37話 0.1歩の前進
ナワバリの中心に戻って、5日ほどが経った。
弟と妹が順調に生まれていれば、生後20日ほどが経過した頃だ。
合流には未だ早いが、群れはナワバリの中心付近で、待つことにしたらしい。
狭い範囲を移動しながら、適当に草食動物を狩って、のんびり過ごしていた。
そんな中、街道沿いに、発信器の魔法を掛けた石の反応があった。
その石を持っているのは、俺が今世で取引をした交易商人、グンターとヨハナの親子である。
俺はアカシアの木の下で休む母ライオンに、一声掛けた。
『ちょっと出かけてくる。7日以内に戻る』
母ライオンが金色の瞳で、ジッと見つめてくる。
俺は、大丈夫だという思いを込めて見詰め返した後、立ち上がった。
『レオン、何処に行くの』
『クロサイを取引した交易商人のところだ』
リオには、交易商人と言っても伝わるだろう。
そんな予感と共に告げたところ、リオから予想外の言葉が返ってきた。
『あたしも行く』
『どうしてだ』
『見てみたいし』
前世が人間だから、今世の人間に興味を持ったのだろうか。
危険度を考えた俺は、グンターとヨハナなら大丈夫だろうと判断した。
グンターなら、新たに取引して、俺を利用することを考える。
ヨハナは、道理が分かるし、俺の猫の振りも効果抜群だ。
そして人間以外であれば、土魔法で地面に落とせば大丈夫だろう。
『まあ良いが、獣が寄り難い街道沿いとはいえ、俺から離れるなよ』
『うん、分かった』
リオが立ち上がったのに合せて、ミーナも立ち上がった。
そして母ライオンにライオンパンチをされて、ミーナは横に転がされた。
『えー、行きたい』
「ガウッ」
どうやらミーナは、ダメらしい。
俺の許可は今更として、リオが良くてミーナがダメな理由は、何だろう。
ミーナが実の娘で、リオが従姉妹の娘だからなのか。
それともリオのほうが、ミーナよりも大きいからか。
独立する子供のメスライオンの選別なのか。
息子のデートを応援してくれるのであれば、今世の母を尊敬するかもしれない。
いずれにせよリオの実母は死んでおり、代わりにミルクを与えた母ライオンが止めない以上、ほかのライオン達も制止しなかった。
『すまんなミーナ。母と一緒にいてくれ』
『行きたーい』
『ごめんねミーナ』
「ガルルルッ」
不満そうに呻る妹を置き去りにして、俺とリオは街道へと向かった。
生後1ヵ月の俺が移動できたので、街道までは、それほど遠くない。
街道の一方はグンターの実家であるカッセル男爵領に繋がっており、もう一方は物資の輸入先である西方の他国に繋がっている。
獣人が東方から侵攻しており、西方の人間国家が迎撃で協力している。
そしてグンターは、街道を通って物資を運ぶ仕事をしている。
――今は、男爵領と辺境伯領の間を封鎖されているけど。
そのためグンターは、他国から男爵領までしか、荷を運べない。
つまり俺がグンターに出会う頻度は、エアランゲン辺境伯領への街道が無事だった頃に比べて、上がっている。
ヨハナに近い体重のライオンまで成長した俺は、軽々と歩いて、馬車を止めて休憩していたグンター達の下へと辿り着いた。
『グンター、ヨハナ』
俺の鳴き声を聞いたグンターは、振り返って片手を上げた。
「ようレオン、久しぶりだな。後ろのライオンは?」
『俺の又従兄妹で、将来の嫁だ』
俺の紹介を聞いたリオが、前脚でべシッと俺を叩いた。
「おいヨハナ、レオンが彼女を連れて来たぞ」
「えええええっ?」
荷馬車から子供の声が上がり、ヨハナが飛び出してきた。
そして自分よりも小さいリオを見て、目を輝かせる。
『リオ、噛んだら駄目だぞ』
『あたしを何だと思っているの。理由もなく噛まないわよ』
『そうか。男がグンターで、女の子が娘のヨハナだ。グンターは交易商人で、荷物を運んでいる。俺はクロサイの取引をした』
『ふーん、そうなんだ』
『ヨハナは良い子だ。グンターが欲を出しても、ちゃんと止めてくれる。頼るならヨハナだ』
「おいレオン、お前の言葉は、全部聞こえているぞ」
言語翻訳の祝福が、俺の言葉の同時通訳を行ったらしい。
後ろ暗いことは話しておらず、説明の手間も省けたので、別に構わないが。
『グンター、2頭目のスイギュウを切ってくれ。以前のスイギュウを食べ切ったわけではないが、予備の食料を作っておく。リオは、ヨハナと遊んでいてくれ』
ヨハナは、お姉ちゃん振りたいお年頃だ。
そんなヨハナを立てて、俺は遊んであげる側がどちらとは言わなかった。
人間の言葉を発声できないライオンのリオは、代わりにヨハナの足元へトコトコと寄っていき、撫でやすい位置で立ち止まった。
『ヨハナ、リオは賢くて噛まないから、撫でてみてくれ。優しく頼む』
