03話 魔法の英才教育
ペロペロと、リオが俺の身体を舐めてくる。
ストレスが限界突破しているらしく、穴から顔だけを出す俺の腰をガシッと掴んで離さない。
まるで獲物を捕らえて押さえ付けるメスライオンである。
『すまん、周囲を観察しているんだが』
「ミャゥッ」
野生化して鳴いたリオは、猫舌ならぬライオン舌で、攻撃を再開した。
ザラザラとした舌が、生後1ヵ月である俺の柔らかい毛皮を弄ぶ。
メスライオンは、群れで押さえ付けたシマウマにトドメを刺す前に、舐めることもあるのだが、それにはどういう意味があるのだろうか。
俺は溜息を吐いて、リオのストレス発散に付き合った。
捕らえられたシマウマの気持ちが、そこはかとなく分かったかもしれない。
『まったく、スイギュウは反則だろう。1頭だったのは、まだマシだが』
スイギュウは繁殖期になると、オス同士でツノの突き合いによる力比べを行う。
勝ったほうがメスと交尾できるので、スイギュウは先祖代々、突き合いに勝った優秀なオスが子孫を残してきたことになる。
その歴史は、数百万年も積み重ねられたそうだ。
数年で世代交代だと考えれば、100万世代分、突き合いに優れたオスが子孫を残してきた。
スイギュウは、どのオスも相応に優れた攻撃力を持っていると考えられる。
――異世界の歴史も同じなのかは、知らんが。
スイギュウは姿勢を低くして、伏せたライオンにツノを引っ掛けて跳ね上げる。
鋭利なツノで突いて、跳ね上げれば、ライオンの身体を突き破ることも出来る。
それでもライオンはスイギュウを狩るし、一定数は返り討ちに遭う。
俺がライオンにお勧めする狩りの獲物は、やはりシマウマだろうか。
お勧めポイントは、ツノが無いことである。
――反撃されるリスクが低いのは、良いことだ。
蹴られると痛そうだが、シマウマに殺されたライオンは、寡聞にして知らない。
ライオンも数十万世代を重ねる間に、より強い個体が生き残って、子孫を繋いできたはずである。
故に、シマウマに倒される程度のライオンは居ないのだろう。
狩りのオススメは、戦闘型に進化していない生き物だ。
スイギュウは、止めておいたほうが良い。
しばらく狙うべき食材について考えているうちに、母達が子ライオンを咥えて、戻って来た。
グルグルと咽を鳴らして声を掛けてきたので、俺も声を上げる。
『こっち、こっち』
俺の声が聞こえた母達が、素早く駆け寄ってくる。
そしてポテッと、それぞれ咥えていた子ライオン達を離した。
『よう妹。そしてリオ、お前の弟も来たぞ。兄かもしれんが』
「ミャゥッ」
俺が巣穴から出て呼び掛けると、俺を舐めていたリオも顔を出した。
連れて来られた兄弟と又従姉妹を確認したリオは、すぐにそちらも舐め始めた。
俺とリオの無事を母達は、安心した表情を浮かべた。そして小さな穴には、不思議そうな表情を浮かべた後、子ライオン達を残して駆けていった。
母達が駆けていったのを見届けた後、俺は再び魔法を使う。
『トンネルバウ』
穴の大きさが、4頭用に広がっていった。
魔法を行使した俺は、空いた穴に向かって、リオを含めた3頭を押し込む。
安全確保は、現状における最優先事項だ。
『ほら、入れ、入れ』
「ミギャッ」「ミャウッ」「ミィィ」
『猫みたいに鳴きやがって。お前らは、ネコ科か……ネコ科だったわ。ほら入れ、はよ入れ』
ミイミイ鳴く3頭を押し込んだ俺は、穴に蓋をするように、出入り口に陣取る。
俺達の役目は、母達が帰るまで身を隠し、母達が帰ったら場所を教えることだ。
周囲には木が生い茂っており、姿は完全に隠せている。そのため母達も場所が分からないので、鳴き返す必要がある。
だが母達ではない相手には、鳴き返してはいけない。
リオは比較的賢いが、現在は情緒不安定だ。
気の弱い妹や、知力不足の従兄弟にも、重要な役目を任せるわけにはいかない。
俺は穴の出入り口にドンと陣取り、3頭が出てこないように、妨害を始めた。
「ミギャッ、ミギャッ」
