48話 港町ビンゲン
マルデブルク王国は、国土の大半を海と大河に囲まれた半島国家だ。
交易に占める海上輸送の割合は高く、海に面した多くの町には、キャラベル船が停泊できる港が作られている。
辺境伯領の西にある港町ビンゲンも、王国に多くある港町の1つだ。
そんな港町の沖合に異常が観測されたのは、まだ薄暗い早朝だった。
「やはり精霊の複合魔法は、強力ですね」
そう告げた辺境伯夫人の周囲は、二隻の帆船ごと、濃い霧に包まれていた。
海上の霧は、暖かく湿った空気が、冷たい海面に触れて生じる。そして火と風と水精霊の力があれば、暖かく湿った空気を、冷たい海面に触れさせられる。
異常発生した霧に姿を隠した船は、ゆっくりと港町ビンゲンに迫っていった。
霧の高さは、船を覆い隠すほどに高い。
それは騎馬兵が、土煙を上げながら迫る様を想起させた。
「お父さん。ビンゲンの獣人達は、味方の船だと思わないの?」
「マルデブルク王国と、獣人が支配した元クラクフ王国の船は、少し形が違う」
「そうなんだ」
グンターの説明を聞いたヨハナは、乗っている船を見渡しながら感心した。
だから俺達は、獣人の船が入港予定だった港に、船影を隠して迫っている。
今回の行動は、昨日の海戦の仕上げのようなものだ。
敵船団が入港予定の港には、物資を受け取る獣人の2個大隊が待っている。
そこに船で近付いて、安全な海上から、精霊で一方的に攻撃するのが目的だ。
――俺とリオの精霊契約で、2回分だからな。
昨日の海上戦は、俺の精霊契約を手伝ってもらった分の返済だ。
そして今日の戦いは、リオの精霊契約を手伝ってもらった返済になる
海戦は楽で、借りに釣り合っていたのか微妙な気がしなくもない。
だから今後の手伝いで、多少の調整するのも吝かではないと思っている。
さしあたっては、リオを手伝ってもらった分の返済である。
「この辺りで良いでしょう。陸では追ってくる獣人も、海上は走れませんからね」
船団を停船させた辺境伯夫人は、口角を釣り上げて笑みを浮かべた。
嫁いだ辺境伯領が獣人帝国に襲われて、よほど鬱憤が溜まっていたらしい。
「お祖母様、上級精霊は、また力を貸してくれますの?」
「昨日、説明したでしょう。このブローチには、上級精霊の力が籠められています。わたくしが辺境伯家に入った時、先代の辺境伯夫人から継承したのです」
辺境伯夫人は、クラーラに黄色い宝石が嵌め込まれたブローチを見せた。
「辺境伯家が危ない時に使いなさいと、言われたのです。まだ少しだけ力が残っている気がしますから、試してみます。ダメだったら、仕方がありません」
謎の上級精霊の力は、そのように説明された。
次回以降も協力する場合、まだ少し力が残っていたとか、意外に力が残っていたとか、適当な理由が付けられる。
ちなみに先代の辺境伯夫人は、故人である。
「始めますよ。獣人を蹴散らして、物資を焼きなさい。遠慮は不要です」
最後の一言は、港町ビンゲンが、辺境伯領の一部だからだろう。
だが今は、獣人の2個大隊の拠点にされている。
放置すれば辺境伯領を落とされ、マルデブルク王国に侵攻される。
獣人に支配された人間が残って従っているとしても、焼くのが正しい。
こうならないように努めるのが為政者だろうと言われても、相手は人間ではなく獣人だ。
山から熊が降りて来た時、熊と外交していないと責められても困る。
熊に捕まり、山小屋で餌を与えている人間が居た場合、熊を追い出すために山小屋を焼いても仕方が無いというのが、辺境伯夫人の言い分だ。
熊と動物保護団体は怒るかもしれないが、俺的には、辺境伯夫人を支持したい。
『召喚・中級火精霊』
『召喚・中級風精霊』
契約者の求めに応じて、3体の火精霊と、5体の風精霊が姿を現した。
風精霊を出したのは、ヨハナの祖母、祖母の甥、甥の息子、侯爵家の子供2人。
ヨハナが活躍して、立会人の仕事を終えた準男爵と息子が、参戦したのだ。
「水精霊は、船の護衛と退却のために、残しておきなさい。それでは行きなさい」
辺境伯夫人が告げると、各々が契約している精霊に対して指示を出した。
すると精霊達はハヤブサに姿を変じて、港に向かって飛翔を始める。
そんな8羽のすぐ傍に、9羽目のイヌワシが混ざった。
「現れましたわ!」
「まだ力は残っていたようですね」
いけしゃあしゃあと宣う辺境伯夫人に、流石は貴族と、俺は苦笑した。
バサバサと羽ばたいたイヌワシは、ハヤブサ達と並んで飛んでいく。
精霊達が向かった港町では、灯台に火が灯った。
