29話 惨殺者バーンハード
物資を納入して地下から出た直後、それが聞こえた。
ガランガランと、けたたましい鐘の音が轟いたのだ。
「閣下、敵襲です!」
辺境伯に付いていた騎士が、険しい表情を浮かべて叫んだ。
すると老齢の辺境伯は、早足で、城の階段に向かい始めた。
それを騎士と辺境伯夫人が追って、グンターとヨハナが付いていき、俺も流れで同行した。
第三城壁内にある城内のバルコニーまで、階段を上がっていく。
城の地下には、地上で鳴り響く鐘の音が、届いていなかった。
さらに祝福を隠すために内密で行っていた物資の搬入には、結構な時間を費やしていた。
もしかすると侵攻があってから、それなりの時間が経過しているかもしれない。
はたして、バルコニーに辿り着いた俺の視界に、城下町の異変が映った。
領都から、人々が一斉に逃げてきている。
そんな人々の姿を逆に辿っていけば、町の東側で戦闘が行われている様子が、見て取れた。
『ライオンのシマウマ狩りのようだ』
端的に表すと、それが最前線の状況だ。
街道周辺の人々が、ライオンに追われるシマウマの群れのように、一斉に城側へ逃げている。
逃げ先は城塞で、住民達は続々と、第一城壁と第二城壁の間に避難している。
そして町の東側のほうでは、ライオンの群れならぬ武装した獣人達が暴れており、逃げ遅れた人間を背中から襲っていた。
「第四軍団の大隊長、惨殺者バーンハードだ」
それは、一方的な惨殺だった。
攻めてきている獣人の総数は、先ほど聞いた大隊の400人と、矛盾は無いように思われる。
それらが小集団に分かれて町に侵入し、背中を見せて逃げる人間を後ろから槍で突いたり、剣で斬り付けたりしている。
倒れた人間の身体に武器を突き立て、トドメを刺した後、次の目標に向かう。
普通の人間と、武装した獣人とでは、獣人のほうが足は速いようだ。
さらに人間は、年齢、性別、体調などで足の速さが異なる。老人や小さな子供は逃げ切れず、次々と犠牲になっていた。
「あれが惨殺者バーンハードですか。逃げ遅れた民間人を、惨殺させるという」
「そうだ。多数の戦士で、寄って集って1人を惨殺させる。最低の卑劣漢だ」
辺境伯が、憎々しげに遠方を睨め付けた。
領都にいる辺境伯軍、国軍、諸侯軍、難民から集めた義勇兵は、何もしていないわけではない。
城の辺境伯軍は第一城壁を開けて領民を受け入れ、男達に槍を配っている。
領都に駐留する国軍と諸侯軍は、集結して兵士を集め、大集団になっている。
だが戦闘の準備を整え、接敵するまでに、領民や難民が次々と犠牲になった。
『堅実な狩りだ』
「どういうことだね」
辺境伯に問われた俺は、思ったままの感想を口にした。
『ライオンは、逃げる獲物1体を数頭で襲う。数頭で獲物1体を襲えば、倒せる確率が上がって、味方が手傷を負う危険が下がるからだ』
「ふむ」
『武器を持って抵抗する人間は、強い。だが、背中を向けて逃げる人間は、弱い。味方の負傷を減らしたいのなら、あれは有効な狩りだ』
「つまり獣人帝国の連中がやっているのは、獣の狩りということかね」
『そうだな。後の統治を考えれば、善し悪しはある』
「当然だ。我らは、抵抗する」
そう言った辺境伯が、右手を天に掲げた。
それに合せて辺境伯夫人も、右手を天に掲げる。
『召喚・中級火精霊』
『召喚・中級風精霊』
二人の上級貴族が、それぞれ異なる魔法を行使した。
それは無色だった世界に、赤と緑の原液を落としたような行為に感じられた。
周囲に存在する無色の魔素が、バケツに絵の具を混ぜられたように、二色へと染まっていく。
夜空を照らす星のような淡く綺麗な白に、星を焼くマグマの如き赤と、大地を覆い尽くす草原のような緑が加わって、鮮やかな色彩を放った。
次の瞬間、4枚の羽根を持つ妖精のような存在が2体、世界に顕現した。
「我が火精霊よ、アレを倒してくれ」
「風精霊、侵略者を打ち払いなさい」
2体の中級精霊は、互いに顔を見合わせて、囁き合う。
『倒してだって。どうしようか』
『契約した魔力がギリギリで、見合わないよ。2倍なら、頑張っても良いけど』
『それじゃあ、適当に追い払えば良いかな』
『そうだね。そうしよう』
驚きの会話だったが、辺境伯夫妻には、伝わっていない様子だった。
――言語翻訳の力かな。
精霊界隈の裏事情を知ってしまい、ちょっとショックである。
示し合わせた精霊達は、赤と緑の輝きを放つハヤブサに、その姿を変じた。
精霊が変化したハヤブサは、城塞から領都の空へと、滑空していく。
そして瞬く間に、獣人達のところへ突っ込んでいった。
