35話 ナイルワニ
半月ほど、俺達は沼の付近で、空腹と満腹を繰り返している。
腹が減って新たな獲物を狩り、満腹になって休み、また腹が減って狩る。
そんな日々を過ごしていた。
『弟と妹は、もう生まれているだろうな』
『そうだと思うよ』
新生児と、生後半年の俺達を引き離す目論見は、大成功である。
俺達の出立頃に生まれていれば、今頃はヨチヨチと歩いているはずだ。
ちなみに半月という暦は、俺が前世を基に数えているだけだ。
今世は、魔法や獣人が存在しており、明らかに地球ではない。
一方で、俺を転生させた存在が両世界を管理するのか、生態系は酷似する。
そのため俺は、神と呼ばれる高度文明の管理者が、恒星系のテンプレートをコピーして、使い回しているのではないかと予想している。
すなわち365日で恒星系を一周する惑星環境は、大して変わらないのではないかと思っている。
あとは、古代に生まれた転生者が大帝国の皇帝などになって、日本と同じ暦を導入していれば、半月や1ヵ月という暦が通用する。
異なる暦は面倒なので、過去に転生した同郷が、頑張ったことを期待したい。
『それにしても、のんびりし過ぎだな』
『そうだね。食べて、寝るだけだからね』
『あとはギーアが挑んでくるくらいか』
『遊べて良かったね』
『数時間おきに来るのは、止めてほしいが』
そろそろ来る頃かと、俺はギーアに視線を送った。
すると案の定、姿勢を低くしながら接近してくるところだった。
俺と視線が合ったギーアは、見つかったかという残念そうな表情を浮かべた後、ダッシュで飛び掛かってきた。
現在のギーアは、大型犬サイズのライオンで、ネコ科の俊敏さを備える。
生後半年を過ぎたライオンの強さは、平均的な人間の成人男性以上だ。
その突進に対して、俺は直上にジャンプして高所から迎え撃った。
「ガオオオッ」
「グアオオッ」
飛び掛かったギーアより高く跳んだ俺は、顔面にライオンパンチを放った。
構わず突撃してきたので、俺は上から押し潰すように、ギーアを押さえ付ける。
体格は、俺のほうが成長速度で1ヵ月分ほど上だ。
つまり俺のほうが、高くジャンプできる。
上からの攻撃でギーアを倒した後、引っ繰り返ったところをすかさず噛む。
「ガァオオッ」
少し牙を立てて噛んだところ、嫌がったギーアが転がって逃げた。
その際に腹が見えたので、攻撃はおしまいである。
降参したのに攻撃を続けると、大人のメスや2歳の姉ビスタが、介入する。
――ビスタをギーアの保護者にしたのは、ミスだったかなぁ。
以前俺は、姉のビスタに対して、ギーアに優しくするように誘導した。
それは俺が、同い年から年下を好きだからだ。
つまり、独立時に連れて行くギーアとメスの好みが被らないように、ギーアを年上好きにしようと企んだのである。
俺の目論見に関しては、わりと成功した。
ギーアは、優しいビスタお姉ちゃんに、ベッタリである。
だが失敗点もあって、ビスタがギーアを優遇するようになった。
懐いてくる子は、やはり可愛いのだろう。
生後2年半を過ぎて、ほとんど大人のメスライオンと変わらない大きさに成長したビスタが味方にいるので、俺はギーアとの力比べでも配慮せざるを得ない。
やや面倒である。
『お疲れ様』
『どうも。狩りの練習にはなるから、リオもミーナと遊んでやってくれ』
『うん、良いよ。ミーナ、遊ぼうね』
「ガォッ」
呼ばれたミーナが、トコトコとリオに近寄っていく。
そして姿勢を低くして、リオにピョンと飛び掛かった。
するとリオも飛び跳ねて攻撃を躱し、逆にミーナに攻撃をする。
それは大型犬同士のじゃれ合いくらいには、激しい争いだった。
――二頭とも、しっかりとライオンだったわ。
俺はゴロンと地面に転がりながら、リオとミーナの戦いを見守った。
リオとミーナは、俺とギーアくらい体重差がある。
それはリオが乳児期から積極的にミルクを飲み、俺も肉を融通したからだ。
