45話 餌を与えたら懐いた
「ヨハナの精霊のお披露目を建前に、獣人の高速輸送船を撃破する計画がある」
『高速輸送船?』
「あー、船って分かるか」
ライオンの俺を見て、グンターは心配そうに尋ねた。
もちろん俺は、船については知っている。
真っ先に想像したのは、エンジンでスクリューを動かして進む21世紀の船だ。
石炭で動く蒸気船、風を受けて走る帆船、手で漕ぐガレー船も思い描ける。
俺が分からないのは、中世初期っぽい世界で、獣人が運用する船の技術だ。
『船とは、水に浮いて、人と物を運ぶ乗り物だろう』
「そのとおりだ」
俺の確認に、グンターは安堵の表情を浮かべた。
――中世だと、ヴァイキングのロングシップかな。
ノルウェーのヴァイキングは、10世紀までにヨーロッパ大陸のみならず、アフリカ大陸や、アメリカ大陸のニューファンドランド島まで到達した。
中世で到達できる造船と操船の技術は、その辺りが限界だろう。
だが過去に転生者が存在する場合、予想は困難となる。
さらに今回の場合、獣人が船を運用している。
前世に存在しなかった獣人が運用する船の技術レベルを正確に予想するのは、獣人の知識が乏しい俺には難しい。
『その船は、帆を張って、オールで漕ぐのか?』
「軍が使う高速輸送船は、オールを使わなくて、帆で風を受けて進む船だ」
『その帆船は、マストが何本で、最大で何人が乗れるんだ』
「3本で、50人くらいと荷だな」
グンターの説明から、俺は中世後期の小型帆船であるキャラベル船を想像した。
キャラベル船は、1492年にコロンブスが、約100名の乗組員を連れて、スペインからアメリカ大陸に渡った際に乗った3隻のうち2隻でもある。
風精霊の存在が理由の1つなのか、造船技術は、俺の想像よりも進んでいた。
『船は想像できる。話を続けてくれ』
「前に辺境伯領が、獣人の2個大隊に後方を押さえられた話は、したよな」
『覚えている。だからクロサイの対価で、俺が荷を運んだ。大隊長も1人倒した』
「そうだ。その話だ」
グンターは、地面に地図を広げた。
「獣人帝国が支配する港町サモーラから、辺境伯領の後方に、輸送船が兵員と物資を運んでいる。そのため辺境伯領は、孤立中だ」
『ふむ』
「領都エアランゲンは、城塞が強固で落とせない。獣人は、兵糧攻めをしている」
『獣人は、ハイエナよりも賢いな』
そのように評価すると、グンターは声を上げて笑った。
獣人がハイエナくらいの知能であれば、楽だったとでも思ったのだろうか。
「それで辺境伯夫人の実家であるハイルブロン公爵領や、マルデブルク王国は、獣人側の輸送船を破壊しようと、軍船を出している」
『人間側も、反撃しているんだな』
「だが獣人は、支配した国の元貴族に精霊魔法を使わせて、応戦したり、追い風で逃げたりする。そのせいで、獣人側の高速輸送船を沈没させられない」
『獣人自身は、精霊魔法を使わないのか?』
「使えない。あいつらは、力の強さが序列の連中だ。そして力とは、身体能力だ」
『それは実に獣らしい考えだ』
獣人が力を優先するようになった理由について、俺は氷河期を想像した。
地球では1万年前に終わった氷河期の最中は、食糧事情が過酷だった。
植物が育たなければ、草食動物が増えず、肉食動物も育たない。
そのような過酷な環境を生き抜くために、獣人の場合は、狩猟能力の高さが求められたのではないだろうか。
――獣人の生存戦略は、間違いじゃないな。
人間の国は、高魔力の血統を優遇して、一部が魔力に秀でた。
獣人の国は、高い身体能力を優遇して、種族的に身体能力に秀でた。
その結果、人間は8人がかりで、獣人1人と互角の身体能力になった。一般人は魔法を使えず、貴族が獣人と互角、上級貴族が獣人に勝る力を得ている。
人間の集団1000人と、獣人の集団200人が戦えば、獣人が勝つだろう。
あとは食料生産力と種族の繁殖力が分かれば、人類と獣人の勝敗が見えてくる。
