21話 イノシシ掘り
食べられないと分かると、食べたくなることがある。
経営難で閉店する料理屋が、最後の月に混むことは、前世でもよくあった。
ニュースで取り上げられた時、それほど食べたいのなら、閉店に追い込まれる前に行けば良いのにと考えたりもした。
だが、数多ある選択肢で、「食べられない」というスパイスを振り掛けられた料理が、より美味しく感じられるのかもしれない。
つまりエムイーの独立時に、イボイノシシ狩りをし損なった俺達の群れには、イボイノシシのブームが来ているわけだ。
『ここに入った』
イボイノシシは、ライオンよりも僅かに足が遅くて、視力も相当低い。
ライオンは、普通の人間の5倍もの視力があって、1キロメートル以上離れた獲物も簡単に見つけられる。
それに対してイボイノシシは、視力0.1ほどだとされる。
平原を走って逃げる場合、ライオンの2倍も遠くが見えるシマウマならば進路を間違わないが、イボイノシシの場合は、追い詰められる。
そんなイボイノシシの生存戦略が、近場の巣穴に逃げ込むことだ。
いくつもの避難場所を用意するイボイノシシは、巣穴に逃げ込んで難を逃れる。
『掘ろう』
『捕まえよう』
メスライオンが仲間同士で伝え合った後、穴掘りを開始した。
前脚で土を掻き出して、周囲に捨てていく。
人間が手で掘るよりも圧倒的に早くて、掘り方も上手だ。
土煙が舞い上がるが、ライオンの後ろに立ち上り、視界は遮っていない。
俺は安心して見守りながら、リオに話し掛けた。
『あいつらはハイエナと違って、逃げ込むための巣穴が、いくつもあるらしいぞ』
『へぇ、いくつも掘るの?』
『ほかの奴が掘った巣穴を使うこともあるし、自分で掘ることもあるそうだ』
それなりに個体差はあるが、イボイノシシの肩高は70センチメートル前後で、メスライオンの肩高110センチメートル前後よりも小さい。
巣穴のサイズはイボイノシシ向きで、大人のライオンでは入れない。
そのためイボイノシシを捕まえる時は、巣穴を掘ることになる。
『あっちに居るシマウマを捕まえれば良いのに』
『今日は、イボイノシシの気分なんだろう』
リオが視線を向けた遥か先には、シマウマがトコトコと歩いていた。
かなり遠くにいるが、流石は人間の5倍もの視力である。
メスライオン達も視認しているが、射程圏外なので、狙おうとはしない。
シマウマもこちらを見つけているはずで、近寄れば逃げていくだろう。
シマウマを追うのと、穴掘りとでは、どちらが効率的だろうか。
イボイノシシの巣穴の長さが分からないので、判断は付かない。
ツチブタの巣穴を再利用していたり、避難所ではなく子育て用のメインの巣穴だったりすると、穴の長さが伸びるのだ。
相手は逃げられないが、掘っている最中に巣穴の長さは分からない。
穴掘りが嫌になった時点で、ライオンの根負けとなる。
『ビスタなら、ギリギリ入れそうかも』
『身動きが取れない巣穴で、正面から突進されたら、結構危ないぞ』
ライオンが強くても、動けない時に一方的に攻撃されれば、大怪我をする。
イボイノシシの牙は、オスが25から30センチメートル。最長では、67センチメートルの記録がある。
メスの牙は、15から25センチメートル。
ニホンイノシシは、メスの牙が2センチメートルなので、10倍の長さだ。
――日本のイノシシとは、全然違うな。
矛先が20センチメートルの石槍で、突かれるようなものである。
それが『イボイノシシ属』と『イノシシ属』の違いの一つであろうか。
イボイノシシは、強力な牙を使って巣穴を掘り、子供を守っている。
『アンポンタンは?』
『穴でも動けるけど、もっと危ないかもしれない』
子供を狙うヒョウやハイエナが、メスのイボイノシシに撃退されることもある。
アンポンタンは、ブチハイエナの体重を2割から3割ほど上回ったところだ。
巣穴の中で動けても、勝利が不確かな戦いは、挑まないほうが良い。