カンカンと警鐘が鳴り響き、占拠された港の家々から、獣人が飛び出してくる。
――早い。もう見つかった。
最初に飛び出した獣人達は、夜番でもしていた当直の戦士達だろうか。
飛び出した段階で武装しており、叫びながら、続々と集結していく。
獣人達の対応力を観察した辺境伯夫人が、冷静に評した。
「あれは、居ますね」
「お祖母様、一体何が居ますの」
「2体の大隊長です。紅眼のダグラスと、金狼の娘イリーナ」
「金狼というのは、王国を攻めている獣人帝国の第四軍団長ですわよね」
「そのとおりです。ここで殺したいですね」
最後の一言は、ボソリと呟かれた。
その間も飛翔を続けた精霊達が、集結した獣人達の中心に突っ込んでいった。
そしてバアンッと、強い衝撃音が響いた。
「戦闘、開始しました」
赤い炎が、激しく吹き上がった。
大慌ての獣人達が、武器を振るってイヌワシとハヤブサを撃墜しようとする。
それらの攻撃を縫うように飛び回りながら、精霊達は獣人達と争った。
「同士討ちになるでしょうから、矢は射れませんね」
獣人達は、間近に迫った精霊達に向かって剣を振う。
だが実体を持たず、魔素で顕現する精霊に対して、どれだけ効果があるのか。
その場で火を打ち払っても、契約者が魔力を使って再召喚すれば、復活する。
もっとも人類は、最低限の魔力で精霊と契約している。
そのためハヤブサを一度打ち払えば、しばらく出てこないかもしれないが。
獣人側は、抜本的な解決策を求めたのだろう。
港にある小舟を使って、沖に人員を出し始めた。
精霊を召喚している人間を殺そうというのは、真っ当な判断だ。
「カール、ブルーナ、水精霊で阻止なさい」
「「はい、お祖母様」」
水精霊を待機させていた孫2人が、小舟を水流で押して、港に押し返した。
乗り込んだ獣人達は、櫂を使って、必死に漕ぐ。
水流と、櫂で船を漕ぐ力が釣り合ったところで、水精霊が小舟の向きを変えた。
獣人達が必死に漕いでも、小舟の方向が真逆なら、反対方向に進んでしまう。
獣人達が一生懸命に小舟の進路を戻そうとすると、水精霊が反転を手伝って、勢い余った小舟がグルリと回転した。
――あれって、遊ばれていないか。
精霊達は、最低限の労働をしている。
だが自分達が遊ぶ時は、力を入れるのかもしれない。
遊ばれた獣人達は櫂で水を叩いたが、それを水精霊に水で掴まれて、引っ張って取り上げられた。
櫂を失った小舟は、海を流されていく。
獣人達は、小舟の上で呆然と立ち尽くしていた。
程々に獣人達を焼き、適度に切り裂いたハヤブサ達は、撤収を始める。
ブレンダだけは、暴れ回るアフリカゾウの如く、獣人達を蹴散らしていた。
「そろそろ魔力切れですね。引き上げますよ」
「了解しました。船団、撤退します」
自身の中級精霊が反転したのを見た辺境伯夫人は、撤退の指示を出した。
ブレンダは残っているが、時間の問題だと判断したのかもしれない。
それに応じた乗組員が、帆を動かして進路を変えていく。
「お祖母様、獣人達は残っていますけれど」
「味方の船団を撃沈されて、海上から精霊で攻撃されたのです。獣人の大隊は、港町ビンゲンから撤退するしかありません。封鎖を解く目的は、達成しました」
「どうして、そうなりますの」
「今後は、海から一方的に削られますよ。別に居たければ、2個大隊が削られて消滅するまで居座ってくれても、一向に構いませんが」
「そういうことですのね」
辺境伯夫人とクラーラは笑い合った。
「大戦果でしたわね」
「ええ、敵の高速輸送船団を潰せたし、ヨハナは敵の中級精霊を1体落として、後方の獣人大隊に打撃を与えられたわ」
そう評した辺境伯夫人は、一瞬だけ残念そうな表情を浮かべた。
――ヨハナとクラーラの差かな。
ヨハナは充分な活躍をしたが、積極的に前に出たりはしなかった。
辺境伯家を継ぐのなら、領地運営での自己主張や、他家との折衝も必要だ。
その点では、クラーラのほうが素質を見せている。
もっとも俺から見れば、侯爵家令嬢クラーラと、下級貴族の娘ヨハナとでは、身分差が有り過ぎて、ヨハナが控えめにならざるを得なかったように思える。
優しいヨハナは、父親の立場も慮っているのだ。
ヨハナが侯爵家令嬢だったら、堂々としていたかもしれない。
――とりあえず帰るか。
凱旋するグンター達は、宴から抜け出して、俺を家に帰してくれるだろうか。
このままだと弟妹が群れに合流する時、俺だけ居ない事態になりかねない。
そんな事を悩みながら、俺は元気に暴れるブレンダに、撤収を伝えた。
