『黙れ従兄弟。ジャッカルが来たら、最初に貴様を差し出すぞ』
「ミィィ、ミィィ」
『リオ、うちの妹を相手してくれ。生憎と俺は、お前の弟の相手で忙しい』
「ミャウッ」
『リオ、お前もか……』
保育園の保育士さんの、なんと偉大であることか。
俺は出入り口に陣取り、身体で穴を防ぎながら、モフモフどもの猛攻を凌いだ。
後ろ足でボフボフと蹴り、穴の奥に押し込む。
すると頭を押し付けて抵抗するので、足で頭を押し返し、力比べに突入する。
このような戦いでは、上を押さえているほうが有利だ。
モフモフ共は抗い切れず、コテンと奥に転がっていった。
――フッ、勝った。
ミッションコンプリートである。
俺は勝利の余韻を噛み締めながら、茂みの中で新鮮な空気を吸う。
そしてリオ達にも新鮮な空気が行き渡るように、配慮してやった。
『トンネルバウ』
魔法を使って穴を広げたところ、急速に訪れた飢餓感に耐え切れなくなった。
慌てて、空間収納に仕舞っていたミルクを口内に取り出し、ゴクゴクと飲む。
母乳は授乳期間によって、消化しやすいホエイ(乳清)と、消化しにくいカゼイン(カルシウムを大量に含んだタンパク質)の比率が異なる。
人間であれば初乳が9対1、成乳が6対4、授乳後期が5対5。
生まれて間もない頃は、消化がし易くて、吸収も早いミルクのはずである。
母乳は子供に適したミルクで、免疫力も高めるので、飲んだほうが良い。
そして運動し、細胞の新陳代謝に必要なタンパク質や脂質を補給して、身体を強くする。
――消費した魔力細胞が、ミルクの成分で回復して補われて、強くなっていく。
本当にそうなっているのかは、もちろん知らない。
だが魔力も、身体に宿る力だろうから、C+に含まれると期待しておく。
人類がE-からE+なので、俺は人類より、凄い魔導師になれるかもしれない。
ほかのライオンも、土と光の属性は持っているようだ。
だがライオンは文明を持たず、属性があっても、魔法を使えないのだろう。
最高でも20歳程度の寿命、数十頭が最大という群れの数、自然や野生動物との日常的な戦い、火を用いないことで食事を消化するために費やす時間。
それらはライオンが文明を築けず、魔法技術を生み出せない理由になるはずだ。
――物語でドラゴンが魔法を使えるのは、寿命が長いからかもな。
様々な物語において、ドラゴンの寿命は非常に長かった。
中国の『述異記』では、次のように解説されている。
『泥水で育った蝮は、五百年で蛟となり、蛟は千年で竜(成竜)となり、竜は五百年で角竜となり、角竜は千年で応竜となり、年老いた応竜は黄竜と呼ばれる』
数千年も生きていれば、奇特な人間から話を聞く機会はあるだろうし、若いドラゴンに技術継承も出来るだろう。
ライオンには無理だが、俺は人間の記憶があるので、文明も魔法も理解できる。
また動物に発声機能の問題があったとしても、俺には言語翻訳の祝福があるので、「ミャオッ」と鳴こうと、ちゃんと正しい魔法言語になる。
つまり俺は、人間よりも正しく魔法を使えるはずである。
俺は人間よりも有利だと、自分を信じ込ませていたところ、母が帰ってきた。
「グゥゥゥッ」
「ミャオッ」
近付いてきた母は、子ライオンを咥えていなかった。
母ライオンの仲間のメスライオンは、同行していない。
そして後ろの右足を負傷して、残る3本足で不格好に歩いていた。
パッと見で判断したところ、スイギュウのツノに突き裂かれている。
次の子供を連れて来られなかったのは、咥えて運べる身体ではなかったからだ。
群れで狩りをするメスライオンが、1頭でスイギュウに挑むことは有り得ない。
母が大怪我をしたのなら、母の仲間も戦闘している。
従姉妹が一緒に戻って来られなかったのは、物理的に不可能だからだろう。
『トンネルバウ』
俺が塞いでいた穴が、母ライオンが通れるほど広がっていく。
『こっち、入って』
俺は穴から出て、母ライオンに避難を促した。
そして出てこようとしたリオ達を、モフモフの頭突きで押し返したのであった。