26話 荷運びの依頼 ★地図有り
「頼みたいのは、荷運びだ」
そう告げられた俺は、グンターの隊商に同行し、カッセル男爵領まで移動した。
ガラガラガラと、荷馬車の集団は、のんびり進んでいく。
「最初に向かうカッセル男爵領は、東へ1日移動した位置にある」
『かなり近いな』
地球における馬車の移動速度は、1日30キロメートルだと聞いたことがある。
つまり俺の群れから30キロメートルの位置に、人間の町があるわけだ。
人間が狩りに行こうと思えば、わりと簡単に来られる距離だ。それはライオン側にとって、あまり好ましくない情報だ。
だが幸いにして、グンター達が所持していたのは剣や槍だ。
銃器は発明されていないか、商人のグンターでは入手できないと思われる。
――俺が寿命を迎えるくらいまでは、大丈夫かな。
いずれライオンの一部は、前世のように人間の管理下に置かれるだろう。
野生動物を追いかけるライオンは、人類の技術進歩に付いていけない。
逆転するためには、繁栄を謳歌した恐竜が巨大隕石で滅んで、哺乳類が台頭したように、人類を壊滅させる出来事を経なければならない。
可能性としては、宇宙人との宇宙戦争で敗北して壊滅させられたり、俺達を転生させた上位存在に介入されたりするなどが、考えられる。
その時のライオン達には、頑張って人類に逆転してほしいと思う。
「カッセル男爵領は、あくまで貿易の中継地点だ。俺は、南のカストル侯爵領から、北のエアランゲン辺境伯領に荷を運んでいる」
「ガオォッ」
「お前には、荷運びを手伝って貰いたい……って、聞いているのか?」
『聞いている。説明を続けてくれ』
妄想の世界から舞い戻った俺は、グンターの話に耳を傾けた。
「辺境伯領は、男爵領から馬車で2日。中間の港町ビンゲンを支配されて、陸路が使えなくなった。そこで翼が生えたヒッポグリフで、空路で運ぶ。これが地図だ」
グンターが、地図を見せてきた。
男爵領から辺境伯領までは、馬車で2日。
だが侵略を受けており、陸路は使えないので、空路で移動する。
ヒッポグリフという大鷲馬を使うので、俺の空間収納を利用したい。
すると運ぶのは、軍需品だろうか。
――戦争とは、厄介な話だ。
大前提として、俺は戦争に口出しできる立場ではない。
なぜならライオンも、オス同士で戦うし、ハイエナとも殺し合うからだ。
グンターが「隊商が通るルートのハイエナを壊滅させるから、力を貸してくれ」と言ったら、俺は受けるつもりだった。
だから相手が人間に変わろうとも、力を貸す方針に変わりはない。
だがヨハナを戦地に連れて行くのは、いかがなものかと思った。
『争いは否定しないが、ヨハナを戦場に連れて行くのは、あまり感心しない』
「耳の痛い話だ」
グンターは、俺の言い分が至極真っ当だと、肯定するような態度だった。
俺の身体を撫でているヨハナも、うんうんと頷いて見せる。
だが弁解は、ヨハナの口から出てきた。
「エアランゲン辺境伯は、わたしのお母さんの、お父さんなの」
「ガオォ……」
ヨハナの一言で、俺の主張は吹き飛んだ。
侵略された領主が、自分の家族だけを安全地帯に逃がせば、領民は怒る。
もちろん侵略前に他所へ嫁いだ娘なら、領地に呼び戻せとは言わない。
だが知らぬ顔は出来ないだろうし、物資の輸送に協力するのは、領民が納得できる妥協ラインかもしれない。
納得した俺に対して、グンターが補足した。
「俺自身は、カッセル男爵の弟で、士爵という下級貴族だ。病死したヨハナの母とは、駆け落ちに近かった」
辺境伯とは、辺境に領地を持つ伯爵だ。
特徴としては、独自に軍を動かす権限を持っている。
通常の伯爵よりも権限が大きくて、侯爵相当と見られることもある。
――男爵の弟と、辺境伯の令嬢とでは、身分が釣り合わないな。
日本では明治維新後、1万石以上の家老が男爵に、30万石以上の大名家が侯爵に叙された。
グンターとヨハナの母との結婚は、家督を継がない家老の子供が、30万石以上の大名家の姫と結婚するようなものだ。
それは政略結婚では、有り得ない選択肢だ。
普通は他所の大名家、皇族や華族、大名家の役に立つ有望な家臣に嫁がせる。
『ヨハナは、お姫様か』
「わたしは、お姫様じゃないよ。お祖母様が、元ハイルブロン公爵令嬢で、曾お祖母様がマルデブルク王国の王女だったけど」
『グンター、よく結婚できたな』
「まったくだ」
グンターは、苦笑いの表情を浮かべた。