「閣下と奥方様の中級精霊、獣人兵に突入しました!」
獣人達の傍まで到達したハヤブサ達は、炎と強風と化して、周囲を飛び回った。
火精霊と風精霊の使いが舞う戦場では、顔を焼かれた獣人がのたうち回り、首を裂かれた獣人が切口を手で押さえて倒れ込んだ。
「精霊が、獣人兵を撃破。獣人大隊の最前線、混乱しています!」
「軍の展開を急がせよ。そう長くは保たん」
「はっ、銅鑼を鳴らせっ!」
獣人達は、襲ってくる精霊に武器を振り回している。
だが火や風となった精霊達は、まったく手傷を負った風には見えなかった。
精霊達は、一方的に獣人を蹴散らしていく。
――獣人の兵士は、精霊魔法を使えないようだな。
もっとも人間側も、貴族しか精霊魔法を使えない。
400名からなる大隊の数人を倒しても、その効果は限定的だ。
後に続く攻撃が無く、精霊達の攻撃は、獣人達の進軍を停滞するに留まった。
だが一部の領民が逃げる時間は稼げて、将兵を勇気付ける効果も発生した。
集結した駐留軍の一部が動き出して、獣人達のほうへ向かい始めた。
「国軍と諸侯軍、獣人大隊に接敵します!」
この後は、ライオンとハイエナの群れ同士のような争いが起こるのだろう。
戦闘力は8倍なので、獣人側がオスライオン、人間側がハイエナくらいの差だ。有り体に言って、人間は蹴散らされる。
しかも獣人達のほうが足も速いので、不利になれば撤退できる。
それが続けば、人間側の敗北だ。
『グンター。攻めてきた獣人の大隊長を倒せば、2回目の借りの返済になるか』
借金を完済したい俺は、小狡い方法を思い付いた。
「獣人は、強さで軍団長、大隊長、隊長、戦士、民だ。大隊長は、強いぞ」
『別に、牙で戦うわけじゃない。知りたいのは、借りの返済になるか否かだ』
辺境伯夫妻と領地が健在なほうが、孫娘であるヨハナのメリットとなる。
はたして答えは、是であった。
「惨殺者バーンハードは、エアランゲン辺境伯領に攻め込む大隊の指揮官だ。それを倒せば、物資1回の輸送よりも価値が高い」
『つまり、2回目の返済になるわけだな』
「そうなる」
大隊長を倒せば、2回目の借りを返せる。
言質を取った俺は、城の中庭に生える木に繋いだヒッポグリフに顔を向けた。
『荷袋に、俺が手を出せる穴を開けて、大隊長の頭上を飛んでくれ。大隊長の上で、岩を落とす』
「あまり近すぎると、武器を投げられるぞ」
『大きく回り込んで、背後の上空から、滑空して通り過ぎるだけで良い』
「本当に出来るのか」
『グンター、ライオンを嘗めるな』
前世の人間であれば、想像しても、実行しようとは思わなかっただろう。
だが俺は、人間よりも遙かに優れた反応速度を持つライオンだ。
人間の反応速度は、0.25秒。
猫の反応速度は、0.02秒。
前世では、噛み付こうとしたヘビが猫パンチで迎撃される動画を見たこともあるが、それは猫が、ヘビの2倍もの反応速度を持っているからだ。
集中した俺の世界は、1秒の8分の1というスローモーションよりも遅くなる。
それが、俺が作戦を決意した決め手だ。
「至近距離まで行けるのは、最初の1回だけだと思え」
『それで良い。ちゃんと直上を飛べば、失敗しない』
作戦を受け入れたグンターは、俺と共に、ヒッポグリフの下へと向かった。
そして準備を整えて、城の高所から飛び立つ。
ヒッポグリフは、鷲の翼を羽ばたかせ、領都の空を滑空した。
最前線では、獣人の部隊と駐留兵達が接敵するところだ。
槍を構えた難民の義勇兵達が、列を作って槍を突き出していく。
人間の戦闘力は低いが、槍はクロサイを殺せるほどに鋭い。
獣人達は最大級の警戒を払い、突き出された槍を各々の剣や槍で打ち払い、体勢を崩した兵士に武器を突き立てていく。
武器が交差し、絶叫が木霊し、血飛沫が舞い上がる。
そんな激戦区の上空に影が差した。
俺の世界が、スローモーションより、何倍も遅くなっていく。
――今。
俺は、この上なく完璧にタイミングを合せられた。
出したのは、ピラミッドの石の9倍という大きさの岩。
空間収納の性能確認に使い、ハイエナの別働隊を潰した実績もある。
その岩が、あまりにもゆっくりと、大隊長の頭上に落ちていった。
そして俺達は、そのまま大隊長の頭上を飛び去る。
背後からは、ズトオオオオンッと、凄まじい重低音が轟いた。
「バーンハード様あぁっ!」
最後まで見られなかったが、命中することは確信していた。
『グンター、俺は、母の命が助かった分の借りを返した』
「……ああ、返してもらった」
荷袋から手を引っ込めた俺は、愛用した岩との別れを惜しんだのであった。
