「うん、じゃあ触るね」
ヨハナは小さな手で、リオの背中を撫で始めた。
リオは尻尾をペシペシと振って、ヨハナの手の動きに反応を示す。
その様子をしばらく注視していたグンターは、やがて安心したのか、俺に話を持ち込んだ。
「血の臭いで獣が寄ってくるから、スイギュウを切るのは最後だ。先に話がある」
『なんだ』
「取引だ。お前は、土と光の古代魔法を使えるが、火は使えないよな?」
『そうだ』
「だったら、火の精霊と契約して、火魔法を使えるようにならないか」
そう告げたグンターが、右の掌を上に向けて、召喚魔法を唱えた。
『召喚・下級火精霊』
グンターの掌に、赤い光点が浮かび上がった。
それはフワフワと漂った後、2枚の羽を持つ妖精の形に変化していった。
世界に顕現した妖精は、俺をジッと見つめてくる。
「これが火の精霊だ。俺は下級精霊と契約しているが、辺境伯は中級精霊と契約している。その力は見ただろう」
『1体でライオンくらい強くて、しかも自在に飛び回っていたな』
「そうだ。精霊は、人間としか契約しないわけではない」
『ほう』
「ヨハナが精霊と契約しに行く時期だが、お前に火の精霊との契約を試みる機会を作る代わりに、こちらも手伝ってほしい。どうだ」
『なるほど。ちょっと考えるから、待て』
俺は目の前の火精霊を眺めながら、是非について考えた。
タダで契約を試させてくれるのであれば、ぜひ頼みたいところだ。
――食事には火を使わないけど、戦いには使うだろうからな。
辺境伯夫妻の魔法を見た限り、中級精霊は、オスライオン1頭の力に相当する。
しかも城の上から、1キロメートルは離れた戦場の敵を倒していた。
精霊は意思を持ち、精霊同士で会話もしており、自律行動まで出来る。
つまり俺が群れから独立した後、安全な場所から他所の群れのオスライオンを倒したり、攻めてくるオスライオンを迎撃したりする力を手に入れられる。
それは欲しいと思うに、決まっている。
問題は、これが取引で、釣り合う手伝いを求められるということだ。
俺が想定するのは、人類と獣人帝国との戦争への加担だ。「獲得した魔法で、獣人を焼け」と言われる可能性は、少なからずある。
古代魔法の使い手として、中級精霊との契約、あわよくば上級精霊との契約を期待されているのだろうとも考える。
精霊と契約させる代わりに、その精霊で貢献しろというのは、不当ではない。
契約に失敗しても、荷運びをさせれば、投資するグンターに損は無い。
それを踏まえて、受けるか否かだ。
『普通に欲しいな。何日掛かる?』
「7日以内に済む。男爵領でヒッポグリフに乗り、目的地に飛んでいく流れだ」
『お前が求めるのは、辺境伯領の戦況改善だろうが、命が危ない仕事は無理だ。城の上から、火の精霊魔法を撃っていた前回の戦いは、俺の好みだ』
「安心しろ。お前を連れて行く俺だって、死にたくはない」
『それもそうか。だったら受けよう』
俺とグンターの交渉は妥結した。
この後は、リオを群れまで送り届けてから、再び合流だろう。
『リオ、すまないが用事が出来た。一度群れに戻ろう』
『レオン、あたしも一緒に行くから』
『……うん?』
『レオンの話、聞こえていたから』
俺は、言語翻訳の祝福を持っている。
そのため俺の言葉は相手に伝わるし、相手の言葉も俺は理解できる。
グンターと話していた俺の言葉は、すべてリオに伝わったわけだ。
グンターの言葉はリオに伝わっていないはずだが、俺の言葉だけでも交渉内容を想像できたかもしれない。
――あるいはグンターの話し言葉が、そもそも日本語なのかな。
言語翻訳の祝福を持つ俺には、グンターの言葉が日本語に聞こえる。
だがそもそも、グンターは日本語を使っているのかもしれない。
この世界には、小説投稿サイトを読んでいた転生者がいる。
古代に転生した元同郷が、大国を築き、日本語を標準化させたかもしれない。
だからグンターの話し言葉が日本語で、リオにも通じた可能性がある。
すると俺は、言語翻訳がなくても、リスニングだけは出来たかもしれない。
『あたしが自分を守れる力、あったほうが良いよね?』
『まあ、将来の嫁だからな』
相変わらずリオは、是とも否とも言わなかった。
だが今回は、リオが否と言えば、連れて行かない選択が出来る。
すると俺は、少し攻めても良いのではないだろうか。
『将来の嫁だからな?』
『今のところ、可能性は有るよね』
『……グンター、2頭分頼む』
「おう、毎度あり」
俺とリオの関係は、0.1歩ほど前進したかもしれない。
その代わり、俺のグンターに対する支払いは、2倍になったのであった。
























