51話 弟妹への先行投資
『そろそろ帰るか。ミーナが怒りそうだし』
『そうだね。ミーナもお腹が空いていると思うし』
腹一杯に食べた俺達は、スイギュウの巨体が横たわる穴から這い出した。
スイギュウの身体は、大部分が残っている。
ミーナとポンが満腹になるまで食べたとしても、到底食べ切れないだろう。
そしてポンに見せる以上、余っても俺は回収できない。
スイギュウが何処に行ったのかと不思議がり、群れに声を掛けて探し回って、面倒になるからだ。
俺の母ライオンは犯人を知っており、無言で圧を掛けてくるかもしれない。
大人のライオン達がジッと見詰めると、迫力が尋常ではない。
『皆にもあげるんだね』
『母ライオン達が食べないと、母乳が出なくて、弟妹が餓死するからな』
今は雨季なので、何種類かの草食動物が、ナワバリに入って来なくなる。
獲物が来なくなるので、メスライオン達は食料の確保に苦労する。
すでにリオやミーナは、空腹状態だった。
大人が食べられなくなると、母乳が出なくなって弟妹が餓死する。
あるいは弱い個体が栄養失調で小さく育ったり、脳に障害が出たりする。
俺はリオと並んで歩きながら、群れにスイギュウを提供する理由を話した。
『俺は弟妹を連れて行きたいから、丈夫に育ってもらうための先行投資だ』
つまり俺は、強い人材……ではなく猫材が、欲しいわけだ。
『育て過ぎて、俺やリオの体格を越えたら、序列争いが面倒だけど』
『レオンとあたしは、魔法を使えるから、負けないんじゃない?』
『そうだけど、見た目で勝てると思われたら、何度でも挑まれかねないぞ』
ギーアの行動を見るに、頭で考える理屈ではなく、本能で衝動的に挑んでくる。
それに対する言い聞かせは困難で、力で迎え撃つしかない。
今は良いが、群れを作った後、勝手に出て行かれると困る。
1頭ではなく、数頭で同時に出て行かれると、ナワバリの維持も大変になる。
『それにメスライオンにはリーダーが居て、群れで主導的になるだろう』
『確かに移動とか、狙う獲物とかは、リーダーが決めるけど』
『リオは精霊魔法を使えるから、精霊の索敵で、獲物や敵の位置が分かる』
『そうだね』
『リーダーはリオでないと困る』
俺やリオは、ほかのメスが下克上を試みても、付いていかない。
俺達が相手に従わない以上、相手も俺達に従わなければ、群れは分裂する。
そのため弟妹は、サバンナに名を残す最強の個体ではなく、俺達より弱くて、平均よりは少し上くらいに成長してくれると有り難いわけだ。
『それと、この時期に生まれた原因の一端が、俺達に無くもないと思っている。だからスイギュウを出したわけだ』
『あたし達が原因の一端って、どういうこと?』
俺の発言を聞き咎めたリオが、追及した。
『ライオンは、育児が終わると、次の子供を作る』
ライオンは、交尾によって排卵が促される周年繁殖の動物だ。
オスライオンは、前のオスを追い出して、子供を殺した後、交尾をする。
俺達の群れでは、2歳年上のエムイーとビスタの父親が、俺達と同じだ。
半年ほどの妊娠期間を含めると、3年ほどオスの交代が起こっていない。
メスライオンは、子育て中には発情しないが、子育てが終われば発情する。
つまりエムイーやビスタの子育て後が、本来の交尾のタイミングだった。
子育ては1年半ほどで、俺達の母ライオンが妊娠した頃、エムイーとビスタの母ライオン達は子育てを終えた。
だから通常なら、俺達が生まれた1ヵ月後くらいに、弟妹が誕生したはずだ。
『授乳期の兄姉が居ると、小さな弟妹は、ミルクの取り合いに負けて餓える。だから俺達の授乳時期と被らない時期にずらして、出産したのかもしれない』
兄姉が居た場合、体格的に負ける弟妹は、ミルクを飲めなくて餓える。
この時期に弟妹が生まれたのは、俺達の存在が原因だった可能性があるわけだ。
『そんなことするの?』
『メスライオンは、群れで排卵を同期させられる。自分で調整できるそうだ』
