのは、イボイノシシの反応速度だ。
ライオンが駆け始めると、イボイノシシは音による聴覚反応で、ライオンを視界に収める間もなく走り始めた。
走行速度ではライオンのほうが速いが、ライオンよりも小柄なイボイノシシは、スタートダッシュが速かった。
即座には捕まえられずに、追いかけっこの状態になる。
距離が近かったのだろう。
イボイノシシは直線で逃げることを諦めて、左右ジグザグに走り、追うメスライオンにフェイントを仕掛けた。
その動きに見事な反射神経で対応したライオンの前脚の爪が、しっかりとイボイノシシの身体に引っ掛かった。
『捕まえた』
一緒に転がるイボイノシシとメスライオン、立ち上る土煙。
その瞬間、ほかのメスライオン達も周囲から襲い掛かって、成獣のイボイノシシを捕らえた。
その間に幼獣のイボイノシシ達は、母親を置いて逃げていく。
野生動物の本能で、咄嗟に逃げていったのだろう。
既に色々な物を食べられる時期なので、哺乳が無くても生きていける。
ライオン的には、一体の獲物を捕まえたので、ほかの獲物は無視である。
二兎追う者は一兎を得ずで、確実に一頭を捕まえるのが俺達の狩りだ。
『やった!』
獲物の捕獲を確認したミーナが、隠れていた茂みから駆け出していく。
俺とリオも弟妹を連れて、トコトコと現地に向かった。
子豚ならぬ子イノシシも食べたかったが、あまりに獲物が小さいと、俺の割り当てがほとんど残らないかもしれない。
味以前の問題で、食べる量として、成獣を捕まえるほうが良いかもしれない。
俺は、精霊魔法を巣穴に飛ばす狩りも可能だ。
だが群れの狩りの邪魔になるので、現在は自重している。
群れが充分に獲物を狩り、お腹が一杯になって木の下でゴロゴロと寝転んだ後であれば、遠慮は不要という認識だ。
『ねえ、スウちゃん達って、もうお肉を食べられるのかな』
併走するリオが、弟妹の小さな身体を見ながら、疑問を口にした。
俺達が、初めて肉を食べたのは、生後2ヵ月半だった。
そしてスウ達は、現時点で生後1ヵ月と3週間くらいである。
『あたし達の時は、もっと遅かったけど』
『まあ、大丈夫じゃないか』
動物園には、初めて肉を食べさせる動画を公開するところもある。
俺が前世で見た動画では、生後2ヵ月や3ヵ月で与えていた。
生後2ヵ月の子ライオンは食べ難そうにしていて、3ヵ月の子ライオンは大喜びで貪っており、時期としては2ヵ月半くらいが適切に思えた。
だが生後2ヵ月でも、肉に齧り付くことは、出来ていた。
『少し早い気もするけど、本人が食べたいなら、別に良いんじゃないか』
『お腹、壊さないかな』
『まだ舌で嘗め取るくらいしか出来ないだろうから、大して食べられないだろう』
俺達が食べるのは、飼育員が小さく切った肉ではなく、イボイノシシの成獣だ。
幼い弟妹では、皮膚を食い破れないだろうし、肉も噛み千切れない。
メスライオンが噛み裂いた肉をペロペロと嘗めるくらいが、関の山だろう。
切れ端は口にするかもしれないが、そのくらいなら消化できそうな気がする。
『さあ、お肉だぞ』
イボイノシシの元に駆け寄った俺は、弟妹を嗾けた。
6頭のメスライオン、アンポンタン、ギーアとミーナに群がられたイボイノシシは、既に息絶えて肉と化していた。
ライオン達は、引っ張り合いをしながら、肉を裂いて食べている。
四方から引っ張り合えば、マグロのように身体を開いて、身を出せるわけだ。
追い付いた弟妹は、1頭を除き、獲物に群がる大人達の身体に登って、肉へと向かっていった。
残ったのは案の定、一番小さなミカンである。
『まあ、ミカンにはまだ早いよなぁ』
「ミャオッ」
俺は立ち止まり、ミカンにミルクを与える事にした。
パッパと右前脚を払い、妹の口元に近付けた。
――空間収納。
ミカンも慣れたらしく、ゴクゴクとミルクを飲み始めた。
ちなみに俺達が肉を食べに行くことは、状況的に断念している。
『入り込む隙間が、まったく無い件について』
『イボイノシシ、小さいからね』
『確かに。イボイノシシを囲むのなら、詰めても8頭くらいが限界だな』
イボイノシシの腹部を食べるために囲むのであれば、6頭くらいが限界だ。
8頭とは、食べ難い頭部までグルリと囲んだ場合である。
俺達の群れは、獲物を引っ張り合って、身体を引き伸ばしている。
噛み裂かれた後ろ脚が外れており、それが離れた場所に運ばれて、辛うじて全頭が食らい付ける状況になっていた。
そんな中に群がっていったスウ達は、食べる真似を始めた。
イボイノシシの身体に触れ、臭いを嗅ぎ、舌で舐める。
それは食べるというよりも、肉に対する、ふれあい体験に近い行動だった。
『まだ早かったみたいね』
『そのようだな』
動物園が行っているライオンの飼育は、適切であったらしい。
つまり2ヵ月になる前の子ライオンには、肉は早いということだ。
それでも体験することには、意義があるだろう。
そんな風に思いながら、俺は隣のリオに、さり気なくスイギュウの肉を渡した。
























