05話 商人グンターと娘ヨハナ
「食料をやるが、手伝うのは2回にしろ。お前自身と母親の命が助かる分だ」
食料をくれという要求に対して、大人の男が条件を提示した。
交渉が可能なライオン、あるいは土魔法や光魔法が使えること。それらの何が評価されたのかは定かではないが、取引は成立するらしい。
『分かった。肉で、手伝う』
俺は、取引に応じる旨を伝えた。
何しろ肉の確保は、現状における死活問題である。
自分の命と比べれば、2回手伝うくらいは、安いものであろう。手伝う程度も示していないし、俺にとっては好条件だ。
男は頷き、後ろに庇っていた子供の女に言い聞かせた。
「ヨハナ、言うなよ」
「分かったよ、お父さん。でもライオンって、古代魔法まで使えるんだね」
どうやら大人の男と子供の女は、親子であるらしい。
娘のヨハナがライオンの能力について尋ねると、父親は即座に否定した。
「そんな訳があるか」
当たり前である。
人間なら、保育園児がお店屋さんごっこをして、ようやく取引を理解できる。
それが生後一ヵ月で可能なら、ライオンは人類より高度な文明を築けてしまう。
すると二千年後、ライオン文明の動物園に、人間側が入ることになりかねない。
『お父さん、見て、ホモ・サピエンスだって!』
『あまり近付いてはいけないよ。サピエンスは野蛮で、近付くと罵倒するからね』
『えっ、何て言うの?』
『この程度の小説なんて、小学生でも書けるんですけど? とか言うんだ』
『嘘だー、そんな酷いこと、絶対に言わないよ。きっとブクマして、ポイントもくれるよ』
ホモ・サピエンスの知性が、いま試されている。
もっともライオンのモフモフとした前脚では、高度文明の成立は、困難かもしれないが。
「神界から落ちてきた神獣とか、そういう類いのライオンだろう」
「そんなことって、あるんだ」
「これだけ話せて、古代魔法まで使っている。普通のライオンであるわけがない」
「そうなの?」
『分からない。そうかもしれない』
転生前に天使と会った空間は、天界になるのだろうか。
迷った俺は、曖昧に答えた。
「そうだろうと思った。よし、こっちだ。付いてこい」
男が促してきたので、俺は男の後ろをトコトコと歩き始める。
すると生後1ヵ月のライオンの速度が遅すぎたのか、隣を歩くヨハナに抱き抱えられた。
「連れて行ってあげるね」
「ミャオッ」
ここまで結構歩いたので、抱えてくれるのは非常に助かる。
俺から見て巨人のヨハナは、10歳前後だろうか。
銀色の髪をしており、瞳の色は青い。
服装はエプロンドレスだが、それは中世前期(5世紀から10世紀)にも存在したので、文明の度合いは分からない。
なお大人の男が身に付けている剣や皮鎧も、せいぜい中世レベルだ。
俺の希望は、なるべく前時代であることだ。
中世前期までなら、西洋でクロスボウが使われておらず、俺の安全性は高まる。
ただし原始的すぎると、ライオンに危険な部族が出そうなので、程々が助かる。
ライオンを狩る風習を持ったマサイ族の戦士は、俺達にとって危険の代名詞だ。
奴等はクロスボウが無くても、単体ですらライオンを狩れてしまう。
人類最強の身体能力がE+とは、一体何だったのか。
等級が1つ上がるごとに2倍差があるとすれば、マサイ族と俺達ライオンには、圧倒的な戦力差があるはずだ。
マサイ族だけ、人類とは評価を別枠にしたほうが良いのではないだろうか。
あるいはマサイ族の槍、マサイソード、棍棒が、強すぎるのかもしれない。
――男らしく素手で来い。
ライオン狩りで強さを証明する部族は、容赦願いたい。
狩りたいのなら、ハイエナの群れをお勧めする。
そちらのほうが、きっと凄いはずである。
そんな妄想していると、前を歩く男が、抱えられる俺に話し掛けてきた。
「俺の名前はグンターだ。お前は、名前が有るか」
『レオン』
「そうか。だったらレオン、お前が借りを返す相手は、俺か娘のヨハナだ。覚えておけ」
『グンター、ヨハナ、覚えた』
グンターが名前を名乗ったのは、借りを返させるためであるらしい。
流石に踏み倒そうとは思っていなかった俺は、素直に肯定した。
「俺は交易商人で、何台かの荷馬車で、荷物を運んでいる。分かるか?」
『商品を運んで、売る』
「そうだ。だから、お前に借りを返してもらう機会は、あると思ったわけだ」
『2回、返す』
「そうしてくれ」
俺が理解力の低い回答をしているのは、意図してのことだ。
賢すぎるライオンは、警戒の対象になる。
俺は相手に不安を抱かせないように、程々の知能を演じたのだ。
子猫のように抱えられている現状では、恐れなど皆無かもしれないが。
しばらく運ばれていくと、やがて灰褐色の巨体が横たわる場所に案内された。
――でかっ!
