32話 ナワバリの端にて
俺達の群れは、下流のほうへと移動していった。
山が多い日本では、土地の高低差が大きくて、川の流れも早かった。
だが俺達が住んでいる地域は、広くて平らな地形なので、川の流れは遅い。
そんな緩やかな川の流れに合わせて、俺達もトコトコと、ゆっくり歩いて行く。
『川の底、見えなくなったね』
『そうだな。砂とか泥が、混ざったかな』
川幅は、ずっと10メートルほどで変わらない。
だが泥が混ざったのか、濁って底が見えなくなった。
上流も澄んでいたとは言いがたいが、それでも川底は見えていた。
川には、底が露出した中洲もあるので、水深は浅いはずだ。
それにも拘らず底が見えないので、水質は急速に悪くなっている。
『味、変わるかな』
『別に問題ないだろう』
俺達は、泥水でも問題なく飲める。
俺は水質よりも、移動理由となった弟妹のほうが気になった。
『弟と妹、何頭生まれるかなぁ』
『あたし達は、8頭だったよ』
リオが言ったとおり、俺達は2頭のメスライオンから、8頭が生まれた。
日本の動物園では1頭から5頭が生まれており、平均は3頭くらいだとされる。
それに比べれば、若干多いと言えるだろう。
もっとも日本の動物園は、野生下のライオンと同一の環境ではない。
俺が所属する群れのメスライオンが何頭を生むのかについて、動物園の数字は参考程度にしかならないだろう。
『8頭生まれるのは、多いのかな?』
『どうだろうね』
近代以降、銃を使った人間によるオスライオンの狩猟で、ライオンの生態が狂った可能性も排除できない。
アフリカゾウは、人間の狩猟から逃れるために、牙のない個体が増加した。
ライオンよりも寿命の長いアフリカゾウであっても、短期間で変化するので、ライオンの生態が変化しないとは言い切れない。
海外では、1頭のメスが、同時に8頭の子ライオンを生んだ記録もある。
確か、ジンバブエの首都ハラレにあるライオン・チーター公園だ。
『俺達と同じ8頭くらいは、生まれると良いな』
子供が沢山生まれるのは、それだけ死ぬからである。
マンボウは、1回に3億個の卵を生むが、大人になるのは2匹と言われる。
それほどの卵を生むくらいなら、あの縦に平べったい身体を進化させたほうが早い気もするが、数を生めば生き残れる戦法なのだろう。
そのような考えに基づけば、動物園よりも生存率の低い野生下では、ライオンは子供の数は多くなる気がする。
母体の食料事情が良好であれば、動物園のライオンよりも多く生みそうだ。
――ハーレムに行っていたのは、クロサイを食べた後だったからな。
当時の群れは栄養が充分だったので、沢山の子を妊娠したのではないだろうか。
『どうして多いほうが良いの?』
『それは弟が生まれたら、一緒に連れて行きたいからだ。オスが4頭増えれば、俺とギーアを合せて6頭になる』
『どうして多いと良いの?』
『それだけ居たら、他所のオスが絶対に襲って来ないだろう』
オスライオンの独立は、2歳から3歳ほどだ。
弟妹とは半年差だが、その程度なら、一緒に連れて行けるかもしれない。
2006年、南アフリカで6頭のオスライオンで構成されるマポゴ連合という集団が、周囲のオスライオンを次々と殺し、8つの群れを支配した。
6頭のうち1頭は、動物保護区を出たところで地元住民に撃たれている。
だがマポゴ連合のリーダーであるマクルは、2012年に15歳になるまで、ライオンの群れを1つ以上、維持し続けた。
そんな彼ら6頭は、スイギュウを狩るのも上手かった。
オスの数が多ければ、それだけ有利になる。
『獲物を狩るの、大変そう』
弟達を連れて行きたいと話したところ、リオがうんざりした表情を浮かべた。
ライオンの群れでは、狩りはメスが行う事が多い。
オスの頭数が増えれば、養うメスの負担が増えることになる。
