28話 辺境伯24人分
エアランゲン辺境伯の城塞内には、想像通りに地下空間が存在した。
地下は、莫大な物資を余裕で保管できるほど広かった。
そこに俺が、空間収納で運んだ物資を搬入することになった。
「これが神代の力か」
頻りに感心するのは、ヨハナの祖父であるランバート・エアランゲン辺境伯だ。
辺境伯の隣にグンターが立ち、その後ろにヨハナの祖母であるアーリー・エアランゲン辺境伯夫人が、ヨハナと共に付いてきている。
護衛の騎士は1人だけで、グンターとヨハナが信用されていることが窺えた。
――神代の力というのは、前にグンターが言った古代魔法と祝福か。
意図的に転生しなかった場合の転生先は、幅広かった。
2万5000分の2万4980が、人間以外の時代である。
確率的には99.92パーセントが、人以前の時代だ。
だが転生候補者も多くて、260万人も居た。
そのうち半数が転生したとして、全員の時代を均等に割り振っても、1040人は20万年というホモ・サピエンスの時代に転生できている。
過去1万年以内の転生者が、1040人を20で割って52人。
1万年を52人で割ると、192年に1人は転生者が現れる。
実際には、天使に上手く質問して時代を調整した者もいるだろうし、ドラゴンなどに転生して長命な者もいるだろうから、もっと多いだろう。
そして意図的に転生できた者は、知能が高く、影響力も大きいはずだ。
すると祝福が今世の人類に伝わっているのは、充分に有り得る話だ。
――俺の空間収納を知る人間は、今のところ5人だな。
借りを返してもらう立場のグンターとヨハナは、言わないほうが得をする。
辺境伯夫妻も、今回のように利用できるのだから、秘密は漏らさないだろう。
護衛の騎士は、代々仕えている最側近であろうから、子孫も辺境伯に重用されるために、口を噤むと思われる。
最悪の場合は、俺を繋ぐ鎖を空間収納で外し、土魔法で穴を掘って逃亡して、サバンナに逃げてライオンの振りをする。
するとライオンの顔を見分けられない人間には、どれが俺か分からなくなる。
そんな事を考えながら、俺は指定された場所に樽を置いて回った。
『地下、広いな』
「長い時間を掛けて、少しずつ広げていったものだ」
辺境伯は、淡々と述べた。
中世の技術力でも、巨大な地下空間は、建造できる。
例えば、スペインの町アランダ・デ・ドゥエロだ。
ワインの生産が盛んだったアランダは、温度や湿度を一定に保てる地下9メートルから12メートルの地下に、ワイン醸造・熟成のための空間を造った。
地下では、換気が保たれており、町の端から端まで繋がっていたという。
だが町の地下空間は、長い年月を費やして、徐々に伸びていったものだ。
この城塞の地下空間も、そのように造られたのかもしれない。
「今回持ち込んだ保存食は、荷馬車60台分です。男爵領の保管庫に加えて、男爵領で流通が止まっていたものを集めてきました」
「保存食の中身は、何だ」
「何度も焼いて水分を飛ばした乾パン、塩漬け肉と燻製肉、チーズとバターミルク、葡萄酒です」
「パン、肉、チーズ、バター、酒か」
グンターから目録を受け取った辺境伯は、顔を綻ばせた。
荷馬車60台の積載量は、アフリカゾウ10頭分で60トンほどになる。
ほかにも頼まれた物資、25トンの岩、5頭のスイギュウを入れている。
それを成し得た空間収納の能力には、俺も驚いている。
恐竜最大のアルゼンチノサウルスが、80から100トン以上と推計される。
それが1頭入れられるので、いつの時代に転生しても、祝福は有用だろう。
前世の記憶では、日本人の穀物消費量は、大雑把に年間150キログラム。
その数字に当て嵌めれば、俺が運んだ食料は、400人が1年間食べる量だ。
もちろん中世以前の人間は、21世紀の日本人ほどに食べるとは思えない。