「元々、獣人帝国が西進して、きな臭かった。それで、後方に領地を持つ男爵家と縁を繋ぐ価値があったのだろう。言っていることは、分かるか?」
『大丈夫だ。今のところ分かる』
頷いたグンターは、やむを得ざる事情を口にした。
「エアランゲン辺境伯と正妻との子供は4人。娘3人が嫁ぎ、嫡男は防衛戦で散った。娘のうち2人は、ほかの貴族に嫁いでいる。ヨハナは、難しい立場だ」
『ほかの貴族から養子をもらえば、家を乗っ取られる可能性もあるわけか』
「お前はライオンなのに、よく分かるな」
前世が人間だったとは言わずに、俺は前世の知識を基に尋ねた。
『辺境伯には、2人目の妻や子供は、居ないのか』
「家督争いを避けるため、正妻は公爵家出身で、側室は男爵家出身を選んでいる」
公爵は徳川宗家で、男爵は他藩の家老のようなものだ。
両者が実家を巻き込んだ争いをすれば、まったく勝負にならずに決着する。
『だがヨハナは、士爵の娘だろう。辺境伯家を継ぐ資格は、あるのか』
「辺境伯が、ヨハナを男爵令息と辺境伯令嬢の娘として、王国に届出している。身元保証人は、男爵と辺境伯のほかに、ヨハナの祖母の兄である公爵も名を連ねた」
『それは王国も、直系の孫だと、認めざるを得ないな』
「片親が上級貴族家で、もう片方が貴族なら、上級貴族の魔力水準に成り得る。あとは中級精霊1体と契約が出来れば、ヨハナは、辺境伯を継ぐ資格を得られる」
『精霊?』
「爵位家を継ぐ資格の要件に、精霊との契約がある」
グンターの説明を纏めると、次のようになった。
・上級貴族 公爵から伯爵 1体の中級精霊と契約。
・貴族 子爵から男爵 2体の下級精霊と契約。
・下級貴族 準男爵 継承資格、無し。
士爵 2体の下級精霊と契約。
・騎士階級 騎士爵 叙任を受ける。
中級精霊と契約すれば、誰でも上級貴族になれるわけではない。
功績で叙爵されるか、継承資格を持った血縁者の世襲で、上級貴族になる。
ヨハナの場合、中級精霊1体と契約すれば、辺境伯の継承資格を得るらしい。
それを本人が望むのかは、また別の話だが。
「それで俺は、物資の輸送くらいは、やっているわけだ」
『大雑把に理解した。それでは、他所に行けないな』
グンターは、おそらく辺境伯家や男爵家から支援を受けて、荷馬車の隊を運用している。
商売の経験がない男爵令息が交易商人になるのは、困難だ。
だが依頼人が辺境伯で、中継地点が男爵領、軍需品を買い付ける土地の貴族にも話を通せば、どこにも困難など発生しない。
――辺境伯は、嫁に出た娘と、孫の支援目的かな。
男爵家も、辺境伯との関係性や国防で支援するだろう。
商隊や男爵領にある家では、辺境伯家の家庭教師が、ヨハナに貴族の教育をしているかもしれない。
ヨハナを戦地に連れて行く理由に納得した俺は、グンターに尋ねた。
『さっき獣人帝国の西進と言っていたが、人間と獣人の戦争なのか?』
「そうだ。俺達の国に来たのは、第四軍団。狼の獣人達だ」
こちらの世界には獣人なる存在がいて、人間と戦争しているらしい。
転生時、天使は獣人の身体能力をDと言っていた。
それにしても狼の獣人とは、なかなか強そうである。
――進化の分岐は、何百万年前かな。
獣から獣人への進化は、一見すると難しいように思える。
だが雑食性の獲得と、食物の消化能力向上が達成できれば、実現可能だ。
雑食性の獲得は、それほど難しくない。
肉食性が、雑食性になる環境変化があれば良いだけだ。
人類は、動物の家畜化からわずか数千年で、ミルクの乳糖耐性を獲得した。
その程度の環境変化でも、雑食性の獲得は実現する。
食物の消化能力向上に関して、人間は火を使用した。
肉を加熱すると、消化効率が良くなる。すると胃腸が小さくなって、その分だけ脳の容量を大きくすることが出来て、知能が大幅に発達した。
また食物を消化する時間が減った分だけ、活動できる時間が増えた。
獣人達の祖先が、こちらに存在する属性で着火を行うか、進化や変異で優れた消化能力を獲得できれば、獣人に進化できたかもしれない。
ちなみに俺の出身種族は、普通のライオンである。
獣人が人間に勝っても、それがライオンの利益に繋がるとは限らない。
俺が生物としてすべき事は、自分と子孫の利益追及である。
『2回、手伝う』
さしあたって俺は、自分の借りを返すことにしたのであった。
