食料生産力は、支配した人類国家の人間に作らせれば良い。獣人が肉食なら、大量の家畜を飼わせれば良いだけだ。
繁殖力に関しては、完全に想像だが、獣人が人間に劣るようには思えない。
東で人類国家を支配している現状を見るに、獣人の生存戦略は成功している。
『支配された人類国家の元貴族達は、どうして人間相手に魔法を使うんだ』
「家族を人質に取られている。俺がヨハナを人質に取られるようなものだ」
『それは、どうにもならないな』
以前グンターは、妻が病気で死んだと言っていた。
子供はヨハナ1人だけのようで、ヨハナに関するグンターの優先順位は高い。
獣人に「従軍か、お前の娘の死か」と脅されれば、見捨てるのは難しい。
他国の人間よりも、自分の娘が大切であろう。
はたして子供達は、どうなるのだろうか。
殺せば脅迫が成立しなくなるので、殺したりはしないかもしれない。
だが自由にすると逃げるので、町で普通の生活は送れないかもしれない。
「唯一の慰めは、被支配国の人間で、新たに精霊契約者が居ないことだな」
『どうして契約が出来ないんだ?』
「知らん」
『脅迫されての契約は無効だと、一律で判断したのかな』
脅迫されての契約は、前世の日本では、無効だった。
獣人に支配されている状態での契約は、無効と判断されるのかもしれない。
その場合、被支配国の元上級貴族達が精霊魔法を使えているのは、脅迫される前に契約が成立しているからだろう。
「相手には同情するが、どうにもならん。戦場で会えば、敵として倒すしかない」
『理解した。それで今回は、ヨハナの精霊のお披露目を建前に、獣人の高速輸送船を撃破だそうだが。俺の役割は、同行して、上級精霊を使うことか』
「そうだ。1週間前、辺境伯が自分の娘達に、ヨハナが中級精霊と契約したことを知らせた。公爵領に辺境伯の娘と、中級精霊と契約した子供達が集まる予定だ」
グンターは、地図に描かれたハイルブロン公爵領を指で差した。
「そこから軍船で、港町サモーラに向かい侵攻する。辺境伯家と縁のある貴族達が立ち会いの下、ヨハナが途中で遭遇する獣人の軍船に、中級精霊で攻撃する」
『すると、どうなるんだ』
「上級貴族の魔力を持ち、王国のために戦った。辺境伯家の継承資格が生じる」
『なるほどな』
領民のために身を張って戦うのは、立派なことだ。
ヨハナの祖父母である辺境伯夫妻も、領都エアランゲンが襲撃された時は、中級精霊を使って戦った。
貴族が統治する大義名分が成り立つし、領主に守られた領民も、領主の統治を支持しそうだ。
「今回は、普段は乗船しない上級貴族が多く乗る。そこで、お前にも協力してもらって、確実に敵船を潰したい。それが辺境伯夫妻の希望だ」
『分かった。ブレンダには、契約者が分からないように戦ってもらう』
人間は、精霊と意思疎通が出来ない。
そのため人間は、自分の精霊に、「あの精霊の契約者は誰だ」と聞けない。
精霊側は人間の言葉を解するが、最低賃金ならぬ最低魔力で契約しているので、精霊から積極的には協力してくれない。
最低賃金のバイトで、サービス残業までさせられたくないわけだ。
『ライオンを連れて行って、大丈夫なのか』
「俺達が乗船するのは、エアランゲン辺境伯家の船だ。そして船には、エアランゲン辺境伯夫人も乗る」
『それはヨハナの伯母達も、荷物に文句を付けられないな』
船主の辺境伯夫人が是と言えば、辺境伯家の積み荷に文句は付けられない。
それにヨハナの伯母達は、エアランゲン辺境伯夫人の娘である。
母親のほうが、娘よりも精神的に優位だろう。
貴族の立場的にも、公爵家出身の祖母は、辺境伯家出身の伯母よりも強そうだ。
嫁入り先が公爵家だと、社会的立場は入れ替わるかもしれない。だが公爵であろうとも、義理の母に対して居丈高には振る舞えない。
「レオンは、ヨハナが餌を与えたら懐いたライオン、という役で頼む」
『あながち間違いではないな』
呆れて答えた俺の頭を、ヨハナが嬉しそうに撫でた。
