消費量を半分と見積もれば、将兵800人の食料1年分になる。
「ほかに薪、石鹸、ろうそく、矢も運びました。男爵領の倉庫は、空です」
「代わりに、金貨と宝石を持ち帰ると良い。それは食えぬからな」
「有り難く拝領します」
大口の取引が纏まったようである。
代わりに俺は、てんやわんやだ。
クロサイ1頭の対価で、アフリカゾウ10頭分の物資を運び込み、グンターへの報酬である金貨と宝石を持ち帰るのは、割に合っていない気がする。
しかも借りの返済は2回あって、次の要求はさらに大きいかもしれない。
『グンター、ちょっと働かせすぎていないか』
俺の『ちょっと』は、日本人が好む、軟らかめの表現だ。
これを外国語に翻訳すると『明らかに』となる。
「いやお前、自分と母親の命の値段だっただろう」
『それは仕入れた後の用途で、俺が取り引きしたのは、クロサイ1頭だった』
「でも買わないと、飢え死にしただろう。売り手は、俺だけだ。あれは時価だな」
『……ちっ』
「おい、念話で舌打ちをするな。聞こえているぞ」
頻りに驚く辺境伯を尻目に、俺とグンターは熱い火花を散らしていた。
するとヨハナが、俺の背中を撫でてきた。
「レオン、手伝ってくれて、ありがとうね」
『……まあ良い。グンター、借りは1つ返したぞ』
「おう、助かったぜ」
ヨハナに御礼を言われた俺は、矛を収めた。
「ギール中隊長、この物資は、籠城戦用に蓄える。国軍と諸侯の軍も来ているが、領地の防衛責任者は、あくまで儂だ」
「了解しました」
俺が物資を出していく中、辺境伯は同行する騎士に対して、物資を蓄えておくように命じた。
グンターの顔が、やや険しくなる。
「僭越ながら閣下、物資の運搬者として伺いたく。戦況は、如何でしょうか」
「良くない」
一瞬だけヨハナに視線を送った辺境伯は、率直に答えた。
「獣人の大隊1つに攻められ、後方を2個大隊に遮断されておる。こちらには、王国からの増援と、難民から募った義勇兵も加わったが、それも削られておる」
「獣人の大隊1つで、こちらの3個連隊に匹敵しますからな」
グンターは納得している様子だったが、俺にはサッパリ分からない。
『グンター、聞いて良いか?』
「なんだレオン」
『狼獣人は1人で、人間の兵士何人分の強さだ?』
「8人分だな」
人間の身体能力が、E-からE+。
獣人の身体能力が、D-からD+。
身体能力が1段階で2倍と考えれば、人間と獣人の差は8倍だ。
すると獣人の戦士が1人居れば、人間は兵士8人を集めないと対抗できない。
『獣人の大隊は何人で、人間の連隊は何人だ』
「獣人は、1個大隊400人。マルデブルク王国は、1個連隊1080人」
『つまり獣人の400人は、人間の3200人分というわけか』
「そうだ」
やはり力の差は、8倍であった。
つまりエアランゲン辺境伯領は、3200人分の敵兵に攻められており、後方を6400人分の敵兵で遮断されている。
――辺境伯領は、人口6万人だったな。
農民や職人が居なければ社会が成り立たないので、徴兵には限度がある。
中世の軍隊は、人口の0.5パーセントから2パーセントほどと計算される。
人口の1パーセントが軍隊の場合、男性の50人に1人が現役の軍人だ。
1パーセントの場合、辺境伯領が6万人なら、軍人は600人前後だ。
治安維持の人間を除き、400人を戦争に動員できたとして、辺境伯領の兵士で獣人の1個大隊と戦うには、8倍の戦力が足りない。
しかも獣人帝国は、辺境伯領の後方にも、2個大隊を展開している。
そちらにも、16倍の戦力を出さなければならない。
つまり侵略者に対抗するには、辺境伯24人分の兵士が必要になる。
『ちょっと厳しいんじゃないか?』
俺の「ちょっと」という表現には、日本人の思いやりが含まれている。
