食事量の差は、成長するために必要な栄養の差になる。
兄弟で一番大きかった子ライオンでも、アクシデントがあって与えられるミルクが不足すると、成長が遅れて一番小さくなる。
成長を意識して育ち、優遇もされた結果、リオはミーナより強くなった。
『はい、あたしの勝ち』
『うーっ』
リオに負かされたミーナが、悔しそうに呻った。
普段はのんびりしている妹にも、ライオンの闘争本能はあるようだ。
そんな俺達の行動が火を付けたのか、大人達が立ち上がり、移動を始めた。
どうやら狩りに行くらしい。
『またワニから取るのかな』
『最近多いよね』
この辺りには、草食動物が多い。
その理由は、ライオンのナワバリの境界付近にあるので、他所の群れを警戒したライオン達が、あまり近寄らないからだろう。
つまりライオンという天敵が、普段は来ないわけである。
そんな沼には、草食動物がよく水を飲みに訪れる。
それを沼に住み着いたナイルワニが噛んで引っ張るわけだが、セーブルアンテロープの全長と同程度の大きさしかないので、大きな獲物は引っ張り切れない。
そしてナイルワニが噛んで足枷が付いた獲物を、メスライオンが横取りする。
――天然の罠みたいなものかな。
草食動物には、水を飲まないという選択肢は無い。
沼は大きな川と繋がるが、ナイルワニが生息する可能性が高いのは川のほうだ。
草食動物が水を飲む場合、より安全な場所を選ぶに決まっている。
そのため沼には草食動物が訪れて、定期的にナイルワニに襲われている。
メスライオン達に付いていったところ、沼にはインパラの群れが集まっていた。
『この辺かな』
『そうだね。待機だね』
俺達子供は、大きく距離を取って、茂みの中に伏せた。
獲物を狩れないお子様は、狩りの邪魔である。
メスライオン達も伏せて、ジッと沼のインパラを見つめる。
ワニが食い付かなければ、直接狩りに行かなければならない。
だが心配は杞憂だったようで、水を飲んでいたインパラが、沼から飛び出してきたナイルワニに、左の後ろ脚を噛まれた。
インパラは、残った右の後ろ脚で飛び跳ねたが、ナイルワニに対しては身体が小さく、力負けしている。
すぐに引き摺られて、沼に連れて行かれる。
それを見たメスライオン達が、飛び出していった。
『行動が早いな』
『一瞬だね』
周囲のインパラたちは、大混乱である。
沼からナイルワニが飛び出して、茂みからはライオンの群れが現れたのだ。
一斉に走り出して、四方へと逃げ去っていく。
メスライオン達は、逃げるインパラには構わずに、ナイルワニが沼に引き摺り込んだインパラに突っ込んでいった。
そして一斉に沼に飛び込んで、ナイルワニからインパラを奪おうとする。
異変が起きたのは、その直後だった。
沼から大きな水飛沫が上がり、メスライオンの身体が深く沈む。
俺は呆然と、沼の中に沈んでいくメスライオンの尻尾を見つめた。
『ねえ、別のワニが居る!』
リオが叫んだのは、俺に魔法での解決を期待したからだろうか。
だが俺が持っているのは、土魔法と光魔法だ。
沼に穴は掘れないし、投石しても、仲間に誤射しないとは限らない。
光魔法は治療が出来るが、沼から上がってくるのが先だ。
『俺は、土と光しか使えない』
4頭の中には俺の母ライオンもいるが、それでも俺にはどうしようもない。
沼で襲われているのがリオだったとしても、俺には本当に助ける手段が無い。
俺に解決手段が無いことを理解したリオは、蒼白になりながら、沼を見つめた。
俺も沼で戦うメスライオン達を見守りながら、大きなナイルワニに噛まれて引き込まれたのが、今世の母でないことを祈った。
沼でバシャバシャと暴れたメスライオン達が、次々と沼の畔に這い上がる。
だが上がってきたのは、3頭だけだった。
――母は、上がっている。
俺は厳しい表情を浮かべたまま、沼から上がった母の姿を見つめた。
そして不幸中の幸いだと、自分に言い聞かせた。
