それは、スイギュウ以上の力を持つクロサイの死体だった。
サイには、シロサイ、クロサイ、インドサイ、スマトラサイなど、複数の種類が存在する。
その中でもシロサイとクロサイは、よく対比される。
シロサイとクロサイとでは、シロサイのほうが倍ほど大きい
性格は、シロサイが温厚でクロサイが狂暴だといわれる。クロサイは、相手に向かって突進することもあるからだ。
クロサイは、ヒグマやナイルワニにも匹敵する強さを持っている。
もちろんオスのライオンよりも強くて、単独で挑んではいけない相手だ。
分厚い皮膚には、無数の傷があって、剣と槍で大人数から攻撃されたのだと想像できる。
身体能力がE+の人間で、クロサイを狩れることに、俺は恐ろしさを感じた。
『これを倒したのか。人間、強い』
「血の臭いに引かれて猛獣が来るから、俺達は去る。こいつはお前にやる。親を連れてくるなら、早くしたほうが良い」
『分かった』
ヨハナに降ろしてもらった俺は、クロサイのところまで、トコトコと歩いた。
そしてクロサイに触れて、祝福の空間収納で、クロサイをコンテナに放り込むイメージをする。
『空間収納』
俺がイメージした瞬間、クロサイが瞬時に消え失せた。
すると俺の挙動を見守っていたグンターとヨハナの親子が、驚きの声を上げた。
「うええぇっ?」
「おい、何をやったんだ!」
『収納した』
俺が二人に伝えたとおり、クロサイが横たわっていた場は開けて、巨体から流れ出た血溜まりだけが残っている。
その光景をしばらく眺めたグンターが、静かな口調で尋ねてきた。
「馬車の荷も、収納できるんじゃないか」
『母、死ぬ。今、無理』
「お父さん、駄目だよ。商人でしょう。取引したでしょう」
母親を理由に挙げたところ、ヨハナが俺の味方に回り、グンターに抗議した。
するとグンターは、娘の猛攻に気圧される。
――ヨハナに母親が同行していないのは、何かあったのかな。
母親が亡くなっているとすれば、ヨハナの父親に対する抗議は、効果絶大だ。
子供がヨハナだけで、目先の利益で娘の信頼を失う場合、利に聡い商人でも躊躇うに違いない。孫を抱っこさせてあげないよと言われれば、お爺ちゃんは大ピンチである。
やはり猫の振りをしておいたのは、正解であった。
『母、怪我した。俺、帰りたい』
「お前、実は賢いだろ?」
少々やり過ぎたのか、グンターが鋭い指摘をしてきた。
俺はやむを得ず、ヨハナの足元に身体を擦り付ける。
『ヨハナ、助けて』
「お父さん!」
「てめぇ、絶対賢いな」
幸いにして人間は、ライオンの顔色など見分けられない。
シラを切って、うにゃーんとヨハナに身体を擦り付けていたところ、ヨハナの手が俺の背中を撫で始めた。
そうなると状況は、完全に有利である。
なぜなら人間の娘は、子ライオンのモフモフなる魅了からは、逃れられない。
俺は好きなだけモフらせる代わりに、ヨハナを代理弁護人として押し立てた。
「ヨハナ、騙されるな。こいつは賢い魔物だ」
「お父さんは、古代魔法を使えるから神界から落ちてきた神獣のライオンだって、言ったよね。神界の生き物は、魔物じゃないよね」
「とにかく、こいつは賢いんだ」
「だから何。クロサイをあげる代わりに2回助けてくれるって、取引したでしょ」
「いや……」
「商品を渡した後に、取引の条件を変えるのは、犯罪!」
いいぞ、もっとやれと、俺は心の中でヨハナを応援した。
10歳前後の少女に論破される大人、ざまぁである。
――2回分は、なるべくヨハナを助けてやろう。
手伝う度合いは細かく決めていないが、ヨハナの頼みであれば、ハイエナの群れを追い散らすくらいは頑張る所存だ。
逆にグンターであれば、まあ、うーんである。
「はあ、しかたがない。恩に着て、ちゃんと借りを返せよ」
『取引は守る。ヨハナ、助ける』
「手伝う対象は、俺か、ヨハナだ」
『分かった。ヨハナ、助ける』
グンターの抗議を聞き流した俺は、本日11度目と12度目の魔法を行使した。
『ゼンダー、ゼンダー』(発信器、発信器)
俺は、土魔法で目印の魔法を籠めた石を2個作成して、ヨハナに渡した。
「古代の土魔法か。どういう効果があるんだ」
『魔力を籠めた。3年、保つ。俺、見つけられる』
「3年経ったら、どうなるんだ」
『それまでに、会いに行く。その時に、新しいのと交換する』
オスライオンが群れから追い出されるのは、生後2年から3年の間が多い。
遅くとも3年以内には、俺は群れから追い出されて、自由に動いている。
この辺りを通る交易商人であるならば、俺は2人と確実に会えるだろう。
『ヨハナ、水場、教えて』
「おい、それは別口じゃないか」
「ミャオッ」
「あっちの方向だよ。連れて行ってあげるね」
グンターの交渉を遮って、ヨハナが俺を抱き抱えてくれた。
なお空間収納で水を回収したところ、いきなり水場を奪われたジャッカルが、キレていた。