だが大人のライオンであれば、イボイノシシには勝てる。
メスライオン達には、ぜひとも頑張ってもらいたいと思う。
幼獣の俺が暢気に見守っていたところ、メスライオンの一頭が、ついに穴からイボイノシシを引き出した。
背筋を咥えて、四肢を踏ん張り、力強く引き摺り出していく。
「ピギイイイィッ」
「グガガガガアッ」
巣穴を囲んでいた6頭が、四方から一斉にイボイノシシに噛み付いた。
まるで神輿のように、全頭で穴から離れた場所へ引っ張っていく。
イボイノシシは必死に悲鳴を上げるが、ライオンが放したりはしない。
さあ食すぞという段階に至った。
――新鮮な猪鍋だ。
刹那、俺達の食卓に、乱入者が現れた。
「グルァアアアッ」
雄叫びを上げて、割って入ったのは、父達オスライオンであった。
オス2頭に割って入られたメス達は、サッと避けて場を譲る。
残ったのは、喉元を噛んで首を絞めているメス1頭だけだ。
獲物の喉を噛んでいるメス1頭以外を押し退けたオス達は、イボイノシシの柔らかい下腹部に食らい付いて、勝手にムシャムシャと食べ始めた。
「ピギイイイイィッ、ピギイッ」
乱入されたせいか、メスが押さえた喉元は、しっかりと締め切れていない。
足をバタバタさせたイボイノシシは、その動きでオスの頭を何度も蹴る。
だがオス達は気にせず、足の付け根に噛み付いて、鋭い牙で力強く引っ張った。
皮膚を食い破って肉が見えたが、それくらいでイボイノシシは死なない。
イボイノシシは元気に、「ぎゃーっ、放せ、コノヤロー」と叫び続けた。
『えーっ』
メスライオン達の穴掘りの成果を奪ったオスライオン達に、リオはどん引きだ。
2頭がやっていることは、エムやイーと同じである。
流石は親子だが、今回のメス達はオスを攻撃せず、素直に引き下がった。
『オスライオンが獲物を取るのは、普通らしいな』
『狩りで、何もしていないのに』
『ハイエナは追い散らすだろう。それに他所のオスからも、俺達を守っている』
メスライオンがオス達の行為を許容するのは、用心棒代だからだ。
オスが居なければ、他所のオスが来て、群れの子供を殺してしまう。ハイエナ達も食料を強奪して、やりたい放題だ。
オス達は差し引きで、メスと子ライオンの生存率を引き上げている。
だからライオンのオスは、メスの群れに居ることが許容されている。
『狩りにも参加すれば良いのに』
『ほかのオスやハイエナが来た時のために、力を温存しているらしい』
『うーん』
『母達に比べれば狩りが下手で、手伝っても邪魔になるんじゃないか』
オスは、メス達が苦戦する大きな獲物に噛み付いて、倒すこともある。
キリンや象に襲い掛かり、大物相手にやる気を出すこともあるらしい。
あくまで気が向いたらで、メスライオンもアテにはしないそうだが。
『すげぇ!』
ギーアが羨望の眼差しで、食料を奪った父達を見ていた。
そしてリオとミーナが、冷めた眼差しをギーアに向けている。
これは拙いと思った俺は、弁明を試みた。
『俺は家族サービスする派だぞ。クロサイやスイギュウ、出しただろう!』
俺はミルクを確保するために、クロサイを獲得してきた。
そしてハイエナとの戦い後、確保していたスイギュウを供出した。
言及で思い出したのか、リオとミーナが、俺に納得と感心の眼差しを向けた。
父達、エムイー、ギーアと比べて、良いオスライオンと思ったはずだ。
――とりあえずポイントは稼いだな。
これで俺とギーアが主導権争いをした場合、二頭が俺に付く可能性が高まった。
俺の将来は、少し明るくなったかもしれない。
そんなことを考える間に、父達はイボイノシシの身体を半分くらい食べていた。
それを見たメスライオン達は、最初に捕まえたイボイノシシを諦めたらしい。
次のイボイノシシを求めて、再び巣穴を掘り始めたのであった。
 
