俺はリオも連れて行きたいが、その場合はリオの負担が大きくなってしまう。
『俺は不思議な力を使えるから、それを使って、リオの負担を減らすぞ』
『あの力、あたしも練習したけれど、ダメだったね』
『うーむ、発音かな。よく分からない』
付いてくる件について、誤魔化された気がしたが、俺はリオの話に乗った。
転生時、俺は土魔法と光魔法、併せて祝福の言語翻訳を獲得している。
ほかにも身体能力C+、空間収納、延命息災を得た。
俺は天使に「楽に天寿を全うできる割り振りを教えて下さい」と言い、天使からの回答が、それらの取得だった。
得た力でスイギュウやハイエナを倒して、今のところ楽に暮らしている。
俺が魔法を使えるのは、そんな経緯がある。
『妹達も連れて行けたら、楽かもね』
リオから、仲間のメスライオンを増やせと主張された。
血縁関係のないメスライオンの合流は、オスライオンの合流よりも困難だ。
合流の例もあるが、最初から妹を連れて行くほうが、リオにとって楽となる。
『連れて行けるだけ、連れて行こう。ミーナも、一緒に来るよな』
『うん』
黙って俺達の後ろを付いてきたミーナが、問い掛けに即答した。
ミーナは、俺とリオがギーアから庇い、切り分けた肉も与えている。
乳児期から守って、餌付けもしているわけだ。
依存状態は、最大級である。
『ミーナは確保した。ほかに要求はないか』
『別に、あたしが付いていくとは言っていないけど』
リオには、ミーナと同じように餌付けをしているはずだ。
なぜ反応が異なるのか、俺には理解できない。
誰か、ツンツンしている猫をデレさせる方法を教えて欲しい。
そんな風に思いながら進んでいった俺達は、やがて沼に辿り着いた。
川が2本に分かれており、1本が窪地に流れ込んで、沼になっている
「ガォオッ」
沼に辿り着いた大人のメスライオン達が、ゾロゾロと沼の畔に歩いて行った。
そして猫のように舌を使って、沼の水をペロペロと飲み始める。
姉達が付き従い、俺達も一緒に沼に寄っていった。
『ここで休憩かな。それとも目的地かな』
『どうだろうね』
俺達のナワバリは、無限に有るわけではない。
水があれば、草食動物が来る。
今も沼の対岸には、ウシ科のセーブルアンテロープの姿があった。
セーブルアンテロープは、反った長い角を生やす、身体の黒い草食動物だ。
まるで山羊の頭を持った、黒い身体の悪魔バフォメットだ。
そんな悪魔を連想させる姿をしたセーブルアンテロープは、数頭から数十頭ほどの群れを作り、水場の近くを好んで暮らしている。
草食動物が多い土地は、ほかのライオンとのナワバリ争いが激しくなる。
ナワバリが広いと、維持する争いが頻回に起きて、負担が大きくなる。
群れの腹を満たす程度の土地を確保しておくほうが、むしろ効率が良い。
それを踏まえると、この辺りが、ナワバリの最北端のように思われた。
『とりあえず水でも飲むか』
『そうだね。歩き疲れたし、水を飲みたいかな』
『ミーナも行くぞ』
「ナァオッ」
俺達は、メスライオン達の間に割って入り、沼の水を飲み始めた。
沼の大きさを目算したところ、セーブルアンテロープで南北に30頭、東西に50頭が、一列で並べるほどに思われる。
セーブルアンテロープは、体長2メートルほどだ。
そのため沼は、縦60メートル、横100メートルほどの広さになる。
サッカーのフィールドが縦68メートル、横105メートルなので、ちょうどそのくらいだ。
そんな沼の畔には、青々とした植物が生えている。
川の増水で、沼の水量が変化するのかもしれない。
そんな草を目当てに、沼には草食動物が屯していた。
そして肉食動物も、棲んでいるようだ。
沼からナイルワニが飛び出して、セーブルアンテロープの足をガブリと噛んだ。
