『へええ、そうなんだ』
『俺はメスライオンじゃないから、知らないけど』
俺は断言せずに言葉を濁した。
『俺達の存在が、不利な原因の一つかもしれないから、スイギュウを出した』
『これからも、あげるんだ?』
『在庫が少ないし、依存されても困るから、その時々で判断だな』
俺が空間収納に入れているスイギュウは、残り4頭分。
すぐに尽きるし、給餌に慣れた大人達が、狩りに行かなくなりかねない。
俺がブレンダに頼んでスイギュウを狩りまくれば、在庫の問題は解決する。
だが魔法を乱れ撃てば、スイギュウ達がナワバリから逃げ出すかもしれない。
すると俺達が去った後のナワバリでは、ろくに獲物を狩れなくなってしまう。
手を貸すにしても、バランスは大切だ。
『お母さん達も、魔法が使えたら良いのにね』
大人のメスライオン達が自前で獲物を狩れれば、確かに食料問題は解決する。
群れはサクサクと獲物を狩って、豊かな食生活を謳歌するだろう。
そんなリオの考えに、俺は渋い表情を浮かべた。
『お母さん達が精霊と契約することに、レオンは反対なの?』
『オスライオンが独立する時は、親から追い出されるパターンが大半だ。精霊魔法で撃たれたら、堪らないと思って』
『あー、それは魔法を持たないでほしいと思っても、仕方が無いね』
俺が火魔法で尻を焼かれる姿でも想像したのか、リオは楽しそうに笑った。
実際に起こり得る未来なので、勘弁願いたい。
『念のため補足するが、母ライオン達が火の精霊と契約したら、色々な危険がある』
『どんな危険があるの?』
『例えば、ハイエナを倒すための放火で、俺達が火の海に囲まれる事も有り得る』
『あー、それは危険だね』
俺が指摘した状況を想像したのか、リオは納得の表情を浮かべた。
火事で火傷や酸欠になれば、俺達は死んでしまいかねない。
母ライオン達の知能は、どれほど高く見積もっても、保育園児並だ。
保育園児に火炎放射器を持たせるのは、正気の沙汰ではない。
『乱獲で、獲物がナワバリから逃げるかもしれない。その場合、ナワバリを移動しないメスライオン達が餓死するか、他所のナワバリに入って大決戦になる』
『どっちも良くないね』
『ほかには、人間の家畜を狙って魔法を撃つかもしれない。すると脅威に感じた人間が、大規模なライオン狩りを始める恐れもある』
前世では、ライオンが人間の家畜を襲うことは、少なからずあった。
シマウマと街道を進む馬車の馬は、ライオンにとっては、どちらも食料だ。
精霊魔法を持たせる代わりに襲うなと言っても、餓えていれば襲う。
獲物を捕まえたライオンは、ほかの獲物を追わないので、人間達は逃げ切れる。
そして町に戻り、ライオンが精霊魔法を使ったと訴えて、最初は笑われる。
だが被害が何度も続けば、やがて討伐隊を派遣する流れになる。
討伐隊を迎撃しても、さらに大規模な討伐隊が派遣される。
人間を無計画に襲っていたら、群れごと討伐されるのは不可避だ。
『何をしでかすか、予想できない。俺やリオの常識は、通用しない』
『そっか、色々と困るね』
『だから母達に精霊と契約させるのは、ダメだ』
俺の説明を聞いたリオは、納得したようだった。
弟妹の守りや餓えの対策は、俺達で出来る。
母ライオン達に、精霊魔法を持たせる必然性は無い。
むしろ持たせると、デメリットしかない。
『ミーナが契約出来るタイミングがあっても、持たせたくないな』
そう語りつつ、俺達は弟妹の子守をするミーナ達のところに帰った。
ミーナは、起こしたポンと一緒に、ずっと俺達を待っていたらしい。
俺達の姿を視界に収めての第一声は、獣の呻り声であった。
「ガオオオッ」
『すまん』
餓えた猛獣に遅いと吠えられた俺は、素直に謝った。
「ガオオッ」
『あっちに置いてある。大きなスイギュウだ』
ミーナとポンは、互いに先を争うように、低木の合間を駆けていった。
























